第56話「“元”剣聖、少女の行方に陰を感じ取る」
――数日後、ギアブルグの午後は、どこか独特な喧騒に満ちていた。
金属の歯車が軋む音、蒸気の吹き上がる轟音。そして、鼻をつくのは油と熱に焼かれた鉄の匂い――整然と組まれた街路の上に、多種多様な種族の商人と客が入り混じり、騒がしくも活気のある声が飛び交っている。
その賑やかな街を、高所からぼんやりと眺めている者たちがいた。
場所は、街の中心部から少し外れた場所にある飲食店の二階テラス。
木目を基調とした丸テーブルには、まだ湯気の立つコーヒーが並び、日差しを和らげる薄布が、さわさわと風に揺れていた。
「……なんで、一般人は塔に入れねぇんだよ」
そうぼやいてため息をついたのは、レイスだった。椅子に身を沈め、視線をどこか虚空に向けたまま、もう何度目か分からない愚痴をこぼす。
「いっそ、剣聖であること明かすか……?」
その言葉に向かいの席から声が飛ぶ。
「レイス、今は“元”剣聖です。なんなら今の肩書きは、どちらかといえば“犯罪者”ですよ? 入れるわけないじゃないですか」
「どっかの誰かさんのせいでなっ!」
語気強めに睨みを向けるレイスに、ユインはきょとんとした表情を浮かべてから、わざとらしく肩をすくめた。
「私は正論を言っているだけです。むしろ、今まで表門に行っただけマシだったと思いません?」
思い返せば、酒場で大男から話を聞いた翌日、二人は早速の門へ向かった。だが、結果は――門前払い。あっさりと衛兵に遮られ、まともに話すことすら叶わなかった。
それからというもの、手を変え品を変え、書簡の偽造から正規業者の尾行、果ては“権力者の落とし物を届けに来た善良な市民”という苦しすぎる芝居まで打ったが、どれも徒労に終わった。
「くそっ、あの鉄の門番ども……ちょっと斬ってもいいかな? 刃のサビ取りにちょうどいいだろ」
「ダメです」
ばっさりと斬り捨てられ、レイスは再び深いため息を吐く。
するとそのとき、テラスから見下ろした先――騒がしい通りの一角に、見覚えのある男の姿が視界に入る。
「……ん? あれって」
身を乗り出して覗き込むレイスの視線の先。
汗まみれの額を拭いながら、人混みの中をキョロキョロと右往左往している男――それは、どこかで見覚えのある顔だった。
「……ボルドさん、だな。なんか焦ってんな、あれ」
声に釣られて、ユインも視線を落とす。
「スライちゃんを匿ってるスラムのボスですよね。何か……探してる感じ、ですね」
「声、かけてみっか。おーい、ボルドさーん!」
通りの上から声を張り上げると、男がびくっと肩を震わせ、あたりを見回した後に顔を上げた。
そして、レイスとユインの姿を見つけた瞬間――
「お、お前らかッ! すぐ降りてきてくれ! 頼む、急いでくれッ!」
ただならぬ慌てぶりに、二人は思わず顔を見合わせる。
レイスは眉をひそめながら、立ち上がるとボルドの元へと足を急がせる。
「何かあったのか?」
レイスの問いかけに駆け寄ってきたボルドが発した言葉は、二人の心を一気に冷やすものだった。
「――スライが、いねぇんだ!」
レイスの顔から、冗談めいた余裕がすっと消える。
街の騒がしさだけが、皮肉のように耳に響いていた。




