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16.Promenade ~プロムナード~ #3

 私はバタフライナイフを振り上げたまま、身体が金縛りになったように動けないでいた。

(何? この人……)

 目の前にいる儚げな女性は刃物を目の前にしてうっとりとした幸せな表情で笑っている。

 もちろん、本当に刺すつもりはない。脅してカズキに近づかなければそれでいい。

 しかし、こんなに陶酔した表情をしているけれど、彼女は傷つくことや死ぬことが怖くないのだろうか? 

 そんな人間を初めて見た。死を夢見ているような彼女を見て得体の知れない恐怖を感じて手が微かに震える。

ナイフのチラチラと反射した光が彼女の瞳に落ちて陽の光に揺れる水面のように陰影をつけていた。

 細かく震える光に気がついたのだろうか? 

 不意に彼女の瞳が動いて、私をまっすぐに見つめた。

 彼女の空虚で何も映していない、だからこそ澄んだ瞳を私は死を夢見ている彼女以上に恐れた。

 全てを見透かされそうで怖かった。でも動けない。前とは形勢が逆転している。


 カズキを好きなのは本当だった。

 でも、きっとそれだけではナイフは突き立てない。

 平成の歌姫であることのプレッシャー、満たされない孤独感。

 毎日檻の中にいるような閉塞感、当たり前の自由を手に入れられない苛立ち。

 しかし、その見返りとして、富や名誉があり、ほしい物が買える環境にいる。

 でも、どんな物もたやすく手に入れても、満たされるのは一瞬ですぐにまた灼熱の砂漠で水を求めるように何かを欲してしまう。

 あまりの苦しさに何度も全てを白紙に戻したいと思った。

 でも、licaであることも、歌を歌い続けることも私だけのわがままではもう止められない。

 何より、私の歌を楽しみにしてくれる日本中のファンがいるし、不自由でこんな心の飢えの中にいながらも歌を歌うことがこの上なく好きだった。



 歌を歌うことで愛される自分を私自身が選んでいる。

 


 そんな矛盾の最中に出会ったのが美佳だった。

 彼女は私の望むもの全てを持っている。そう思った。

 自由も、周りの人の善意も苦しみを理解してくれる人たちも。

 そして、カズキの愛情といつでも隣にいることをひとり占めでき、それを彼女が当たり前の顔をしていることが本当に羨ましかった。


 私のほうが、カズキのこと知っているのに。


 そう思うほどに、美佳に対する羨望は次第に強い妬みに変わっていった。

 はけ口のない感情が美佳に向かってしまった。

 向けてしまった心の刃を私はどうしたらいいのだろう?



 気がつくと美佳は私の左頬に触れていた。

 一瞬ビクッとしたが、私はただ相手の心に触れるような美佳の手の温もりに心を委ねた。

 まっすぐと静かに私の中にある何かを見つめながら、まるで、慰めて痛みを取り除くかのような彼女の手の動きと表情に泣きそうになった。



 苦しいのは、ひとりじゃないよ。



 まるでそう言われているみたいだった。


 苦しみや悲しみの質はお互い違うかもしれない。

 でも、あなたが苦しんでいるのだけはわかる。苦しいのは、辛いよね。


 穏やかなそういう声が聞こえてきそうだった。

 私たちは堕ちて行くことも這い上がることもできずに動けない心のままでしか触れ合うことができない。

 前向きさや解決方法をさがすでもなく、ただ傷を確かめ合うことは何も生み出さないかもしれないけど、でも無理をしないあるがままの自分でいられて、本当の安らぎを得られたようなそんな気がした。

 そして、彼女も苦しみを抱えてそれを癒せないでいることに今さらながらに気がついた。


 悪いことをしたと思った。

 心のこわばりが解けていくのを感じて振り上げた手を静かに下ろそうとしたその時。


「何をしている!」

 闇を切り裂くようなカズキの声が辺りに響き渡った。

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