3 暴走する力
ヴァルクライン連邦の東街区で、血と土煙が舞い踊っていた。
「ぐああああ!」
盗賊の男が壁に叩きつけられ、口から血を吐いた。既に左腕は不自然な角度に曲がり、顔は腫れ上がって原形を留めていない。
「まだだ!まだ喋れるだろう!」
タケルが青い魔核を握りしめ、漆黒の大剣を振り上げた。刀身に青黒い魔力が渦巻き、禍々しい光を放っている。
「や、やめてくれ...もう何も...」
「嘘をつくな!仲間のアジトを吐けと言っている!」
タケルの顔は完全に歪んでいた。かつての人見知りで控えめだった青年の面影は、もうどこにもない。
「本当に...知らないんだ...俺は末端の...」
「末端だと?」
タケルの瞳が冷たく光った。
「末端の分際で俺様に生意気な口を利くのか?」
大剣が唸りを上げて振り下ろされる。刃は盗賊の頭上数センチで止まったが、風圧だけで男の頬に傷ができた。
「ひいいい!」
「そうだ、その顔だ。弱い奴は弱い奴らしく、強い者に従えばいいんだ」
タケルの口元に、残酷な笑みが浮かんだ。
「タケル、やりすぎよ!」
その時、街の向こうからシフォンの声が響いた。ケーキの配達途中だった彼女が、異常な騒ぎを聞いて駆けつけたのだ。
「あら...これは...」
シフォンは目の前の光景に言葉を失った。建物の壁には血飛沫が付着し、盗賊は瀕死の状態で倒れている。
「シフォン?何でここに...」
「配達の途中よ。でも、これはちょっと...」
シフォンの表情が曇った。確かに盗賊は悪いことをしたのだろうが、これはあまりにも一方的すぎる。
「関係ないだろ。お前には」
タケルの声が低くなった。
「関係ないって...でも、この人もう動けないじゃない」
「動けない?」
タケルは盗賊を見下ろした。男は既に気を失いかけている。
「ああ、確かにな。じゃあ、息の根を止めてやるか」
「え?」
タケルが大剣を盗賊の首に向けた時、シフォンが慌てて間に入った。
「待って!それはダメよ!」
「どけ、シフォン」
「ダメ!もうやめて!」
シフォンはタケルの腕を掴んだ。その瞬間、タケルの表情が激変した。
「邪魔をするな!」
タケルが腕を振り払うと、シフォンの小さな体が宙に舞った。
「きゃあ!」
シフォンは石畳に叩きつけられ、膝と手のひらを擦りむいた。小さな薬瓶が地面に転がり、中身が散らばる。
「シフォンさん...」
我に返ったタケルが呟いた。しかし、その瞬間の後悔は、すぐに別の感情に置き換わった。
「そうだ...俺が悪いんじゃない。邪魔をするお前が悪いんだ」
青い魔核が、これまでにないほど強く脈動した。
「タケル!」
その時、ギルドの他のメンバーたちが現場に到着した。アキト、リーネ、ルカス、エリーゼが血相を変えて駆けつけてくる。
「何をやっている!」
ルカスの怒声が響いた。
「あ...ルカスさん...」
「これはどういうことだ?」
ルカスは倒れている盗賊と、傷ついたシフォンを見た。状況は一目瞭然だった。
「盗賊が抵抗したので...」
「抵抗?これが抵抗への対処か?」
「でも、こいつが生意気な口を...」
「生意気だから殺していいのか!」
ルカスの声に、これまで聞いたことのない怒りが込められていた。
「ルカス、俺は間違ったことはしていない」
タケルは青い魔核を握りしめた。その力が、彼に間違った自信を与えていた。
「間違っていない?シフォンまで傷つけて?」
「あいつが邪魔をしたからだ!俺の邪魔をする奴が悪い!」
その言葉に、全員が絶句した。
「タケル...」
アキトが悲しそうに呟いた。
「お前、何を言っているんだ?」
「何って...俺は強くなったんだ。強い者が正しいんだろう?」
タケルの瞳に、狂気の光が宿っていた。
「強さ...それが強さだと思っているのか?」
「そうだ!力こそが全て!俺はもう弱い人間じゃない!」
青い魔核の光が、タケルの全身を包み始めた。
「タケル...」
リーネが心配そうに見つめる。かつて自分たちが戦ったヴォイドの時と、どこか似たような異様な雰囲気を感じていた。
「ルカス」
アキトが口を開いた。
「これ以上は...」
「ああ」
ルカスは重い表情で頷いた。そして、タケルに向き直る。
「タケル、お前をギルド“鉄の絆”から追放する」
その宣告が下された瞬間、タケルの中で何かが弾けた。
「追放?俺を?」
タケルの声が震えていた。青い魔核が激しく脈動し、その度に過去の記憶が津波のように押し寄せてくる。
(また無視された...また、俺だけ...)
小学生の頃の教室。一人だけ仲間外れにされ、みんなに笑われた屈辱的な日々。休み時間はいつも一人で本を読み、給食も一人で食べていた。
(お母さん、見て見て...)
家に帰っても、両親は弟の話ばかり。弟が取ってきたテストの点数、弟が描いた絵、弟の友達の話。自分が何を話しても、「後でね」「今忙しいの」と言われ続けた。
(俺は...俺は認められたくて...ただ、強くなりたかっただけなのに...!)
転生した時の希望。異世界なら、きっと自分も主人公になれる。みんなに認められ、尊敬される存在になれる。そう信じていたのに...
「俺が...俺がこれだけ頑張ったのに?」
「頑張った?これのどこが頑張りだ?」
「うるさい!うるさい!うるさい!」
タケルが叫んだ。その瞬間、青い魔核が激しく脈動し、黒い魔力がタケルの全身を駆け巡った。
「俺は...俺は悪くない!悪いのはお前たちだ!俺を認めないお前たちが!」
青い魔核がより激しく脈動し、タケルの理性が崩れ始めた。
(弱い自分はもう嫌だ...誰も俺を見てくれなかった...)
過去の孤独、理不尽な扱い、無視され続けた日々。それら全てが今の行動を正当化していく。魔核の力が暴走を加速させ、理性よりも「強くあろうとする自分」を優先させていく。
(力があれば...力があれば誰も俺を馬鹿にできない...)
盗賊への暴力も、シフォンを突き飛ばしたことも、全ては弱い自分を捨てるため。認められるため。もう二度と、あの惨めな気持ちを味わわないため。
(強ければ...強ければ全て解決するんだ...!)
負の感情が爆発した。
憎悪、嫉妬、絶望、怒り——全ての負の感情が青い魔核と共鳴し、タケルの身体を変化させ始めた。




