1 英雄の敗北
新たな仲間タケルと共にアキトたちの新しい冒険がはじまります!
「勝負あり!」
ヴァルクライン連邦の冒険者ギルド「鉄の絆」の訓練場に、審判の声が響いた。
土煙が舞い上がる中、一人の青年が膝をついていた。蓮城アキト——かつてヴォイドを倒し、世界を救った英雄。その彼が、今、完全に打ちのめされていた。
「あ、アキトさん...」
勝者である佐藤タケルは、自分の手を見つめていた。その手に握られているのは、青く禍々しく光る魔核。勝利の陶酔感と、どこか言いようのない違和感が彼の心を支配していた。
「まさか...アキトが負けるなんて...」
観客席から、ギルドメンバーたちの驚きの声が漏れる。赤い髪の美女——リーネが心配そうにアキトに駆け寄った。
「もう、アキトったら!大丈夫なの?」
「ああ...ちょっと、予想以上だった」
「全っ然ダメじゃない。私がいないとこんなものなのね〜」
リーネは呆れたような、でもどこか心配そうな表情でアキトを見つめた。
アキトは苦笑いを浮かべながら立ち上がった。手首の銀色の腕輪——ギルド提供の汎用魔核は、既に光を失っている。一方、タケルの魔核は依然として青い光を放ち続けていた。
「タケル...その魔核、どこで手に入れたんだ?」
アキトの問いに、タケルの表情が一瞬曇った。
「これは...友人から譲ってもらったものです」
嘘だった。そして、タケルは自分が嘘をついていることに、なぜか罪悪感を感じなかった。むしろ、勝利の余韻に浸っていた。
「俺が...アキトさんに勝った...」
その時、魔核が温かく脈動した。まるでタケルの感情を称賛するように。
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二ヶ月前
「すみません!すみません!」
ヴァルクライン連邦の郊外で、タケルは必死に仲間たちに謝っていた。Cランクの魔物討伐依頼で、彼のミスが原因で依頼が失敗に終わったのだ。
「タケル、大丈夫だよ。失敗は誰にでもある」
アキトは優しく声をかけたが、タケルには慰めの言葉すら重荷だった。
「でも、俺のせいで...」
「次頑張ればいいさ。俺だって最初はそうだった」
その時、タケルは心の中で思った。(アキトさんは転生者なのに、最初からすごかったんだろうな...)
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一ヶ月半前
「お疲れ様です!ケーキの配達に来ました〜♪」
ギルド“鉄の絆”に、明るい声と共に茶色の髪をカールさせた可愛らしい女性が現れた。手には大きなケーキの箱を抱えている。
「あら、シフォンじゃない。また来たのね〜」
リーネが少し上から目線で迎えた。シフォンは「スイート・ドリーム」というケーキ屋で働いており、ギルドの打ち上げや誕生日の度にケーキを届けてくれる馴染みの存在だった。
「今日はアキトさんの初依頼成功記念日でしたっけ?特製のチョコレートケーキ、作ってきました〜♪」
「ふ〜ん、まあまあの出来じゃない?」
リーネはケーキを見て、わざとらしく評価するような仕草を見せた。
「本当にいつもありがとう、シフォン」
アキトが礼を言うと、リーネは得意げに胸を張った。
「当然よね〜。アキトが頼んだんだから、最高のケーキじゃないと困るわ」
シフォンは悪戯っぽく微笑んだ。
「ふふっ、でもアキトさんとリーネさんはケーキよりも甘いですね〜♪」
「は、はあ!?な、何よそれ!」
リーネの顔が真っ赤になりながらも、どこか嬉しそうだった。
「べ、別にそんなんじゃないわよ!アキトはただの...その...」
「あはは、照れちゃって〜。でも素敵よ?お似合いだもの」
シフォンの視線が、隅の方でその様子を見ているタケルに向いた。彼の表情には、羨望と寂しさが混じっていた。
「あら、そこの彼は?」
「ああ、タケル。最近加入したメンバーだよ」
「タケルくん、初めまして♪ 私、シフォ——」
その時、シフォンの顔が急に青ざめ、そのまま床にばたりと倒れた。
「シフォン!?」
