8 氷の化け物と希望の光
「まあまあ、随分と騒がしいことですわね」
優雅で冷たい声が夜の静寂を破った。
現れたのは美しい絹のドレスを着た上品な貴婦人。年齢は四十代ほどで、宝石をちりばめた指輪を複数はめた手には、小さなハンドバッグを持っている。その気品ある容姿とは裏腹に、その瞳には狂気的な光が宿っていた。
「あなたは...」
アキトが警戒の色を見せた。
「私はリザベル・フォン・ヴィンテージ。この地方の伯爵夫人ですわ」
貴婦人—リザベルが優雅に一礼する。しかし、その笑顔は氷のように冷たかった。
「ロゼはどこ!?ロゼを返してよー!」
エリーゼが怒りに震えながら叫んだ。
「あら、あの可愛らしいお嬢ちゃんのことかしら?ご心配なく、私の屋敷にいますのよ」
リザベルの指にはめられた青い宝石の指輪が、不気味に光っている。
「その指輪...まさか虚核!?」
リーネが驚愕した。
「ご明察ですわ。素晴らしい技術ですの。子供たちを永遠に美しいままで保存できるなんて」
リザベルの瞳に、深い悲しみと狂気が混じった光が宿った。
「私の息子も...あの子も小さい頃は天使のように可愛らしかったのに...今では私を毛嫌いして、顔も見せてくれません」
リザベルの声が震えた。
「『母さんは異常だ』『気持ち悪い』...あんなに素直で愛らしかった子が、なぜあんな汚い言葉を...」
「それは成長なの!子供は反抗もするし、親を嫌いになることもあるの!でも、それも大切なことなんだから!」
エリーゼが必死に叫んだ。
「黙りなさい!あなたに何が分かりますの!」
「お前...お前があの子たちを攫ったのか...!」
タケンドルが拳を握りしめた。
「あら、あなたは確か...孤児院の方でしたわね。私はこの辺りの子供たちだけですのよ。あなたの子供たちは...さて、どなたが連れて行ったのでしょうね」
リザベルの言葉に、タケンドルの表情が複雑に変わった。
「そうか...お前じゃないのか...」
「私は自分の趣味に合う子供しか興味ありませんの。きっと別の方でしょうね」
「くそ...また手がかりが...」
タケンドルが唇を噛んだ。彼の荷物袋から、小さな木製の人形がいくつも転がり出る。手作りの、素朴で温かみのある人形たちだった。
「ああ、可愛らしいおもちゃですわね。子供たちのために作ったのでしょう?でも、ここの子供たちは私が美しく保存いたします」
「ふざけるな!子供は成長してこそ美しいんだ!動かないままでは本当の輝きを失う!」
タケンドルが叫んだ。その声には、深い愛情と怒りが込められていた。
「まあ、なんと野蛮な考えですこと。成長すれば汚れます。大人になれば醜くなります。子供の純粋な美しさは、あの瞬間にこそあるのですわ」
リザベルが指輪に触れると、周囲の空気が急激に冷たくなった。
「それは違うー!」
エリーゼが叫んだ。
「子供は成長するから美しいの!笑ったり、泣いたり、いっぱい遊んだりするから輝いてるのよ!」
「愚かな子ですわね。まあ、あなたも同じ運命を辿ることになりますが」
リザベルが指輪を向けた瞬間、巨大な氷の檻がエリーゼを包み込もうとした。
しかし、エリーゼのガントレットが炎のように光り、氷を粉砕する。
「私は負けないもん!ロゼを、みんなを返してー!」
ガントレットの肘のバーニアが噴射し、エリーゼの体が宙に舞い上がった。
「おやまあ、なかなかやりますわね」
リザベルが冷笑しながら、更なる氷の攻撃を放つ。氷の槍、氷の壁、氷の刃が次々とエリーゼに襲いかかった。
「うわあああ!」
エリーゼがガントレットで応戦するが、圧倒的な氷の物量に押されていく。
「エリーゼ!」
アキトとリーネが加勢しようとするが、その時、意外な人物が動いた。
「子供たちに手を出すな!」
タケンドルがリザベルに向かって突進した。筋肉質な体から想像もつかない俊敏さで、一気に距離を詰める。
「まあ、邪魔ですわね」
リザベルが軽く手を振ると、氷の壁がタケンドルを阻んだ。
しかし、タケンドルは止まらない。拳で氷を砕き、蹴りで道を切り開きながら、必死にリザベルに迫ろうとする。
「子供たちの笑顔を...子供たちの未来を返せ!」
「うるさい男ですわね」
リザベルが指輪を向けると、タケンドルの足元から氷が這い上がってきた。
「くそ...!」
タケンドルの体が氷に包まれ始める。しかし、彼は最後まで諦めなかった。
「子供たちは...成長していく姿こそ美しいんだ...!」
その言葉が、エリーゼの心に火をつけた。
「そうよ!そうなの!」
エリーゼのガントレットが、これまでにない光を放った。
「私たちは成長するの!いっぱい遊んで、いっぱい学んで、いっぱい笑って、そうやって大きくなるのー!」
ガントレットから放たれた光の拳が、リザベルの氷をすべて粉砕した。
「なんですって!?」
「それが子供の本当の美しさなんだもんー!」
