衝突する想い
「君、この子を甘やかしすぎてない?」
ゼノの言葉が訓練場に響いた瞬間、その場の空気が凍りついた。
アキトの表情が硬くなり、シオンは戸惑いの色を隠せない。リーネとエリーゼも、事態の深刻さを察して固唾を呑んで見守っている。
「ゼノ、君に何が分かる」
アキトの声が低くなった。
「俺がどんな想いでシオンを指導しているか、君に分かるはずがない」
「ひゃはは、怖い顔しちゃって」
ゼノは相変わらず軽い調子だったが、その瞳は真剣だった。
「でもさ、アキト。君のその『想い』が、この子の成長を邪魔してるんじゃないの?」
「何だと?」
「だってそうでしょ?君、この子を一度も一人で戦わせたことないよね?」
ゼノの指摘は的確だった。確かにアキトは、シオンを単独で依頼に出したことが一度もない。
「それは安全のためだ。新人に無謀なことをさせるわけにはいかない」
「安全、安全って...それじゃあいつまで経っても強くなれないよね」
ゼノがシオンの方を向く。
「君はどう思う?今の指導方法で、本当に強くなれてる実感はある?」
シオンが言葉に詰まった。本音では、ゼノの言葉に共感する部分があったからだ。
「あの...」
「シオン、答える必要はない」
アキトがシオンを庇うように前に出る。
「俺の教育方針に口を出される筋合いはない」
「教育方針?」
ゼノの笑顔に、少しだけ冷たさが混じった。
「まあ、確かに君の方針だよね。『絶対に失わない』って方針」
「...何?」
「君、この子を失うのが怖いんでしょ?だから過保護になってる」
ゼノの言葉が、アキトの核心を突いた。
「前の後輩...タケルだっけ?あの子を失った罪悪感で、今度は過度に保護しようとしてる」
「黙れ!」
アキトが声を荒らげた。
「君にタケルのことを語る資格はない!」
「あー、図星だったね」
ゼノは涼しい顔をしている。
「でもさ、アキト。君のその罪悪感のせいで、この子の可能性を潰していいの?」
ーーーーー
二人の言い争いを聞きながら、シオンの心は複雑に揺れていた。
アキトがタケルという人を失った過去を持っていることは薄々感じていた。そして、自分がその代替品のように扱われているのではないかという疑念も抱いていた。
しかし、アキトの優しさや指導への情熱は本物だった。それは間違いない。
(でも...)
シオンは自分の心に正直になってみた。
(俺は、本当にこのままでいいんだろうか?)
故郷を失い、家族を失い、自分の無力さを痛感した。だからこそ強くなりたかった。人を守れる力を身につけたかった。
しかし、今の状況では、いつまで経っても守られる側のままだ。
「シオン」
ゼノが直接話しかけてきた。
「君は本当はどうしたいの?守られていたい?それとも守れるようになりたい?」
「俺は...」
シオンが口を開きかけた時、アキトが割って入った。
「シオンに余計なことを吹き込むな」
「余計なこと?」
ゼノの瞳が鋭くなった。
「君こそ、この子に余計な制限をかけてるんじゃないの?」
「いい加減にしろ、ゼノ」
アキトがついに限界に達した。
「君は何も分かっていない。指導者の責任を、仲間を失う痛みを...」
「分かってないって?」
ゼノの表情から笑顔が消えた。
「君こそ分かってないよ。強くなるってことがどういうことか」
「何だと?」
「強くなるには、失敗が必要なんだよね。痛い思いも、悔しい思いも、全部必要」
ゼノがシオンを指差す。
「でも君は、この子からその機会を全部奪ってる。それで強くなれるわけないでしょ」
「俺は...俺は間違っていない」
アキトの声が震えていた。
「シオンを守ることが最優先だ。強さなんて、後からついてくる」
「本当に?」
ゼノが首を傾げる。
「じゃあ聞くけど、君が守り続けて、この子はいつ独り立ちできるの?」
「それは...」
「十年?二十年?それとも一生?」
ゼノの問いかけに、アキトは答えられなかった。
「君がやってるのは指導じゃない。支配だよ」
「支配?」
「そう。君の罪悪感を慰めるために、この子の可能性を押さえつけてる」
その言葉に、アキトの理性が飛んだ。
「ふざけるな!」
アキトが白銀の剣を召喚する。その刃に、怒りの炎が宿った。
