遠い記憶の中の師
人工虚核の解析結果を見つめながら、わしは深いため息をついた。この技術の精巧さ、虚核を人工的に再現する高度な知識...まるでどこかで見たことがあるような。
「アルキメデス、どうしたの?」
ティナの声が遠くに聞こえる。わしの意識は、もう遥か昔の記憶の中にあった。
あれは何百年も前のことじゃった。わしがまだ名もなき孤児だった頃の話じゃ。
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その日も、わしは街の片隅で物乞いをしていた。腹は減り、体は汚れ、誰も見向きもしてくれない惨めな毎日じゃった。
街の広場では、商人たちが困り果てていた。
「誰か、この謎かけを解ける者はおらんのか!」
太った商人が叫んでいる。見ると、古い石板に複雑な魔法陣と数式が刻まれている。
「これが解けなければ、古代の宝庫は開かん。報酬は金貨百枚じゃ!」
何人もの学者や魔法使いが挑戦したが、誰も解けずにいた。
わしは興味本位で石板を覗き込んだ。魔法陣の構造、数式の配列...なるほど、これは。
「あの...」
わしが小さく手を上げる。
「なんじゃ、坊主。邪魔するな」
商人が邪険に言う。
「これ、解けるかもしれません」
「はぁ?このガキが?」
周囲がざわめく。しかし、わしには確信があった。
「この魔法陣は、八つの要素の均衡を表している。数式は...そうじゃ、ここの値を逆算すれば」
わしは指で石板の一部を指す。
「この部分を時計回りに三回転、この数字を七に変更、そして最後にこの魔法陣を逆順で起動すれば...」
言い終わるやいなや、石板が光り始めた。そして、隠された宝庫への地図が現れる。
「ば、馬鹿な...」
商人が絶句している。学者たちも唖然としていた。
「坊や、すごいじゃないか」
その時、優しい声がかけられた。振り返ると、白い髭を蓄えた老人が立っていた。
「君のような才能は久しぶりに見たぞ」
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老人は手を差し伸べた。そして、こう言った。
「坊や、わしの手伝いをしてくれんか?食事と寝床は用意しよう」
その手は、長年の研究で荒れていたが、温かかった。
「本当ですか?」
「本当じゃとも。ただし、わしの研究は少々...変わっておるぞ」
老人が微笑む。その時、彼は考えるような仕草を見せた。眉間に指を当て、何かを思案するような癖じゃった。
「構いません。何でもします」
わしは迷わず老人の手を取った。
「わしの名前はセレスティウスじゃ。君の名前は?」
「名前なんてありません」
「そうか。では、アルキメデスと呼ばせてもらおう。先ほどの謎解きを見る限り、その名に相応しい」
こうして、わしの新しい人生が始まった。
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師匠の研究所は、街外れの古い建物だった。中に入ると、見たこともない実験器具や古い書物が所狭しと並んでいる。
「ここがわしの研究室じゃ。君には掃除や整理を手伝ってもらおう」
師匠が説明する。
「師匠は何を研究されているんですか?」
「魔核と呼ばれる石を使って、武器や道具を作り出す技術じゃ」
師匠が手のひらサイズの青い石を見せてくれる。
「魔物を倒した時に手に入る石でな。この中には魔物の力が宿っている」
「それで何ができるんですか?」
「これを使って、人が魔物と同じ力を使えるようにできないか研究しておるのじゃ」
師匠が眉間に指を当てて考え込む。この仕草は、難しい問題に直面した時の師匠の癖だった。
「素晴らしい研究ですね」
「そう思うか?ありがとう、アルキメデス」
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師匠と過ごす日々は充実していた。昼間は研究の手伝い、夜は学問を教えてもらう。わしは読み書きから始まり、やがて魔法理論まで学ぶようになった。
「君は本当に飲み込みが早いな、アルキメデス」
「師匠の教え方が上手だからじゃ」
いつの間にか、わしは師匠の口調を真似するようになっていた。長い時間を共に過ごすうちに、自然と身についてしまったのじゃ。
「ほほう、わしの口調が移ったな」
「あ、すみません」
「いや、構わん。むしろ嬉しいぞ」
師匠は本当に優しい人だった。わしが失敗しても決して怒らず、根気強く教えてくれる。
