破綻と覚悟
「まだ...まだだ...」
シオンが血を拭いながら立ち上がった。オーガの一撃でダメージは深刻だったが、彼の瞳には諦めの色はなかった。
「グオオオ!」
オーガが再び咆哮を上げ、棍棒を振り上げる。今度は真上から叩き潰すつもりだった。
「来い!」
シオンが風魔法で加速し、オーガの懐に飛び込む。棍棒が振り下ろされる瞬間、間一髪で回避した。
「今だ!」
風の剣がオーガの脇腹を斬りつける。今度は魔法で刃を強化していたため、深い傷をつけることができた。
「グルルル...」
オーガが怒りで目を血走らせる。そして、片手でシオンを掴もうとした。
「させるか!」
シオンが魔法で跳躍し、オーガの手を回避する。そのままオーガの肩に着地し、首筋に向けて剣を突き立てた。
「これで...」
しかし、オーガの皮膚は予想以上に硬く、剣は途中で止まってしまった。
「やば...」
オーガが肩に手をやり、シオンを掴もうとする。シオンは慌てて剣を抜いて飛び降りたが、着地に失敗して転倒した。
「ぐっ...」
その隙を、オーガは見逃さなかった。足でシオンを踏み潰そうとする。
「危険だ!」
アキトがついに動こうとしたその時、ゼノの手が彼を制止した。
「まだ早いよ」
「でも...」
「見てなって。この子、まだ諦めてない」
確かに、シオンは最後の力を振り絞って転がり、オーガの足を回避していた。
「はあ...はあ...」
シオンは息も絶え絶えだったが、まだ剣を握りしめている。
「もう一度...」
そして、最後の攻撃に出た。全ての魔力を風の刃に込めて、オーガの足首を狙う。
「うおおおお!」
風の刃がオーガの腱を切断した。巨体がバランスを崩し、前のめりに倒れる。
その瞬間、シオンは最後の力で跳躍し、倒れるオーガの頭部に剣を突き刺した。
「やった...」
オーガの巨体が地面に倒れ、動かなくなった。シオンも力尽きて、その場に座り込む。
「やるじゃない」
ゼノが拍手をしながら現れた。
「初回にしては上出来だよ」
「ありがとう...ございます...」
シオンは息も絶え絶えだったが、その顔には達成感が浮かんでいた。
「シオン!」
アキトが駆け寄り、シオンの怪我を確認する。
「大丈夫か?怪我が...」
「大丈夫です、アキトさん」
シオンが笑顔を見せた。
「俺...やりました。一人でオーガを倒しました」
その言葉には、今までにない自信が込められていた。
オーガ戦から戻る道中、シオンの様子に微細な変化が現れていた。
「アキトさん」
歩きながらシオンが声をかける。
「今の戦い方、どうでしたか?正しかったですか?」
「ああ、立派だった」
「本当に?間違いはありませんでしたか?」
「シオン、どうして何度も聞くんだ?」
「いえ...その...」
シオンが言葉を濁す。
「一人で戦ったのは初めてで、不安で...アキトさんがいてくれれば安心なんですが」
「でも君は勝ったじゃないか」
「はい、でも...もしアキトさんがいなくて、失敗していたら...」
その言葉に、アキトは少し違和感を覚えた。勝利した後なのに、なぜシオンは不安そうなのだろう。
ーーーーー
それから数日間、シオンの様子がさらに変わった。
朝の訓練では、以前より積極的に技を仕掛けてくる。その動きには、実戦で得た経験が活かされていた。
「いいじゃない、その動き」
ゼノがシオンの剣を受けながら言った。
「実戦の感覚が身についてきてる」
「はい!オーガとの戦いで、色々なことが分かりました」
シオンの瞳が輝いている。
「もっと強くなりたいです」
しかし、訓練が終わると、シオンは必ずアキトの元に来た。
「今の動き、正しかったですか?」
「ああ、とても良かった」
「本当に?どこか間違っていませんでしたか?」
「シオン、なぜそんなに気にするんだ?」
「俺一人だと、正しいかどうか分からなくて...アキトさんに確認してもらえると安心するんです」