「君に何が分かる!仲間を失う痛みが、どれほど辛いか!」
「あー、やっと本音が出たね」
ゼノも構える。しかし、武器は出さない。
「君の痛みは分かるよ。でも、その痛みを理由に、この子の未来を潰していいの?」
「黙れ!」
アキトが剣を振るった。しかし、その剣はゼノには向かわず、地面に突き立てられた。
「俺は...俺は間違っていない...」
アキトの声が掠れていた。
ーーーーー
「アキト、君は本当に優しい人だと思うよ」
ゼノの声の雰囲気が変わった、今度は本当の温かさが込められていた。
「でも、その優しさが間違った方向に向かってる」
「何だって?」
「君の優しさは、この子を弱くしてる。本当の優しさっていうのはね...」
ゼノがシオンの方を向いた。
「時には厳しくすることなんだよね」
「厳しく?」
シオンが首を傾げる。
「そう。君は強くなりたいって言った。でも、強くなるには痛い思いをしなきゃいけない」
ゼノの瞳が狂気的に輝いた。
「失敗して、悔しがって、また立ち上がって。そうやって初めて本当の強さが身につくんだよね」
「でも、危険すぎる」
アキトがまだ抵抗している。
「もしシオンに何かあったら...」
「何かあったら、その時は助ければいいじゃん」
ゼノが肩をすくめる。
「何もしないで守るだけじゃ、この子は一生弱いままだよ」
「あの...」
シオンがついに口を開いた。
「俺、ゼノさんの言う通りだと思います」
「シオン?」
アキトが驚いた顔を向ける。
「俺、今のままじゃダメなんです」
シオンの声に、初めて強い意志が宿った。
「確かに、アキトさんの指導は丁寧で、安全で、とても勉強になります。でも...」
「でも?」
「俺、まだ一度も本気で戦ったことがないんです」
シオンの言葉に、アキトは言葉を失った。
「故郷で家族を失った時、俺は何もできませんでした。今も、結局は何もできていません」
「そんなことは...」
「あります!」
シオンが初めて声を荒らげた。
「俺はずっと、アキトさんの後ろに隠れているだけです。それじゃあ、家族を失った時と何も変わらない!」
その叫びに、アキトは胸を突かれた思いがした。
「俺は...俺は本当に強くなりたいんです。人を守れる力が欲しいんです」
シオンの瞳に涙が浮かんでいた。
「だから、お願いします。俺を信じてください」
「よく言ったね!」
ゼノが手を叩いた。
「それでこそ話が早いよね。じゃあ、提案があるんだ」
「提案?」
「君、俺と一緒に訓練しない?本気の」
ゼノの提案に、アキトの顔色が変わった。
「待て、ゼノ。君の訓練は危険すぎる」
「危険?ひゃはは、何言ってるの?」
ゼノが笑う。
「確かに厳しいけど、死にはしないよ。でも...」
ゼノの表情が真剣になった。
「本気で強くなりたいなら、これくらいの覚悟は必要だよね」
「俺、やります」
シオンが即答した。
「お願いします、ゼノさん」
「よし!じゃあ明日から特訓開始だね」
ゼノが嬉しそうに手をこすり合わせる。
「まずはBランクの魔物との実戦からかな」
「Bランク?」
アキトが愕然とした。
「いきなりBランクは無謀すぎる」
「そう?でも、実戦に勝る訓練はないよね」
「だが...」
「大丈夫、大丈夫。俺がついてるから」
ゼノがひらひらと手を振る。
「死なない程度に痛い目に遭わせてあげるから」
その言葉に、アキトは頭を抱えた。
ーーーーー
その夜、アキトは一人で訓練場に立っていた。白銀の剣を握りしめながら、今日の出来事を振り返っている。
「俺は...間違っていたのか?」
背後から足音が聞こえた。振り返ると、リーネが立っている。
「アキト」
「リーネ...」
「ゼノの言葉、気にしてるの?」
リーネがアキトの隣に座った。
「あいつの言う通りかもしれない」
アキトが重い口を開いた。
「俺は、シオンを守ることばかり考えて、彼の気持ちを無視していた」
「そんなことない」
「いや、ある」
アキトが自嘲気味に笑った。
「俺は、タケルを失った罪悪感から、シオンを過保護にしていた。それは確かだ」
「でも、それはアキトが優しいから...」
「優しさ?」
アキトが首を振る。
「これは優しさじゃない。俺のエゴだ」
「エゴ?」
「俺が安心したいだけだ。シオンが安全なところにいれば、俺は罪悪感を感じなくて済む」
