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13.それぞれの想い

 オフィス『ムーンレイク』はカズキが所属する音楽事務所だ。

 都心のオフィスビルの2階と3階にある。ちなみに2階はスタジオとして使っている。

 事務所所属のミュージシャンは新人も含めて20人ほどだが、実力、人気ともに高い逸材がたくさんいる。

 中でも代表的なのは歌はいうまでもなく、映画やテレビドラマにも抜擢されその類稀なる演技力で評価の高いカズキと、日本人なら一度はその歌を耳にして名前を知らない人はいないという『平成の歌姫』前田理果ことlicaリカだった。


 午前10時半過ぎ。

「おはようございます」

 私は被っていたチューリップハットを脱いでカバンに直し、小さく頭を下げた後、手櫛でささっと髪を整えた。

 現在はファッションの一部としてずっと被っていてもおかしくはないのだろうけど、幼い頃からの躾で室内では帽子を脱ぐのが習慣になっている。


 私とカズキはオフィス『ムーンレイク』にいた。

「おう、おはよう。カズキ、美佳ちゃん」

 事務所の社長、鈴木さんが笑顔で答えた。

 社長はたくさんある観葉植物に毎朝水をあげるのが日課で、今日も上機嫌で植物用の水差しからポトスに水をあげている。

「カズキ、今日は?」

「簡単な打ち合わせとヴォイストレーニングです。時間があればスタジオで新しい曲作りします」

「そうか、じゃ、ヴォイストレーニング中は、美佳ちゃんは下のカフェでコーヒー飲んだりlicaの話し相手になってあげてね」

「はい、わかりました」

 表向き、私とカズキの関係はイトコ同士ということになっていた。

 赤の他人であることは『風来館』の住人しか知らない。

 あと、何とはなしに東京に来ている理由などカズキが社長に話してくれていたらしく、ほとんどの場合、例えば打ち合わせやスタジオでの曲作りなどは同席させてもらえるという特別待遇ぶりだったが、ヴォイストレーニングのレッスンは遠まわしに席を外すように言われていた。

 歌の核である『声』をつくる場だから、先生もカズキもとても気を遣うのかもしれない。

 本来なら部外者である私は事務所から追い出されても仕方ないのに、受け入れてくれた社長さんに感謝していたので不満はなかった。

「もう少ししたら山本君もこっちに来るから。朝イチで営業に行ってもらってる……」

「おはようございますっ」

社長が言っているそばから山本君が元気よく事務所に入ってきた。

 カズキのマネージャー、山本君は私と同い年の25歳。

 おっちょこちょいで失敗も多いけど、元気なのがとりえだとカズキが言っていた。

 そして、その後ろを不機嫌そうな『平成の歌姫』licaが入ってくる。

「いやあ、下でlicaさんと一緒になって。……お、カズキさん。今日も怖い格好してますね。俺、カズキさんが昔よく着てたオタクみたいな服も好きだなぁ」

 山本君が屈託のない笑顔で言い、カズキが慌てたような表情になった。

「お、おい、山本君」

「オタク……?」

「いや、変装だよ。俺だってわかる普通の格好してウロウロしてたらやっぱり目立つから」 

 オタクのカズキ、どんな格好していたのだろう。ちょっと気になる。後で山本君に聞いてみよう。


 今日のカズキはといえば、首や指に派手な装飾品はつけていないものの、シークレットライブで着ていた時のHIP HOP系の服だ。

「しかし、あまりその格好でウロウロするなよ? 特に夜はな」

 社長の表情は穏やかだったけど、目が笑っていなかった。

 カズキに釘を刺している。当の本人は固まってしまって動けない。

 バレていないと言っていたけれど、社長の耳にはちゃんと入っているようだ。今までお咎めなしなのは黙認されているからだろう。

 そして、私はlicaの鋭い視線をまともに受けて動けないでいた。



(初対面の時からそうだった……)

 初めて会った時から、licaの目はとても厳しいものだった。

 私がカズキのイトコと紹介されてもそれは変わることはなく、そして、私とカズキが会話していると炎のような目で睨みつけてくる。

 平成の歌姫との接点はないし、嫌われるようなことすらしていない。licaとは会話すらしていないのだから。

 となれば、理由は1つ。

(きっとカズキが好きなんだろうなぁ)

 それしかない。

「どうした? ボーっとして」

 隣に座っていたカズキが上目遣いに顔を覗き込んでくる。形のよい眉が心配そうな弧を描いていた。

「ん? 何でもないよ?」

 打ち合わせが始まるまでの空き時間、私とカズキは事務所内の応接室でくつろいでいた。

「そうか? ……そうそう、昼からのヴォイストレーニングは2時間ぐらいで終って、その後いつものスタジオいるから。頃合い見てそこで待ってて。で、今日はどこ行きたい? 六本木ヒルズ行ってみる?」

「うん」

 少し微笑んだ。

 亡くなった彼に悪いと思いながらも、カズキと一緒にデートっぽいことができて少しうれしい。正直言うと六本木ヒルズもちょっとだけ楽しみ。


「早くさぁ、『もう、メッチャ楽しみ! 早く行こうよー!!』とか言って弾けるように笑う美佳を見てみたいよ。微笑んでるのは見たことあるけど、実は俺さ、まだ美佳が楽しそうに笑ってるところ見たことないんだよな」


「え?」


 私、笑ってなかった?

 ゆっくり思い返してみる。

 そういえば、最近声を出して笑ってないような気がする。いや、最近どころか、大好きだった彼が亡くなってから楽しく笑ったことはなかった。

 

 もう1年以上も。


「笑ってなかったかもね、ずっと……」

 独り言のように呟いて、目を伏せた。

 こんな顔をしたらカズキが心配する、と思いながらも亡くなった彼を折に触れて思い出してしまう自分が苦しかった。


 どうして、どうして、忘れることができないんだろう?


「悪い。変なこと言ったな。今の言葉、気にするなよ」

「うん」 

 眼を伏せたまま返事をした。今はカズキの眼を見ることができない。


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