新たな仲間
ヴァルクライン連邦のギルド「鉄の絆」は、表面上は以前と変わらぬ日常を取り戻していた。しかし、その中心人物であるアキトの心には、深い影が落ちていた。
タケルの死から二週間。アキトは毎朝、同じ悪夢にうなされていた。青い炎に包まれた人竜の姿、最後に人間性を取り戻したタケルの声、そして自分の無力感。
「俺が...もっと早く気づいていれば...」
朝の訓練場で、アキトは一人剣を振っていた。何度も何度も同じ斬撃を繰り返している。
「アキト」
背後からリーネの声が聞こえた。彼女は、心配そうにアキトを見つめている。
「また悪夢を見たでしょう?」
「...ああ」
アキトは剣を下ろした。隠しても無駄だった。リーネには全てが見透かされている。
「タケルのことは、俺の責任だ。もっと早く、もっと強く...」
「やめてよ、そんなこと言うの」
リーネがアキトの手を握った。
「あなた一人の責任じゃない。私たち全員が気づけなかった」
「でも...」
「でもじゃないの。タケルは自分で道を選んだ。最後は人間らしさを取り戻して、私たちに謝った。それで充分でしょう?」
アキトは頷いたが、その表情は依然として暗いままだった。
「次は必ず...次こそは誰も失わない」
その決意の言葉に、リーネは不安を覚えた。アキトの瞳に宿る光が、どこか危険なものに見えたからだ。
その日の午後、ギルドに一人の青年が訪れた。年齢は十七歳ほど、茶色の髪に真面目そうな表情を浮かべている。質素な服装、腕には使い込まれた魔核がはめ込まれたバンドを着けている。
「失礼いたします。ギルド“鉄の絆”への入団を希望している、シオン・ブレイドと申します」
青年は深々と頭を下げた。その丁寧な仕草に、ルカスが眉を上げる。
「随分と礼儀正しいな。どこから来た?」
「ヴァルクライン連邦の南部、ミルグレード村の出身です」
「ミルグレード...聞いたことがあるな」
ルカスの表情が曇った。確か半年前、魔物の大規模襲撃を受けた村ではなかったか。
「そのミルグレード村は...」
「はい。全壊しました」
シオンの声が少し震えた。
「俺は...俺は家族を守れませんでした。父も、母も、妹も...俺が弱かったせいで」
その時、偶然通りかかったアキトの足が止まった。青年の言葉が、まるで自分の心の声のように聞こえたからだ。
「だから、強くなりたいんです。もう二度と、大切な人を失わないために」
シオンの瞳に宿る純粋な決意。それは、かつてタケルが見せていたものと同じだった。
アキトの胸に、鋭い痛みが走った。
「君の気持ちは分かる」
アキトが前に出た。
「俺がアキトだ。君の面接官を務めさせてもらう」
「あ、あのレンジョウアキトさんですか!?」
シオンの瞳が輝いた。
「英雄と呼ばれた方に直接お会いできるなんて...!」
「英雄なんて大げさだ」
アキトは苦笑いを浮かべたが、シオンの純粋な憧憬の眼差しに、タケルの面影を重ねてしまった。
「まず、君の実力を見せてもらおうか」
ーーーーー
訓練場で、アキトとシオンの手合わせが始まった。周囲にはルカス、リーネ、エリーゼが見守っている。
「遠慮はいらない。全力で来い」
アキトがそう言うと、シオンは緊張した面持ちで剣を構えた。
「ソウルフォージ」
シオンの手に、風属性の魔核から生み出された軽剣が現れる。刃は薄く、風の魔力がまとわりついていた。
「風か。素早さを活かした戦い方だな」
アキトも白銀の剣を召喚する。しかし、その輝きは控えめで、明らかに手加減をしていることが分かった。
「行きます!」
シオンが風を纏って突進する。その速度は決して遅くない。基礎はしっかりと身についている証拠だった。
しかし、アキトにとっては止まって見えるほどの速度だった。軽く剣を振るだけで、シオンの攻撃を受け流す。
「もっと踏み込みを深く。重心が高すぎる」
アキトが指導しながら戦う。シオンは必死についていこうとするが、実力差は歴然としていた。
十分ほどの手合わせの後、シオンは膝をついた。息は上がっているが、怪我一つしていない。
「すごい...全然当たりませんでした」
「基礎は悪くない。ただ、実戦経験が不足している」
アキトがシオンに手を差し伸べる。
「魔物との戦いと、人との手合わせは違う。君にはその感覚を身につけてもらう必要がある」
「ありがとうございます!是非、ご指導を!」
シオンが感激して頭を下げる。その姿を見て、アキトの胸にまた痛みが走った。
(タケルも...最初はこうだった)
「分かった。俺が直接指導しよう」
アキトの言葉に、ルカスが意外そうな顔をした。通常、新人の指導は経験豊富な中堅メンバーが行うものだ。