その言葉に、リーネは何も言えなかった。
「タケルの時も、もっと厳しく指導していれば、もっと彼を信頼していれば...」
「アキト...」
「今度こそ、正しい指導をしなければならない」
アキトの瞳に、新たな決意が宿った。
「シオンを信じて、任せてみよう」
ーーーーー
翌朝、訓練場にゼノとシオンが立っていた。アキトも少し離れた場所で見守っている。
「よし、じゃあ始めようか」
ゼノが軽く手を叩く。
「まずはウォームアップ。君の実力を見せてもらおうか」
「はい!」
シオンが風の剣を召喚する。その動きに、昨日までにはなかった気迫が込められていた。
「ソウルフォージ」
ゼノも武器を召喚した。現れたのは、両手に持つ長鎌。刃は血のように赤く、見るからに危険そうだった。
「行くよ〜」
ゼノが軽やかに跳躍する。その速度は、シオンの目で追うのがやっとだった。
「速い!」
シオンが風魔法で回避しようとするが、ゼノの動きは予想を上回っていた。
「甘いよね〜」
ゼノの鎌がシオンの頬を掠める。浅い傷だが、血が滲んだ。
「あ...」
「集中!戦闘中によそ見は禁物だよ」
ゼノが追撃を加える。今度は足を狙った攻撃だった。
シオンは慌てて剣で受けるが、バランスを崩して転倒してしまう。
「はい、一本〜」
ゼノの鎌がシオンの喉元に突きつけられる。
「ま、最初にしては悪くないかな」
「俺...全然歯が立ちませんでした」
シオンが悔しそうに立ち上がる。
「当たり前だよね。君、実戦経験がなさすぎ」
ゼノが鎌をくるくると回す。
「でも、素質はあるよ。その悔しがり方、いいじゃない」
「本当ですか?」
「本当本当。じゃあ、次は実戦に行こうか」
「実戦?」
「そう。森にオーガが出るって情報があるんだよね。Bランクの魔物だけど、君なら大丈夫でしょ」
その言葉に、アキトが身を乗り出した。
「ゼノ、オーガは危険すぎる」
「大丈夫だって。俺がついてるし」
「でも...」
「アキトさん」
シオンが振り返った。
「俺、やってみたいです」
「シオン...」
「お願いします。俺を信じてください」
シオンの真剣な眼差しに、アキトは逡巡した。
そして、ついに頷く。
「分かった。でも、無理は絶対にするな」
「はい!ありがとうございます!」
シオンの笑顔が、太陽のように輝いていた。
ーーーーー
ヴァルクライン連邦郊外の深い森。シオンとゼノが、オーガの痕跡を探していた。アキトも後方から見守っている。
「いたいた」
ゼノが指差した先に、巨大な人型の化け物がいた。オーガだった。
身長は三メートルを超え、筋肉質な体に粗末な腰布を巻いている。手には巨大な棍棒を持ち、醜い顔で唸り声を上げていた。
「あれが...オーガ」
シオンが緊張で声を震わせる。
「怖い?」
「いえ...興奮してます」
シオンの答えに、ゼノが嬉しそうに笑った。
「いいじゃない、その答え。じゃあ、行ってみようか」
「一人で?」
「もちろん。でも、僕はすぐ近くにいるから」
ゼノが木の陰に隠れる。
「頑張って〜」
シオンが深呼吸をして、オーガに向かって歩き出した。
「ソウルフォージ」
風の剣が手に現れる。しかし、オーガを前にすると、その剣がとても小さく見えた。
「うおおおお!」
オーガがシオンに気づいて咆哮を上げる。そして、巨大な棍棒を振り下ろしてきた。
「うわあああ!」
シオンが横に飛んで回避する。棍棒は地面を砕き、大きな穴を作った。
「速さで勝負だ!」
シオンが風魔法で加速し、オーガの足元に斬りつける。しかし、刃は硬い皮膚に阻まれ、浅い傷しかつけられなかった。
「硬い!」
「グルルル...」
オーガが怒って、今度は横薙ぎに棍棒を振った。シオンは咄嗟に剣で受けるが、その衝撃で数メートル吹き飛ばされる。
「がはっ!」
シオンが木に背中を打ちつけて、血を吐いた。
「シオン!」
アキトが駆け寄ろうとするが、ゼノに制止される。
「待って。まだ終わってないから」
確かに、シオンはまだ立ち上がろうとしていた。
「まだ...まだだ...」
シオンが剣を握りしめて立ち上がる。全身が痛むが、諦める気はなかった。
「今度は...今度こそ...」
シオンの瞳に、諦めない意志が宿っていた。