「え、ちょっと!大丈夫!?」
アキトとリーネが慌てて駆け寄る。タケルも心配そうに立ち上がった。
「し、死んじゃったの!?」「まさか毒でも!?」
ギルドが騒然とする中、倒れたシフォンがゆっくりと目を開けた。
「あ〜...やっちゃった」
「シフォン!大丈夫か!?」
「えへへ〜、お薬飲み忘れてました〜♪」
シフォンは苦笑いを浮かべながら、小さな薬瓶を取り出した。中には白い錠剤が入っている。
「持病の薬なの。たまに忘れちゃって〜。みんなごめんね」
薬を飲むと、シフォンの頬にみるみる血色が戻ってきた。
「もう!心配したじゃない!」
リーネが怒ったような、でも安堵したような表情で言った。
「ふふっ、ありがと。でも大丈夫よ、慣れてるから」
シフォンは立ち上がりながら、まるで何事もなかったかのように明るく笑った。
「それじゃあ改めて、タケルくん、初めまして♪ 私、シフォン」
「あ、はじめまして...」
タケルは呆然としながらも会釈した。
「今度、タケルくんの好きなケーキも作ってあげる。何が好き?」
「え、あの...僕なんかに、そんな...」
「遠慮しないで〜。みんな仲間でしょ?」
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一ヶ月前
「また失敗した...」
タケルは一人、ギルドの外で膝を抱えて座っていた。今日もBランクの依頼で足を引っ張り、危険な目に遭わせてしまった。
「あら、タケルくん?」
振り返ると、ケーキの配達を終えたシフォンが心配そうに見下ろしていた。
「シフォンさん...」
「どうしたの?まるで世界の終わりみたいな顔してるじゃない」
シフォンは隣に座り、優しく声をかけた。
「今日も依頼、うまくいかなかったの?」
「...はい。また、みんなに迷惑をかけてしまって」
タケルの声は沈んでいた。
「同期の冒険者たちはどんどん強くなってるのに、俺だけ取り残されてる気がして...」
「ふ〜ん。でも、焦っても仕方ないじゃない。みんなそれぞれペースがあるのよ」
「でも...」
タケルは拳を握りしめた。
「俺、実は転生者なんです」
「転生者?」
シフォンの目が、一瞬鋭く光った。しかし、タケルは気づかない。
「元は別の世界の人間で...異世界に来たら活躍できるって思ってたんです。小説みたいに」
「あはは、可愛い♪ でも現実は厳しかったってわけね」
「同じ転生者でも、アキトさんは英雄になった。でも俺は...何の取り柄もない」
「ああ、アキトさんね。でもね...」
シフォンは悪戯っぽく微笑んだ。
「最近の彼、昔ほど強くないって噂よ?精霊核が人間になっちゃって、普通の魔核しか使えないんでしょ?」
「それでも、アキトさんは経験も実力も...」
「確かにそうね。でも、タケルくんにはタケルくんの良さがあるはずよ?」
シフォンは立ち上がった。
「元気出して。きっといつか、あなたにぴったりの力に出会えるから」
その言葉を残して、シフォンは去っていった。タケルは彼女の言葉の意味を、その時はまだ理解していなかった。
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三週間前
それから更に一週間後、タケルの状況は更に悪化していた。
「タケル、君はしばらく事務作業に専念してくれ」
ギルドマスターのルカスからそう告げられた時、タケルの心は完全に折れた。実質的な戦線離脱宣告だった。ルカスの飾り気のない、短く端的な言葉が、逆にタケルには重く響いた。
その夜、一人でベンチに座っていると、またシフォンが現れた。
「あら、また落ち込んでるのね」
「シフォンさん...」
「何があったの?」
タケルは、戦線離脱を告げられたことを話した。
「そっか...辛いわね」
シフォンの声が、少しだけ優しくなった。
「でもね、タケルくん。強さって、魔核次第のところもあるのよ」
「魔核...ですか?」
「そう。適切な力があれば...あなただってアキトさんに負けないかもしれない」
「そんなこと...」
