5 憩い
ヴァルクライン連邦の研究区域にあるティナの工房は、いつになく重苦しい空気に包まれていた。作業台の上には、青い光を失った魔核の欠片が無数に散らばっている。タケルの最期に残されたそれらは、今や単なる青い石のように見えた。
「やはり...これは人工的に作られたものじゃ」
アルキメデスが小さな欠片を顕微鏡で覗きながら呟いた。人間の姿になった今でも、彼の博識は健在で、普通の魔核とは明らかに異なる構造を発見していた。
「人工的って...まさか」
ティナが手を止めた。彼女の表情には驚愕と不安が混じっている。
「ヴォイドを倒したはずなのに、虚核がまだ存在している。しかも人工的に作られているとなると...」
「誰かが意図的に虚核を製造している、ということじゃな」
アルキメデスの言葉に、工房の温度が数度下がったような気がした。
「でも、誰が?何のために?」
「それは分からん。じゃが、タケルが持っていた魔核を見る限り、製造技術はかなり高度じゃ。普通の研究者や錬金術師では不可能なレベルじゃろう」
ティナは青い欠片を手に取った。冷たく、生命力を感じさせないその石は、確かにリーネの精霊核やアキトたちの魔核とは全く異なる性質を持っていた。
「この技術が悪用されれば...」
「ああ、第二、第三のタケルが生まれる可能性がある」
二人の表情が暗くなった。タケルの悲劇的な最期を思い出し、同じことが繰り返される恐怖に身震いする。
「すぐにアキトたちに知らせないと」
「そうじゃな。しかし、今の彼らには少し時間が必要かもしれん」
アルキメデスは窓の外を見た。そこには、まだ重い表情をしたアキトとリーネの姿が見える。
ーーーーー
ヴァルクライン連邦郊外の小さな村。緑豊かな広場では、子供たちの無邪気な笑い声が響いていた。
「エリーゼお姉ちゃん、今度は私が鬼ね!」
短い栗色の髪をした少女—ロゼが元気よく手を上げた。年齢は十歳ほどで、落ち着いた紺色のワンピースを着ている。その瞳は澄んでいて、笑顔は見る者の心を和ませる純粋さに満ちていた。
「ふふ、分かった!でも私を捕まえるのは大変だからね?」
十二歳のエリーゼが悪戯っぽく微笑む。金色の髪が風になびき、その美しさは年齢を超えた気品を漂わせていた。
「アキトお兄ちゃんとリーネお姉ちゃんも一緒にやろうよ!」
ロゼの提案に、少し離れた場所にいたアキトとリーネが苦笑いを浮かべた。タケルの件以来、二人は重い心を抱えていたが、エリーゼに頼まれてこの村まで付き添っていた。
「えー、でも俺たちが参加したら不公平じゃない?」
アキトが困ったような表情を見せる。
「大丈夫よ!私たちは強いもん!」
ロゼの自信満々な言葉に、エリーゼがクスクスと笑った。
「それじゃあ、やってみよっか!」
「よーい...スタート!」
ロゼの合図と共に鬼ごっこが始まった。エリーゼは軽やかに跳躍し、まるで舞うように広場を駆け回る。その身体能力は人間離れしており、普通の子供では到底追いつけない速度だった。
アキトも負けていない。白銀のフェニックスの魔核を得てから、彼の身体能力はさらに向上していた。軽い身のこなしで樹木の間を縫うように移動していく。
リーネに至っては、元炎の獅子だけあって、その敏捷性は圧倒的だった。まるで本当の獣のように靭やかに走り回り、時には木の枝から枝へと飛び移る。
「わあああ!すごいすごい!」
ロゼは目を輝かせて三人の動きを見つめていた。まるでサーカスを見ているかのような興奮で、手をパチパチと叩いている。
結果的に、ロゼは誰一人として捕まえることができなかった。しかし、彼女の表情には不満ではなく、純粋な感動が浮かんでいる。
「すごいね、みんな!まるで妖精さんみたい!」
「ふふ、ありがと!でも今度はかくれんぼをしない?そっちの方が公平だもん」
エリーゼの提案で、今度はかくれんぼが始まった。広場には古い大きな樫の木や石の祠、小さな小屋などが点在しており、隠れる場所には事欠かない。
「じゃあ私が鬼だね!みんな、100まで数えるから隠れてよ!」
エリーゼが樫の木に背を向けて数を数え始める。
「1、2、3...」
その間に、アキト、リーネ、ロゼはそれぞれの隠れ場所を探し始めた。アキトは石の祠の陰に身を潜め、リーネは小屋の屋根の上に登る。そしてロゼは...
