4.旅立ち、はじまり
カズキを見つけに行くこと、それは東京に『ライブを見に行く』とかそういうのではなくて。
ただ、普通に会ってみたかった。会いたかった。
一目会って普通に話が出来れば、それで充分な気がする
有名なミュージシャンとそんな夢みたいな話、と思うだろうけど。
でも、カズキのファンの間ではとある噂があった。
『都内のある公園でカズキが全くのプライベートでストリートライブをしている』
と。
本当か嘘かはわからない。
でももし本当で一目会えて話が出来たら、それで今の辛さも苦しさも何もかもが報われるような、そんな気がする。
カズキの歌に出会って少しだけ前に進んでいこうという気になれた。
仮に、すぐ忘れ去られたとしても、もし、出会えて『私』という存在を知ってもらえたら。
それだけで今からを生きていく糧になるような、そんな気がしていた。
そんなわけで思いつきはすぐに本気になり、次の日に職場に有休の申請をしたらすぐに受理されてその週の週末には東京に行けることになった。
休暇は思い切って3週間とった。というか、半ば強引にもぎとった。
裕子は『えーっ! 何でまたごみごみして慌しい東京なの?! 北海道とか沖縄とかの方がノンビリできていいんじゃないの?』
と目を白黒させているのを見て、思わず『カズキを見つけに行くためなの』と思わず口走ってしまった。
私の東京行きの理由を聞いてもっと目を白黒させた彼女を見て、カズキのファンの間での噂、大体の公園の場所は見当がついていること、1週間捜して見つからない時は諦めるとか言い訳がましいことを早口で喋った。
そんなことを思い出しながら出発の準備をしていた。
明日はもう東京に旅立つ日。
荷物は少なかった。少しの服と、あとこまごましたもの。中くらいの旅行バックにまだ余裕があった。
その隙間を見ていて、いつも心の底にある起き上がれないほどの倦怠感が入り込んで一緒に東京まで連れて行ってしまいそうで嫌だった。
(あと、持って行くものは……)
振り切るように部屋の中を見回す。
ふと、キッチンに置いてあるコーヒーミルが視界に入った。
(あれ、持っていこうかな? )
キッチンへ行き、ミルを手に取った。大きさも重さもそんなにない小ぶりのミルは隙間を埋めるのにちょうどよさそうだった。
回すハンドルは金属だが、外見は木製のアンティーク調なので少々の移動で壊れることはなさそうだった。
東京で誰かに絡まれそうになったときには武器になるかもしれないし、それか、もし、少しでも元気になれたらこのミルで豆を挽いて誰かにコーヒーをごちそうすることもあるかもしれない。
(元気に、なれるのかな? 元気になるって、平気になるって、彼を忘れてしまうことになるんじゃないのかな?)
心が痛くなって目を伏せた。
しんとした私の心の呟きに答えてくれる人は誰もいなかった。
東京へ出発する当日はよく晴れていたが、凍えそうなほど寒かった。
こんなに寒い日、九州では珍しい。
そんな土曜日の昼下がり。
私は新幹線で東京に向かうためにJR博多駅にいた。
駅の構内にはたくさんの人でごった返していて、それを目にした瞬間ウンザリして家に帰りたくなった。
今からこんな調子では先が思いやられる。
博多から東京まで新幹線で5時間ちょっと。
飛行機で行ってしまうほうが格段に早いのだが時間をかけていろいろな風景を眺めながら旅をしてみようかと考えていたのだけど。
「美佳どうしたの?」
後ろから裕子が声をかけてきた。
「ん、人が多いなぁと思ってね」
ちらっと振り返って答えた。
視界の端に私の見送りに一緒についてきた裕子の年下の彼氏、今井君のふてくされた丹精な顔が見えた。
必死に完璧に隠そうとしているつもりだろうけど、そういうのって微量に外へ出てしまうし、それをもれなくキャッチしてしまう自分の勘の鋭さも嫌だった。
暗い気持ちを振り切るように、前へ歩き始めた。
ここで帰るなんていうのはせっかく見送りに来てくれた2人に申し訳ない。
「美佳がそのチューリップハット被ってるのって久しぶりに見るよ」
裕子が今井君の側から離れて私の隣に来た。満面の笑顔つき。
「ん、やっぱり馴染んだもののほうがいいし、東京行くからちょっと気分を変えてみようかと……。って、裕子、今井君の隣にいてあげなよ」
お気に入りの濃紺のチューリップハット。1年前まではよく被っていたけど、ここ最近はずっとクローゼットの中に入りっぱなしだった。
何か外出事があっても、楽しいとかウキウキするという感覚とは無縁だったから、お気に入りのものを身に着けるという気分になれなかった。
濃紺のチューリップハットに赤いタートルネックのセーター、黒のダウンジャケットと細身のジーンズに黒のブーツというなんとも男っぽい格好になってしまった。
動きやすさとチューリップハットにあわせるといつもこんな格好になってしまう。
亡くなった彼に、いつも男っぽい格好になってしまう、とぼやいていたら、『その帽子に格好を合わせるからだよ』と笑われてたっけ……。
「え、貴志の隣? いいの、いいの」
裕子の言葉に彼を思い出していた私はハッとして、今井君はムッとしたのが振り返らなくてもわかった。
改札口まででいいという、私と押し問答をしながら、裕子は結局ホームまで来てくれた。
「ごめんね、ありがとう」
「いいのよ、いいのよ。東京着いたら連絡ちょうだいね」
「ん、了解」
週末のせいか家族連れなどもいてホームにも人は多かった。
しばらく待っていると線路の向こうに私が乗る新幹線『のぞみ』が見え始め、周りにいる人達もその姿を認めて心なしかそわそわしはじめた。
もう時間がない。
「あのね、今井君」
私は思い切って今井君に声をかけた。
「あのね、今まで裕子との時間、邪魔して本当にごめんなさい。もう平気だよってなかなか言えなかったの。今井君が嫌がってたのよくわかってたけど……。でもね、私、裕子と今井君と一緒にいて救われてたし、楽しかったよ」
新幹線がホームに入り、私の長い髪がそよぐ。
「そんなこと……」
今井君が風に後押しされたように口を開いた。
私は目を伏せ、寒さで冷えてしまった唇をきゅっと結んだまま首を横に振った。
「1人で大丈夫って笑い飛ばせるぐらい元気になって帰ってくるから。裕子にも本当に迷惑かけたね。でも、いつも、いつも心強かった。2人とも本当にありがとう」
私は少し微笑んで、何も言えなくなっている2人を見つめて新幹線に吸い込まれていく人の波に混じった。
車内に入ると同時に出発のベルが鳴り響いてドアが閉まり、ドアのステップ越しに小さく手を振ると裕子も笑顔で手を振り返してくれた。
見慣れたホームが、駅が、街が、どんどん小さくなっていく。
好きだった彼の想いも、目の前にある風景と同じようにだんだん小さく見知らぬものにとって代わっていくように感じて胸が切り裂かれそうだった。
馴染んだ場所から離れるだけなのに、馴染んだ思いからも離れてしまいそうで辛く感じて。
離れたくなかった。
あなたの思い出の、そばにいたい。
ずっと、心のそばにいて……。
涙が、にじんだ。
でも、踏み出した1歩はもう今さら戻せなくて。
私は痛みに耐えようと変わりゆく町並みをじっと見つめていた。