「きっと、いつかあなたにぴったりの力に出会えるわよ」
シフォンは立ち上がった。
「元気出して。今はダメでも、きっと運命が変わる時が来るから」
その言葉を残して、シフォンは去っていった。
シフォンが去った後、タケルは一人でベンチに座り続けていた。夜も更け、街に人影はまばらになっていく。
その時、薄暗い路地から一つの人影が現れた。フードを深く被り、顔は見えない。
「君が佐藤タケルか?」
「え?あの...」
「聞きたいことがある。君は本当に強くなりたいか?」
その人物の声は、性別も年齢も判別できないほど低く抑えられていた。
「強く...なりたいです。でも、俺には才能が...」
「才能?そんなものは魔核で補える」
人影は小さな袋を差し出した。
「これを使えば、君は望む強さを手に入れられる」
袋の中から青く光る美しい魔核が現れる。タケルの目が、その魔核に釘付けになった。
「これは...」
「新しい技術で作られた、特別な魔核だ。君にこそ相応しい」
「でも、こんな貴重なもの...」
「代価は不要だ。ただし...」
人影の声が、一段と低くなった。
「使い方は気をつけることだ。強すぎる力は、時として持ち主を変えてしまう」
「それでも...俺は」
「強くなりたいか?」
タケルは迷わず頷いた。
「はい!」
人影は満足そうに頷き、魔核をタケルに渡すと、闇の中に消えていった。
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それからタケルは劇的に強くなっていた。
「本当にタケルか?これ」
Aランクの魔物討伐依頼から戻ったタケルを見て、ギルドメンバーたちは驚きを隠せなかった。かつて事務作業に回されていた彼が、今では単独でAランクの魔物を倒して帰ってきたのだ。
「お疲れ様、タケル。怪我はないか?」
アキトが心配そうに声をかけたが、タケルの返事は以前とは明らかに違っていた。
「ええ、まあ...それほど苦戦しませんでしたから」
「それほど苦戦しないって、Aランクの炎竜相手にか?」
ルカスですら慎重に挑む相手だった。
「魔核の調子がいいんです。おかげで、思った以上に力が出せて」
タケルは青い魔核を見つめながら言った。その瞳には、以前の謙虚さとは違う、どこか自信過剰な光が宿っていた。
「でも無理は禁物だぞ。Aランク相手に単独行動は危険すぎる」
「心配ありがとうございます、アキトさん。でも...」
タケルは一瞬、アキトを見下すような表情を見せた。
「今の俺なら、大抵の魔物は問題ありませんから」
その時、青い魔核がかすかに脈動した。まるでタケルの感情の変化を喜んでいるかのように。
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一週間前
『グレイブ・ウルフの群れ討伐』
タケルは一人、森の奥深くでBランクの魔物と対峙していた。以前の彼なら、一頭でも苦戦していたはずの相手だった。
「ソウルフォージ」
青い魔核が光ると、タケルの手に漆黒の大剣が現れた。普通の魔核では到底生み出せない、禍々しいほどの力を秘めた武器だった。
グレイブ・ウルフが牙を剥いて襲いかかってくる。しかし、タケルは冷静だった。いや、冷静を通り越して、どこか楽しんでいるようですらあった。
「遅い」
一閃。漆黒の剣が狼の首を刎ねる。血しぶきが舞い散る中、タケルの口元に薄い笑みが浮かんだ。
残りの狼たちが怯んだ隙に、タケルは次々と攻撃を繰り出していく。以前なら考えられないほどの速度と威力だった。
「こんなに...こんなに強くなれるなんて」
最後の一頭を倒した時、タケルの心に今まで感じたことのない高揚感が湧き上がった。
「俺は...強い」
その瞬間、青い魔核が温かく脈動した。まるでタケルの感情に呼応するように。
戦闘後、タケルは街へ戻る道すがら、すれ違う冒険者たちを見下すような目で見ていることに気づいた。しかし、その変化を問題だと思う気持ちは、なぜかまったく湧いてこなかった。
(強い奴が上に立つのは当然だ。俺は強くなったんだから...)