エリーゼの最後の一撃が、リザベルの指輪を直撃した。青い虚核が砕け散り、リザベルは崩れ落ちた。
「そんな...私の美しいコレクションが...」
しかし、砕けた虚核から黒い霧が溢れ出した。その霧は宙に舞い上がり、やがて巨大な氷の化け物の形を取った。それは人間のような形をしているが、顔は歪み、全身が鋭い氷の棘に覆われている。
「グオオオオオ!」
氷の化け物が咆哮を上げ、巨大な氷の拳をエリーゼに向けて振り下ろした。
「うわああ!」
エリーゼがガントレットで受け止めるが、その衝撃で地面に大きなクレーターができる。
「重いよー!すごく重いー!」
化け物の力は圧倒的だった。エリーゼのガントレットがきしみ音を立てている。
「エリーゼ!」
アキトが援護しようとするが、化け物は氷の壁でアキトたちを遮断した。
「一人で戦わせるつもりかー!卑怯だよー!」
エリーゼがガントレットのバーニアを全開にして化け物を押し返した。蒸気のような光が噴射され、エリーゼの体が宙に舞い上がる。
「でも負けないもんー!私はみんなを守るんだからー!」
空中でエリーゼが拳を構える。ガントレットが眩いばかりの光を放った。
「ロゼのためにー!村のみんなのためにー!」
エリーゼの拳が化け物の顔面を捉えた。しかし、氷の化け物は怯まない。逆に、氷の棘でエリーゼを刺そうとする。
「きゃー!」
エリーゼが咄嗟に身をよじったが、頬に小さな傷ができた。
「痛いよー...でも、まだまだー!」
エリーゼがガントレットで連続攻撃を仕掛ける。左右の拳が光の軌跡を描きながら化け物を打ち続けた。
「タケンドルおじさんの言う通りだよ!子供は成長するから美しいのー!」
一撃一撃に想いを込めて、エリーゼは戦い続けた。
「笑ったり泣いたり、怒ったり喜んだり、それが子供なの!」
化け物の氷の装甲にひびが入り始める。
「止まってちゃダメなんだよ!動いて、変わって、大きくなるんだよ!」
エリーゼの最後の一撃が化け物の胸を貫いた。ガントレットから放たれた光が化け物の全身を包み込み、氷の化け物は光の粒子となって消えていった。
「やったあー!」
エリーゼが地面に降り立つ。息は荒いが、その瞳には勝利の光が宿っていた。
その瞬間、リザベルの屋敷で氷の結晶が砕ける音が響いた。
ーーーーー
リザベルを倒した後アキトたちはリザベルの屋敷の地下の隠し部屋に駆けつけた。
「ロゼ!」
エリーゼが駆け寄ると、氷から解放されたロゼが目を覚ました。
「エリーゼお姉ちゃん...?」
「ロゼー!よかったあ!」
エリーゼがロゼを抱きしめる。その温かさが、本当の命の輝きだった。
タケンドルも氷から解放され、村の各所から子供たちの声が聞こえてきた。しかし、それは村の子供たちの声だった。
「みんな無事だったのか...」
タケンドルが安堵の表情を見せるが、その目にはまだ深い悲しみがあった。
「あの...」
アキトがタケンドルに近づいた。
「疑って、すまなかった」
「いえいえ、仕方ありませんよ。俺も怪しかったでしょうし」
タケンドルが苦笑いを浮かべる。
「あなたたちのおかげでこの村の子供たちを救えました。本当にありがとうございます」
「でも、あなたの孤児院の子供たちは...」
「ええ...まだ見つかりません。でも、諦めるわけにはいきません」
タケンドルの拳が強く握られた。
「きっと、どこかで俺を待ってくれている。俺は探し続けます」
「いえいえ、とても立派でした」
タケンドルがエリーゼに頭を下げた。
「あなたのような子供たちがいる限り、世界は希望に満ちています」
「えー、照れるなあー」
エリーゼが頬を染めながら笑った。
やがて夜が明け、村に平穏が戻った。
タケンドルは一人で旅立つことになった。まだ見つからない孤児院の子供たちを探すために。
「また会えるかなー?」
エリーゼが手を振る。
「きっと会えますよ。その時は、子供たちと一緒に来られることを願っています」
タケンドルが寂しげに微笑みながら答えた。
「うん!その時は、もーっと強くなってるからねー!子供たちを探すの、お手伝いするからー!」
「ありがとうございます。その言葉だけで、俺は頑張れます!」
タケンドルの背中に、荷物袋と子供たちのために作った人形たちが揺れていた。
エリーゼの元気な声が、朝の空に響いていった。
子供たちの成長する姿こそが、世界で最も美しいものだと、全員が改めて感じた一日だった。
しかし、タケンドルの旅はまだ続く。どこかで待っている子供たちのために。
リザベルは王国の法によって裁かれ、二度と子供たちに危害を加えることはなくなった。
そして、アキトたちは新たな人工虚核の脅威を知り、ティナとアルキメデスの調査がより重要になることを理解した。
平和な村に、再び子供たちの笑い声が響いている。
それは、希望という名の最も美しい音楽だった。