その日も、その次の日も、シオンは同じように確認を求めてきた。
「アキトさん、この構えで合ってますか?」
「アキトさん、魔力の使い方、間違ってませんか?」
「アキトさん、俺のやり方で大丈夫ですか?」
最初は些細なことだったが、次第にその頻度が増していった。
ーーーーー
一週間後、シオンの依存症状は明らかになっていた。
アキトが少しでも目を離すと、不安そうな表情を浮かべる。一人では何も決められず、常にアキトの指示を求めるようになっていた。
「アキトさん、この魔物はどう倒せばいいですか?」
「アキトさん、こっちとあっちの道、どちらが正しいですか?」
「アキトさん、俺の剣の構えは正しいですか?」
些細なことまで全てアキトに確認を求め、自分では何も判断しようとしない。
「シオン、自分で考えてみろ」
アキトが困惑していると、シオンは不安そうに眉を寄せる。
「でも、間違ったら...」
「間違っても大丈夫だ」
「でも、アキトさんがいてくれた方が安心できます。一人だと...一人だと怖いんです」
その言葉に、アキトは胸の痛みを感じた。これは健全な関係ではない。
リーネも心配していた。
「シオンくん、ちょっと依存しすぎじゃない?」
「依存?」
「アキトがいないと何もできないじゃない」
「でも...アキトさんがいてくれると安心できるんです。俺、またオーガの時みたいに一人で戦うことになったら...失敗するかもしれません」
「そんなことないよ。あの時、シオンくんは立派に戦ったじゃない」
「でも、それはたまたまで...次も上手くいくかわからないんです」
リーネの忠告も、シオンには届かなかった。
ーーーーー
「これはマズいね」
ゼノがアキトに忠告した。
「君の過保護が、この子の自立心を完全に奪ってる」
「そんなことは...」
「あるよ。見てなって、この子、君がいないと何もできなくなってる」
確かに、ゼノの指摘は的確だった。シオンは以前より強くなったが、同時にアキトへの依存も深くなっていた。
「でも、どうすればいいんだ?」
「簡単だよ。突き放すんだ」
「突き放す?」
「そう。一人にして、自分で考えさせる」
「それは危険すぎる」
「危険?君がそうやって甘やかすから、この子が自立できないんでしょ」
ゼノの言葉は厳しかったが、真実を突いていた。
「君の優しさが、この子を弱くしてる」
「俺は...」
「君はこの子を守りたいのか?それとも弱いままにしておきたいのか?」
その問いかけに、アキトは答えられなかった。
ーーーーー
そんなある日、ギルドに緊急の依頼が舞い込んだ。
「人工虚核を埋め込まれた魔物が現れた」
ルカスが深刻な表情で報告した。
「場所はヴァルクライン連邦の東部。Aランク相当の脅威だが、通常の魔物とは明らかに異なる能力を示している」
「人工虚核を?」
アキトが驚いた。タケルの事件以来、人工虚核の脅威は常に懸念されていたが、ついに新たな形で現れたのだ。
「ソウルフォージのような能力を使う魔物だ。武器を生成し、戦術的な行動を取る」
「それは...」
「君とリーネで対処してもらいたい。俺も同行する」
「分かった」
アキトが頷く。しかし、その時シオンが前に出た。
「俺も行きます」
「シオン?」
「お願いします。俺にも戦わせてください」
「でも、人工虚核の魔物は危険すぎる」
「でも...」
シオンの表情が暗くなる。また置いて行かれるのかという不安が浮かんだ。
「連れていきなよ。僕が後ろから見守っててあげるからさ、ね?」
ゼノが笑顔でアキトの肩に手を置く。その眼には鋭い光が宿っていた。
「分かった。でも、後方支援に回ってもらう」
「後方支援...」
シオンは不満そうだったが、同行できるだけでも良しとした。
「ありがとうございます」
ーーーーー
東部の森で、一行は異様な光景を目にした。
木々が氷漬けになり、地面には不自然な魔法陣が描かれている。そして、その中央に立っているのは...