「アキト、お前がわざわざ...」
「いや、俺がやりたいんだ」
アキトの声に、強い意志が込められていた。
「今度こそ...今度こそは、ちゃんと育ててみせる」
その呟きを、リーネだけが聞き取った。彼女の表情に、不安の色が濃くなる。
ーーーーー
シオンの入団が正式に決まってから三日後、彼にとって初めての依頼が舞い込んだ。
「森の魔物討伐。Cランクだ」
ルカスが依頼書を読み上げる。
「グレイウルフの群れが商道を荒らしている。数は三頭程度。新人には適度な難易度だな」
「俺も同行する」
アキトがすぐに名乗りを上げた。
「いや、アキトが行くほどの依頼では...」
「念のためだ。何があるか分からない」
アキトの言葉に、ルカスは首をひねった。グレイウルフ程度なら、シオン一人でも十分対処できるはずなのに。
「分かった。では、アキトとシオンの二人で頼む」
こうして、シオンにとって初めての実戦が決まった。
ーーーーー
ヴァルクライン連邦郊外の森。シオンとアキトは、グレイウルフの痕跡を辿っていた。
「足跡から判断すると、三頭で間違いありませんね」
シオンが地面を調べながら報告する。その観察眼の鋭さに、アキトは感心した。
「ああ。でも油断は禁物だ」
「はい!」
シオンの返事は元気だったが、その手は微かに震えていた。初めての実戦への緊張は隠しきれない。
「大丈夫だ」
アキトがシオンの肩に手を置いた。
「俺がついている。大丈夫だ」
その言葉に、シオンは安堵の表情を浮かべた。
「ありがとうございます、アキトさん」
しばらく歩いていると、茂みの奥から低いうなり声が聞こえてきた。
「来るぞ」
アキトが白銀の剣を構える。シオンも風の剣を召喚した。
茂みから飛び出してきたのは、三頭のグレイウルフ。灰色の毛皮に鋭い牙、赤い瞳を光らせている。
「シオン、後ろに下がれ」
アキトが前に出ようとした瞬間、シオンが制止した。
「待ってください!これは俺の試練です」
「でも...」
「お願いします。やらせてください」
シオンの真剣な眼差しに、アキトは逡巡した。しかし、結局は頷く。
「分かった。でも無理はするな」
シオンが狼に向かって駆け出した。風を纏った剣が、素早い軌跡を描く。
一頭目の狼が襲いかかってくるが、シオンは巧みに回避した。そして、風の刃で反撃する。
「やるじゃないか」
アキトが感心した時だった。残り二頭の狼が、シオンを挟み撃ちにしようと動いた。
「危ない!」
アキトが反射的に動こうとする。しかし、シオンは自分で状況を判断し、風魔法で距離を取った。
「大丈夫です!」
シオンが振り返って笑顔を見せる。その瞬間、背後から三頭目の狼が飛びかかった。
「シオン!」
アキトが白銀の炎を放つ。炎は狼を直撃し、一撃で倒した。
「え...?」
シオンが呆然と立ち尽くす。気づけば、三頭の狼はすべてアキトが片付けていた。
「すまない。つい手が出てしまった」
アキトが苦笑いを浮かべるが、シオンの表情は複雑だった。
「俺...何もできませんでした」
「そんなことはない。最初にしては上出来だ」
「でも...」
「経験を積めば必ず強くなれる。焦ることはない」
アキトの優しい言葉に、シオンは頷いた。しかし、心の底では物足りなさを感じていた。
ーーーーー
帰り道、二人は並んで歩いていた。シオンは先ほどの戦闘を振り返っている。
「アキトさん」
「ん?」
「俺、本当に強くなれるでしょうか?」
シオンの声には不安が滲んでいた。
「もちろんだ。君には素質がある」
「でも、今日は何もできませんでした。アキトさんがいなければ...」
「それで十分だ。無理をして怪我をするより、確実に経験を積む方が大切だ」
アキトの言葉は優しかったが、シオンには物足りなかった。
「でも、このままでは...」
「大丈夫だ。俺が必ずシオンを強くしてみせる」
アキトの瞳に、強い決意が宿っていた。
「タケルのようには...絶対にしない」
その呟きを、シオンは聞き逃さなかった。
「タケル...さん?」
「ああ...以前、俺の指導を受けていた後輩だ。俺が...俺が守れなかった」
アキトの表情が暗くなる。
「だから、今度こそは。シオンは絶対に守ってみせる」
その言葉に、シオンは複雑な気持ちになった。守られることへの安心感と、同時に感じる物足りなさ。
「俺...守られるだけじゃダメなんです。強くなって、人を守りたいんです」
「分かっている。でも、まずは基礎を固めることが大切だ」
「はい...」
シオンは頷いたが、心の中では疑問が膨らんでいた。
