10.Blue Lady
いい夢を見ていたような気がする。
久しぶりに心が温かくて、幸せだ。
ゆっくり目を開けてすぐそばにある窓の外を見るとレースのカーテン越しに暗い空が見えた。
意識がハッキリしてくると、部屋の雰囲気がいつもと違うことに気がついて慌ててベットから飛び起きた。ベットカバーの色も違う。濃い紺色。そして暖房のきいた暖かい部屋に漂う甘い香り。
「あ、おはよぉ。起きた?」
部屋の中には私のほかにもう1人いた。まったく知らない場所で目覚めてかなり混乱していた。
「あのぅ、……ここは?」
私は落ち着かなくて部屋を見回した。黒を基調としたセンスのいい家具がバランスよく置かれている。
「そっかぁ、ここに来た時はもう気絶してたもんね。あなたはカズキと一緒にここに来たの。うわごとみたいだったけど、一応名前と東京に来た事情は話してくれたわよ? 覚えてない?」
鮮やかなブルーのドレスを着た女性がこちらをみて微笑んでいた。少し濃い化粧が映える美しい人だ。
「よかった。私、もうすぐ仕事なのよね。起きなかったらどうしようかと思ってて。あ、私、高野美紀。えっと、後藤美佳さんよね? よろしく。ねぇ、喉渇かない? 今日、一日中寝ていたのよ、あなた。もう夕方」
そんなに長い時間眠っていたのかとビックリした。この状況に緊張もしているけれど、どうりで喉がカラカラに渇いているはずだった。
そして、暗いのは朝方ではなくてもう日が暮れているからだろう。
高野さんは目を丸くした私をみて、クスリと楽しそうに笑い、優雅に立ち上がるとドレスの裾を静かに従えて台所へ入っていった。
ドレスの光沢の放ち方で、上質な生地を使っているのがひと目でわかった。
そういう生地を使うと普通なら高級で重苦しい重厚感があるのに、シンプルで優しい感じのするデザインと高野さんの凛とした雰囲気がよく馴染んで彼女の存在がより引き立っていた。惹きつけられて目が離せない。
「ドレス、似合いますね」
「そう? ありがとう」
初対面の人にいう言葉ではないかもしれないけど、思わず口をついて出てしまった。
その言葉を聞いた高野さんは丸くした目をきゅっと細めて笑う。とてもうれしそうだ。
彼女は大きめのコップにミネラルウォーターとポットの熱いお湯を半々に注いだものを差し出してくれて、私はそれを受け取ると一口飲んだ。
お湯の温もりが身体に心地よい。
「夏は冷たくてもいいんだけど、冬はね、冷たいと胃が痛くなることあるから」
頷くとお湯を一気に飲み干した。本当においしかった。
「高野さん、ありがとうございます。ベットまで占領してしまって」
「名前で呼んでほしいわ。ベットはいいのよ、別に。私はソファーでも慣れてるし、あなたにカゼでもひかれたら大変だもの。……ゆっくり話したいんだけど、もう仕事にいかなくちゃ。あとはカズに任せるわね」
高野さん、いや、美紀さんはそういうと携帯電話を探して電話をかけ始めた。
「あ、カズ? 美佳さん起きたわよ? うん、大丈夫よ。で、私、もう仕事に行かなくちゃ。悪いけど、彼女迎えに来てくれない? え? 時間なかったから詳しいことはまだ何も。うん、それじゃ、よろしく」
カズ、という名前を聞いて心臓が跳ね上がった。
私はギョッとしながら、携帯電話を切って高級そうなバックの中に入れる美紀さんを見つめていた。
カズって……。そういえば、昨日……。
「カズ、もうすぐ来るわよ。私ももう出勤しないといけないから、悪いけど、一緒に出てもらっていいかしら? ずっと寝てたけど立ち上がれる?」
「カズって……?」
「カズはカズよ。あなたが捜していた人でしょ? 会えてよかったわね」
意識のないときの私はそんなことまで話していたのだろうか?
それでも、覚えていないなりに昨日のいろんな出来事が蘇る。カズキと手を取り合って夜を駆け抜けたこととか。
恥ずかしさで顔がかぁっと赤くなった。
昨日からいろんなことがありすぎて、止まったままの心には少々刺激が強いみたいだ。
1人で混乱していると玄関のブザーが鳴った。
美紀さんが玄関を開けるとそこには本物のカズキがいた。
「今から店?」
「そうよ。家閉めちゃうから、彼女のこと後はよろしくね。さ、美佳さんもベットからでてね」
「『美佳さん』だって。カッコつけて、にあわねー」
「何よ、笑わないでよ。いきなり初対面から馴れ馴れしくできないでしょ」
カズキが目の前で笑っている。玄関先に立っている彼を凝視してしまった。本当に本物だ。間違いない。
「どうしたの?」
「いっ、いえ。何でもないです」
美紀さんの言葉に我に返ってベットからそろそろ抜け出て、帽子と荷物を持ってうつむいたまま彼の前に進み出た。
恥ずかしい。緊張もしてる。
最初はカズキの足元しか見ることが出来なかったけど、ゆっくり視線を上げていった。上目遣いで彼を見上げる。
クセのある黒い髪、浅黒い肌、少し太めだけど整った眉、通った鼻筋。知的な感じのする薄い唇。いつもその顔にたたえている穏やかな表情。どれも全て彼のものだった。
「ゆっくり、眠れた?」
そして私が一番好きな、意思の強そうな切れ長の澄んだ瞳は私の姿を映していた。