「あれが...」
リーネが息を呑んだ。
立っているのは巨大な熊のような魔物だったが、その体には青い光を放つ結晶が埋め込まれていた。人工虚核だった。
「グルルル...」
魔物が唸り声を上げると、その手に氷の剣が現れた。明らかに、ソウルフォージに似た能力だった。
「ソウルフォージを使う魔物なんて...」
「これが人工虚核の力か」
アキトが白銀の剣を構える。
「シオン、絶対に下がっていろ」
「でも...」
「絶対にだ」
アキトの強い口調に、シオンは渋々頷いた。
戦闘が始まった。魔物は予想以上に強く、氷の剣を巧みに操って攻撃してくる。
「なんて動きだ」
リーネが炎の剣で応戦するが、魔物の戦術は人間のように計算されていた。
「まるで人間みたいに戦ってる」
アキトも苦戦していた。魔物の動きは読みにくく、攻撃パターンも複雑だった。
「ルカス、援護を!」
「ああ」
ルカスも剣を抜いて参戦する。しかし、三人がかりでも魔物は互角に戦っていた。
その時、魔物が新たな能力を使った。地面に魔法陣を描き、氷の槍を無数に生成したのだ。
「やばい!」
槍が一斉に襲いかかってくる。アキトたちは回避に専念するしかなかった。
しかし、一本の槍がアキトの脇腹を貫いた。
「がはっ!」
「アキト!」
リーネが駆け寄ろうとするが、魔物はその隙を見逃さなかった。氷の剣でリーネを襲撃する。
「リーネ、危険だ!」
ルカスがリーネを庇おうとするが、距離が遠すぎる。
リーネに氷の剣が迫った、その時だった。
「やめろ!」
シオンが飛び出してきた。
「シオン、下がれ!」
アキトが叫んだが、時すでに遅し。シオンは魔物と対峙していた。
「お前に...仲間を傷つけさせない!」
シオンが風の剣を構える。しかし、相手は人工虚核を持つ強敵だった。
「シオン、逃げろ!」
アキトが必死に叫ぶが、シオンは聞いていなかった。
そして、魔物の氷の剣がシオンに襲いかかる。
「ぐああああ!」
シオンが吹き飛ばされ、木に背中を打ちつけた。血が口から溢れ、意識が朦朧としている。
「シオン!」
アキトが駆け寄ろうとするが、魔物はそれを許さなかった。再び氷の槍を放ち、アキトの動きを封じる。
「くそ...」
アキトは自分の無力さを痛感していた。シオンを守ることも、戦闘を有利に運ぶこともできない。
この状況を打開するには...
