12.朝の風来館
人生そんなに上手くいくのかと思っていたら、本当に『風来館』にいることになり、家具・家電、生活用品もちょっと雑貨を買い足したら何不自由なく、トントン拍子にその日の夜から生活をはじめることができた。
一息ついて何気なく携帯電話を見ると履歴が裕子からのメールと着信でいっぱいだった。
よく考えたら、東京についてまる1日何も連絡とってなかった。夜も遅くなってしまったが、裕子の携帯に電話して、まず、連絡が遅くなったこと謝り、それからカズキに会えたこと、宿はカズキの住むアパートになったことを報告した。
裕子は電話に出るなり『無事で本当に良かったよー』と今にも泣きそうな声で何度も繰り返し、私の話になると終始『えーっ! すごい!!』を連発していた。
それから、見送りした日の夜に連絡がなくて本当に心配で何度も連絡したことを詫びてきた。
お互いに忙しい時はメールでもいいからマメに連絡取り合おうといって話しを結んだ。裕子の彼氏、今井君が知ったらまたやきもち焼いちゃうかもね、とお互い笑いあったことは秘密の話。
次の日の夜『風来館』では誰が言い始めるでもなく私をまじえてのカレーパーティーが開催された。『風来館』流の歓迎会。
人の輪の中にいるのが苦手だったけど、東京に来て気分が高揚しているせいか、あるいは全く知らない人といて気を張っているのか、重苦しい気持ちはあまり気にならなかったし、みんなでワイワイ食事をしたせいか、いつもより、結構な量を食べた気がする。
順調に行きそうだった東京での生活。
でも、一つだけ困ったことがある。
ピンポーン、ピンポーン。
「んー……」
遠くで玄関のインターフォンが聞こえる。目が覚めるにつれて鮮明になってくる音。
(眠い……)
枕元においてある目覚まし時計を見る。午前5時半。
(今日こそはやり過ごそう)
布団を頭まで被り、目を閉じてもう一度眠ろうとした瞬間。
「おぉい、美佳! 起きろ~! 起きてるのか?!」
朝っぱらからでも美しいカズキの声が聞こえてきた。
それでも返事をしないとなおしつこくドアを叩いて私の名前を叫ぶ。
(もうっ!)
ガバッと勢いよく起き上がる。
こんなに騒いでいたら隣部屋の原口さんまで起きてしまう。
私の部屋は3階の3部屋あるうちの真ん中。左隣がカズキで右隣が原口さん。
部屋の配置はいいのだが、問題は早朝のウォーキングだ。
毎朝歩いているのか、カズキは私がここへ来た次の日から一緒に、と誘ってくれていた。半ば強引に。
もともと朝が弱い上に、寒がりの私は冬の朝早くというのがとても苦手だ。
だけど、カズキは私が起きてドアを開けるまで呼び続ける。かなりスパルタだと思う。
私は仕方なく布団から抜け出し、パジャマの上にカーデガンを羽織ってドアを開けた。
「……おはよ」
半分寝ぼけまなこで呟く。
「おはよう。今日もちゃんと起きれた? 歩いて体動かそう。今日も寒くて気持ちいいぞ」
「……」
いつもは心地よいカズキの声、見ているとドキドキしてしまうその姿。
でも、今は、『ちゃんと起きれた?』って毎日強引に起こしてるのは誰よ、と思いながら三白眼のまま無言でドアを閉めて黒の上下のジャージとダウンジャケットに着替え始めた。
とりあえず、スッピンの顔はマフラーで隠すことにして、ボサボサの髪は一つにまとめてチューリップハットを被ればなんとかなる。
右隣からかすかな音が聞こえてきた。どうやら今日も原口さんを起こしてしまったらしい。
彼は本来なら仕事を終えた夜に歩いたり走ったりしているようだけど、私が来て、連日のように朝早く起こしてしまい『朝でも夜でもすることは一緒だから。それにみんなといる方が張り合いがあって楽しいね』と早朝ウォーキングに参加している。
ここら近辺は公園が多いせいか、ウォーキングやジョギングをする人が多い。『風来館』の住人も美紀さんと淑子さん以外は何かしら身体を動かしていた。
雑貨を買いに行った時、なぜ、ジャージを買うの?と思ったが、そのわけは今にしてわかる。
簡単に身支度をすませて階下に行くと、広間兼食堂でカズキと原口さんが雑談しながら私を待っていた。
「おはよーございまーす」
私は普段では絶対ありえない気分の低さで2人に挨拶をした。
頭が重くて眠くて周りの状況がよく把握できない。
「おはよう」
原口さんが爽やかな笑顔で返してくれたけど、とても笑う気にはなれない。
「おはよう、じゃあ行こうか」
カズキも笑顔だ。
広間を出てちょうど玄関を開けようとしたら、画家の早瀬さんが後ろから追いかけてきた。
「グッモーニーング! 間に合ってよかった! オレも混ぜてぇ~」
誰よりもハイテンションな早瀬さんに苦笑しながらみんな挨拶をかえした。
「しかしさぁ、一番不健康な生活してるカズキがさぁ、よく健康的に朝っぱらからウォーキングする気になったよね。……あ、そっかぁ、美佳ちゃんがいるから。美佳ちゃんのためなんだね~」
早瀬さんのニヤニヤした顔と話の内容に周りの空気が止まったけれど、私はといえば、名前を呼ばれた気がして振り向いただけだった。
「ん? 何?」
何度も言うが、朝はいろんなことがうわの空で、喋るのも考えるのも億劫だ。
「美佳ちゃんは、本当に朝が弱いのね~」
早瀬さんの呟きも聞こえない。
冬の朝、午前6時前といえばまだ暗い時間だ。
こんなに暗くて寒い時間にひとりだったら絶対に外に出ないはず。
そんなことをブチブチ思いつつ、みんなで少し早足で1時間程度歩き、そんな中で徐々に明けていく空を眺めていると、寝起きの気分も忘れてとてもいいものを見た気がしてうれしくなる。
静寂と冷たい澄んだ空気。透明な空。そして隣には。
会いたくて仕方なかったカズキ。
毎日、夢を見ているように幸せだった。
夢でないか、そう思うたびに、現実であることを確認するように彼を見上げるのが癖になっていた。特に、意識がハッキリしない目覚めたばかりの朝とか。
「目が覚めた?」
彼は私の視線に気がついてこちらを見て穏やかに笑った。
この気持ちをずっと感じていたい。小さな幸せが壊れませんように。
私はそんな思い胸に、カズキを見上げていた。