このままで本当に強くなれるのだろうか。アキトさんが俺を過保護にしているのではないだろうか。
しかし、その疑問を口にすることはできなかった。アキトの優しさと、自分への期待を裏切りたくなかったからだ。
ーーーーー
それから一週間、シオンの日常はアキトを中心に回るようになった。
朝の訓練では、アキトが個人指導を行う。基本的な剣技から魔核の扱い方まで、丁寧に教えてくれる。
「もう少し力を抜いて。剣は振り回すものじゃない」
「はい」
「そう、その調子だ」
昼食も一緒に取る。アキトは常にシオンの体調や精神状態を気にかけていた。
「疲れていないか?無理はするな」
「大丈夫です」
「そうか。でも、少しでもしんどくなったら言ってくれ」
依頼も必ずアキトが同行する。どんなに簡単な内容でも、一人にはさせなかった。
「今日はゴブリンの討伐だ。数匹程度だが、油断は禁物だ」
「はい、分かりました」
「何かあったらすぐに俺を呼べ」
他のギルドメンバーたちも、この状況を複雑な目で見ていた。
「アキト、ちょっと過保護すぎないか?」
エリーゼが心配そうに言った。
「シオンくん、全然一人で戦う機会がないよー?」
「大丈夫。安全第一だ」
アキトの答えは常に同じだった。
リーネも気になっていた。アキトの行動が、どこか異常に見えたからだ。
「アキト、あなた...」
「何だ?」
「シオンのこと、タケルと重ねて見てない?」
その指摘に、アキトは動揺した。
「そんなことは...」
「あるでしょう?同じ年頃で、同じように強くなりたがってて、同じように自信がなくて...」
「...」
「でも、シオンはタケルじゃない。もっと彼を信用してあげて」
リーネの言葉は核心を突いていた。しかし、アキトは首を振る。
「俺は...もう失いたくないんだ」
「失うって...」
「シオンを危険にさらしたくない。今度こそは、絶対に守り抜く」
その決意は固く、リーネの言葉は届かなかった。
ーーーーー
一方、シオンの中には徐々に苛立ちが募っていた。
毎日の訓練は確かに勉強になる。アキトの指導は的確で、剣技も魔法も少しずつ上達している実感がある。
しかし、実戦経験がまったく積めない。常にアキトが先回りして敵を倒してしまうからだ。
「俺は...本当に成長しているんだろうか」
部屋で一人になると、そんな疑問が頭をよぎる。
故郷で家族を失った時の無力感。あの時から何も変わっていないのではないか。
「強くなりたいのに...」
シオンは拳を握りしめた。しかし、アキトの優しさを思うと、文句を言うことはできなかった。
あの人は俺のために時間を割いて指導してくれている。それに文句を言うなんて、恩知らずもいいところだ。
「もう少し...もう少し我慢しよう」
シオンはそう自分に言い聞かせた。しかし、心の底では不満がくすぶり続けていた。
ーーーーー
そんなある日、ギルドに一人の男が現れた。
「やぁ、元気しる?」
明るい声と共に入ってきたのは、黒髪の青年だった。その顔に浮かぶ人懐っこい笑顔と、どこか危険な雰囲気。
「ゼノ?」
アキトが驚いた顔を上げる。
「久しぶりだね、アキト」
ゼノ・ブラッドレイ。ソリス王国のロイヤル・ナイト・オブ・ダイヤ。かつてアキトたちと共にヴォイドと戦った仲間の一人だった。
「どうしてここに?」
「まあまあ、そう警戒しないでよ。ちょっと“鉄の絆”の実力を確かめに来ただけだから」
ゼノの瞳が、訓練していたシオンを捉えた。
「へー、新人がいるじゃん。君、なかなかいい動きしてるね」
「え、あ、ありがとうございます」
シオンが慌てて頭を下げる。
「でも...」
ゼノの表情が急に真剣になった。
「なんか動きが固いね〜。実戦慣れしてない感じ?」
その指摘に、アキトの表情が強ばった。
「彼はまだ入団したばかりだ。基礎を固めている段階だ」
「基礎ね...」
ゼノがシオンを見詰める。その視線は鋭く、まるで心の底まで見透かしているようだった。
「君、本当にそれで満足してる?」
「え?」
「その『基礎固め』って奴。本当に君のためになってる?」
シオンが言葉に詰まる。図星を突かれた気がしたからだ。
「ゼノ、余計なことを言うな」
アキトが割って入ろうとしたが、ゼノは手で制した。
「いやいや、これは大事な話だよ。だって...」
ゼノの瞳が、アキトを見据えた。
「君、この子を甘やかしすぎてない?」
その一言が、静かな嵐の始まりだった。
アキトの表情が凍りつき、シオンは困惑し、周囲の空気が一変する。
ゼノ・ブラッドレイの登場によって、平穏だった日常は大きく変わろうとしていた。