ーーーーー
「アキト!」
リーネが叫んだ。
「シオンくんの動きを見て!」
確かに、シオンは倒れているが、まだ魔物の動きを見続けていた。その瞳には、諦めではなく、分析の光が宿っている。
「あの魔物...攻撃パターンに癖がある」
シオンが掠れた声で呟いた。
「氷の剣を構える前に、必ず右足に重心を移す」
「何?」
「魔法陣を描く時も、必ず同じ順序です。左上から時計回りに...」
シオンの観察眼は、戦闘中でも機能していた。
「その癖を利用すれば...」
「シオン」
アキトが振り返る。
「君の分析を聞かせてくれ」
「え?」
「君の判断を、俺たちに教えてくれ」
その言葉に、シオンの瞳が輝いた。
「分かりました!」
シオンが立ち上がる。怪我はしているが、その瞳には強い意志が宿っていた。
その時、アキトは重要なことに気づいた。
シオンを信じることと、守ることは違うということを。
「分かった、シオン」
アキトが決然と言った。
「君の指示に従う」
「え?」
「君が指揮を取れ。俺たちはそれに従う」
その言葉に、シオンは目を見開いた。
「でも...俺なんかが...」
「君にしか見えていないものがある。俺たちはそれを信じる」
アキトの言葉に、シオンの心に勇気が湧いてきた。
「分かりました!」
シオンが立ち上がる。怪我の痛みを押し殺して、魔物を見据えた。
「アキトさん、右側から攻撃してください。魔物が剣を構える瞬間を狙って」
「了解」
「リーネさんは左側から。魔法陣を描き始めたら、すぐに炎で妨害を」
「分かった」
「ルカスさんは後方から援護射撃を。俺が合図したら、一斉攻撃です」
三人が頷く。初めて、シオンが作戦の指揮を取った瞬間だった。
「行きます!」
シオンの合図で、三人が一斉に動いた。
アキトが右から白銀の炎で攻撃すると、予想通り魔物は右足に重心を移して氷の剣を構えた。
「今です!」
その隙をついて、リーネが左側から炎の斬撃を放つ。魔物は対応しきれず、左腕に深い傷を負った。
「グオオオ!」
魔物が怒って魔法陣を描き始める。しかし、シオンの予測通り、左上から時計回りだった。
「リーネさん、今です!」
リーネの炎が魔法陣を焼き払う。魔物の動きが一瞬止まった。
「ルカスさん!」
ルカスの剣が魔物の背中を貫いた。そして、最後にアキトの白銀の炎が、魔物の胸の人工虚核を直撃する。
「やった...」
魔物が崩れ落ちた。人工虚核が砕け散り、青い光が消えていく。
「シオン...やったな」
アキトがシオンに歩み寄った。
「俺...やりました」
シオンの顔に、今までにない自信が浮かんでいた。
「君の判断がなければ、俺たちは勝てなかった」
「本当ですか?」
「ああ。君は立派な冒険者だ」
その言葉に、シオンの瞳に涙が浮かんだ。
しかし、戦闘後、シオンはすぐにアキトに駆け寄った。
「アキトさん、今の指揮、本当に正しかったですか?」
「ああ、完璧だった」
「でも、もしかしたら間違っていたかもしれません。もしアキトさんがいなかったら、きっと失敗していました」
「シオン...」
「やっぱり俺一人では不安です。次も...次もアキトさんと一緒にいてもらえませんか?」
アキトの心には、まだ不安が残っていた。
シオンは確かに成長している。しかし、同時に彼への依存も深くなっていることも事実だった。
そんなアキトの心境を、ゼノは見抜いていた。
「まだ迷ってるね、アキト」
「何のことだ?」
「この子を一人にすることを、まだ怖がってる」
ゼノの指摘に、アキトは図星を突かれた思いがした。
「でも、それが当然だろう」
「当然?」
「仲間を守るのは当然のことだ」
「守る、か...」
ゼノが首を振る。
「君はまだ分かってないね」
ーーーーー
その夜、アキトは一人で考えていた。
今日の戦闘で、シオンの成長を実感した。彼の判断力、観察眼、そして勇気。どれも立派なものだった。
しかし、それでもアキトの心には恐怖があった。
(もしシオンが一人で戦って、怪我をしたら?)
(もし俺がいない時に、危険な目に遭ったら?)
(もし...もし死んでしまったら?)
タケルの最期が、頭に蘇ってくる。あの時の無力感、後悔、罪悪感。
「俺は...本当にシオンを信じられるのか?」
アキトの自問自答は続いた。理屈では分かっている。シオンを信頼し、任せることが必要だと。
しかし、感情がそれを許さなかった。
「明日...明日こそは」
アキトは決意を新たにした。しかし、その決意がどちらの方向を向いているのか、彼自身にも分からなかった。