そして、わしたちは研究に没頭した。朝から晩まで、魔核の性質を調べ、実験を重ねる。時には何日も徹夜で研究を続けることもあった。
「師匠、もう休まれては?」
「あと少しじゃ...あと少しで完成するんじゃ」
師匠の研究への情熱は、わしにも伝染した。いつしか、わしも師匠と同じように研究に熱中するようになっていた。
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時は流れ、わしも青年へと成長した。師匠との研究も順調に進み、魔核の力を武器に変換する基礎技術は完成した。
しかし、その頃から不穏な噂が聞こえ始めた。
「ヴォイドという存在が現れたらしい」
師匠が深刻な表情で言う。
「ヴォイド?」
「全てを無に還そうとする存在らしい。各地で被害が報告されている」
師匠が眉間に指を当てて考え込む。
「このままでは、人類が滅ぼされてしまうかもしれん」
「何か対策はないんですか?」
「今の技術では限界がある。もっと強力な力が必要じゃ」
その時、わしに一つのアイデアが浮かんだ。
「師匠、魔核の力をもっと直接的に利用できないでしょうか?」
「直接的に?」
「つまり、自分自身を魔力に変換して、魔核に宿らせるんです」
師匠の目が輝いた。
「なるほど...それなら魔物以上の力を得られるかもしれん」
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わしたちの新たな研究が始まった。自分の身体を魔力に変換し、魔核に宿らせる技術。これが後に精霊核と呼ばれることになる。
「アルキメデス、君のアイデアは素晴らしい」
「師匠と一緒だから思いつけたんじゃ」
研究は困難を極めた。人間の身体を魔力に変換するなど、前例のない技術だった。しかし、わしたちは諦めなかった。
「失敗しても構わん。何度でも挑戦するんじゃ」
師匠の言葉に励まされ、わしも必死に研究を続けた。
数年の歳月を経て、ついに技術が完成した。一つの大きな魔核を八つに分け、それぞれに特別な力を宿らせることに成功したのじゃ。
「ついにできたな、アルキメデス」
「はい、師匠」
「これでヴォイドと戦える。人類を救えるかもしれん」
師匠の瞳には、希望の光が宿っていた。
しかし、わしたちは知らなかった。この技術が完成したその瞬間から、師匠の運命は大きく変わってしまうことを。
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精霊核はそれぞれ適性のある者たちに託された。わしも風の梟の精霊核と運命を共にした。
「アルキメデス、君には知恵を司る精霊核が相応しい」
「ありがとうございます、師匠」
しかし、ヴォイドとの戦いは激しく、最終的に封印という形でしか決着をつけることができなかった。そして、戦いの後、精霊核は散り散りになってしまった。
「師匠、またお会いできますよね?」
「ああ、必ずじゃ。その時まで、この技術を正しく使う者たちを見守っていてくれ」
それが、師匠との最後の会話だった。
わしはその後長い間、精霊核の内で眠りにつく事となる。
ティナと出会うその日まで。
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「アルキメデス!アルキメデス!」
ティナの声で、わしは現実に引き戻された。
「どうしたの、ぼんやりして」
「すまん、ちと昔のことを思い出しておった」
わしは人工虚核の解析結果をもう一度見つめる。この技術の精巧さ、虚核を人工的に再現する知識...
「この人工虚核を作った者は、相当な技術者じゃな」
「そうね。ソウルフォージや精霊核の技術に匹敵するかも」
ティナが感心したように言う。
わしは答えられなかった。なぜなら、この技術には師匠の影が見えるからじゃ。しかし、師匠はもうこの世にはいないはず。数百年も前に別れた師匠が、まさか。
その時、師匠の眉間に指を当てる仕草が脳裏に浮かんだ。
「まさか...そんなはずはない」
わしは首を振って、雑念を払った。今は目の前の研究に集中せねばならん。
しかし、心の奥底で小さな不安がざわめいていた。もし、師匠の研究が何者かに悪用されているとしたら...
わしは震える手で、解析データをもう一度確認した。この技術を完成させるには、ソウルフォージと精霊核の両方の知識が必要じゃ。それを知っているのは、わしと師匠だけのはず...
「師匠...まさか、あなたの研究が悪用されているのですか?」
小さく呟いたその言葉は、誰にも聞こえることはなかった。