ーーーーー
三日前
「タケル、その魔核、ちょっと見せてもらえるか?」
依頼から戻ったタケルに、ルカスが声をかけた。ギルドマスターとしての責任感からか、タケルの急激な成長に疑問を抱いていたのだ。
「これですか?」
タケルは青い魔核を見せたが、どこか嫌そうな表情を浮かべた。
「見たことのない種類だな。どこで手に入れた?」
「知人から譲ってもらいました」
「知人?」
「はい。それで問題でも?」
タケルの口調に、明らかに苛立ちが混じっていた。以前の彼なら、ルカスに対してこんな態度を取ることは考えられなかった。
「いや、ただ...」
「ギルドの規則に、魔核の入手先を報告する義務はないはずですが」
ルカスは眉をひそめた。確かにタケルの言う通りだったが、この変化は明らかに異常だった。
「分かった。ただ、何か問題があったらすぐに報告してくれ」
「もちろんです」
タケルは表面上は従順に答えたが、心の中では違うことを考えていた。
(いちいち口出ししやがって...俺がこれだけ結果を出してるのに)
青い魔核が、またかすかに脈動した。
しかし、同時に何かが変わり始めていた。
「タケル、最近ちょっと...」
リーネがアキトに相談したのは、つい数日前のことだった。
「攻撃的になってる気がするの。前はもっと控えめだったのに」
「俺も気になってた。でも、強くなったことで自信がついたんじゃないか?」
「そうかしら...」
そして今日、タケルは自らアキトに決闘を申し込んだ。
「アキトさん、俺と戦ってください」
「タケル?どうして急に...」
「俺がどれだけ強くなったか、見てもらいたいんです」
その時のタケルの目には、以前の憧れとは異なる、何か挑戦的な光が宿っていた。
ーーーーー
現在
「すごいじゃないか、タケル」
アキトは素直に称賛した。しかし、その言葉がタケルの心に妙な感情を呼び起こした。
(上から目線だな...まるで俺を子供扱いしてる)
「ありがとうございます」
表面上は礼儀正しく答えながら、タケルの心の奥で何かが蠢いていた。青い魔核が、その感情に呼応するように脈動する。
「その魔核、本当にどこで手に入れたんだ?見たことのない種類だが...」
「友人から、と言いましたが...」
タケルの記憶に、フードの男が浮かんだ。あの時、彼女は何と言っていたか。
『強すぎる力は、時として持ち主を変えてしまう』
しかし、今のタケルには、それが警告だったのか、それとも単なる冗談だったのか、判断がつかなかった。
「とにかく、お疲れ様。今日はもう休もう」
アキトがそう言って立ち去ろうとした時、タケルの口から思わず言葉が漏れた。
「アキトさん...本当に、それだけですか?」
「え?」
「俺が勝ったんですよ?英雄って呼ばれてるアキトさんに」
その瞬間、訓練場の空気が変わった。タケルの声音に、明らかな変化があった。
「タケル...」
リーネが心配そうに彼を見つめる。
「あ...すみません。調子に乗りました」
タケルは慌てて謝ったが、その瞬間の彼の表情を、アキトは忘れることができなかった。
(あれは...一体何だったんだ?)
夕暮れのヴァルクライン連邦で、新たな物語の歯車が、静かに回り始めていた。