その時、広場の入り口から明るい声が響いた。
「あらあら、楽しそうね〜♪」
振り返ると、茶色の髪をカールさせた可愛らしい女性が、大きなケーキの箱を抱えて現れた。シフォンだった。
「あ、シフォンお姉ちゃん!」
ロゼが手を振る。
「こんにちはー、シフォンー」
エリーゼも嬉しそうに挨拶した。
「みんなで何してるの?」
「かくれんぼだよー!一緒にやる?」
「いいの?じゃあお言葉に甘えて—」
シフォンがそう言いかけた時、突然顔が青ざめ、そのまま床にばたりと倒れた。
「シフォン!?」
「え、ちょっと!大丈夫!?」
アキトとリーネが慌てて駆け寄る。ロゼも心配そうに覗き込んだ。
「おい、人が倒れたぞ!!」「し、死んじゃったの!?」
みんなが騒然とする中、倒れたシフォンがゆっくりと目を開けた。
「あ〜...やっちゃった」
「シフォン!大丈夫か!?」
「えへへ〜、お薬飲み忘れてました〜♪」
シフォンは苦笑いを浮かべながら、小さな薬瓶を取り出した。中には白い錠剤が入っている。
「持病の薬なの。たまに忘れちゃって〜。みんなごめんね」
薬を飲むと、シフォンの頬にみるみる血色が戻ってきた。
「もう!心配したじゃない!」
リーネが怒ったような、でも安堵したような表情で言った。
「ふふっ、ありがと。でも大丈夫よ、慣れてるから」
シフォンは立ち上がりながら、まるで何事もなかったかのように明るく笑った。
「それじゃあ改めて、私も混ぜてもらえる?」
「もちろんだよー!」
エリーゼが嬉しそうに答えた。
「でも、シフォンお姉ちゃんを捕まえるのは大変そうだなー」
ロゼが心配そうに言った。
「大丈夫大丈夫!私は隠れるのが得意なの♪」
シフォンが悪戯っぽく微笑む。
「それじゃあ、仕切り直しー!今度はシフォンお姉ちゃんも一緒だよー!」
エリーゼが改めて樫の木に背を向けた。
「あれー?ロゼはどこに隠れちゃったのかな?」
エリーゼが振り返った時、ロゼの姿はどこにも見えなかった。まるで忍者のように完全に気配を消している。
「98、99、100!もういいかい?」
「まーだだよー!」
ロゼの声が聞こえるが、その方向すら分からない。
エリーゼは広場を丁寧に探し回った。普通の隠れ場所はすべて確認したが、ロゼの姿はない。
「参ったわね...」
その時、頭上から小さな笑い声が聞こえた。見上げると、なんとロゼは樫の木のてっぺん近くの枝に座っていた。
「すごーい!よく登れたね!」
「えへへ、私、木登りは得意なの!お父さんに教えてもらったの」
ロゼが誇らしげに胸を張る。その笑顔は太陽のように明るく、見ている者の心を温かくした。
しばらく遊んだ後、五人は広場の中央に座り込んで休憩した。
「ねえ、エリーゼお姉ちゃん。お姉ちゃんの夢って何?」
ロゼが無邪気に尋ねる。
「夢?そうだなー...みんなが幸せに暮らせる世界を作ることかな」
「わあ、素敵!私の夢はね、お花屋さんになることなの。お母さんのお手伝いをしてるうちに、お花が大好きになったの」
ロゼの瞳がキラキラと輝いている。
「きっと素敵なお花屋さんになれるよー」
エリーゼが優しく微笑む。
「アキトお兄ちゃんの夢は?」
「俺は...みんなを守れる強い人になることかな」
アキトの表情に、一瞬タケルの影がよぎったが、ロゼの前では明るく振る舞った。
「リーネお姉ちゃんは?」
「私?私はアキトと一緒にいることよ」
「わあ、恋人さんなの?」
ロゼの素直な質問に、リーネの顔が真っ赤になった。
「そ、そんなんじゃないわよ!」
「でも顔が赤いよ?」
「う、うるさいわね!」
三人の大人たちの微笑ましいやり取りを見て、ロゼは嬉しそうに笑った。
夕日が村を茜色に染める頃、楽しい時間も終わりを告げようとしていた。
「もうこんな時間だねー。ロゼ、お家の人が心配するから帰ろっか」
エリーゼが立ち上がる。
「うん!今日はとっても楽しかった!また遊んでね!」
ロゼが手を振りながら言った。その笑顔は一日中絶えることがなく、純粋な喜びに満ちていた。
「もちろんだよー!今度はもーっと長い時間遊ぼうね」
「約束だよ!」
ロゼは小さな手を差し出し、エリーゼと指切りをした。その仕草は幼く、見ているだけで心が和む。
「それじゃあ、気をつけて帰るんだよー」
「はーい!」
ロゼは元気よく返事をすると、小さな足で村の小道を歩いて行った。紺色のワンピースが夕暮れの中で揺れ、その後ろ姿は本当に可愛らしかった。
アキト、リーネ、エリーゼ、シフォンの四人は、ロゼが見えなくなるまで手を振り続けた。
「いい子だねー、ロゼって」
「ああ、本当に純粋で...」
アキトの声が少し翳った。タケルも、あの年頃は純粋だったのだろうか。そんなことを考えてしまう。
「アキト?」
リーネが心配そうに見つめる。
「いや、何でもない。帰ろうか」




