第53話「“元”剣聖、少女の父に繋がる影を辿って」
翌日――。
ギアブルグの街角にひっそりと建つ、四階建ての古びたビル。煉瓦造りの外壁は煤けており、見上げるだけで何か得体の知れぬ気配を感じさせる。
レイスたち三人は、その建物の前に立っていた。
「ここか。ずいぶんと……趣のある場所だな」
皮肉めいたレイスの言葉に、スライが小さく頷く。
「うん。あそこ、二階が事務所になってる。ガーベラさんはいつも、昼前くらいにはいるはず……」
入り口のドアを押し開けると、乾いた鈴の音が鳴った。
中は薄暗く、油臭さの混じる空気が漂っている。受付には中年の男が座っており、三人の姿を見て無言で会釈する。
名前を告げ、しばらくしてから案内されたのは、くたびれたソファと重厚な木机のある部屋だった。
「……へぇ。冒険者ごときが何をしにきたのかと思えば――なんだ、スライを引き渡しに来たのか?」
窓際の革張りの椅子にどっかりと腰掛けていたガーベラが、鼻で笑いながら言い放つ。
その言葉に、レイスが口の端を吊り上げる。
「っはは。馬鹿言ってんじゃねーよ。契約はまだ続行中だ」
揶揄するような口調に、ガーベラの眉がぴくりと動いた。
「じゃあ、何しに来た。こっちも暇じゃねぇ」
「なら、単刀直入に聞こうか――スライの父親をどこへやった?」
部屋の空気が、ピンと張り詰めた。
ガーベラの指が一瞬止まり、煙草の灰がぽとりと落ちた。
「……知らねぇな」
「嘘つくなよ。今、一瞬だけ間があったろ。親父さんが最後にお前と会ってたってことは、もう調べてる」
睨むレイスの眼差しに、ガーベラは鼻で笑いながら、ふてぶてしく返す。
「……はぁ。ああ、確かに“仕事を斡旋してやった”のは事実だ。それ以降のことなんざ、知らん」
「誰からの、どんな仕事だ?」
「言うわけねぇだろ、馬鹿か。こっちも仕事でやってんだ。“守秘義務”ってもんがあるんだよ」
ガーベラは立ち上がると、机の上のベルを鳴らした。
「感謝こそされど、そんな喧嘩腰で突っかかられる筋合いねーぞ。仕事の邪魔だ。失せな」
部屋の扉がノックされ、無言のまま使いの者が姿を現す。
無言のまま促され、三人は部屋を後にした。
◆
ビルの外へと出ると、レイスは空を仰ぎ、重いため息をひとつ吐いた。
「……さて、どうしたものか」
「どうにも、ガーベラの言っていることが信用できません」
ユインの言葉に、スライも暗い顔で小さく頷く。
「うん……あれ、絶対なにか隠してる」
「……ああ。でもな、あいつ――“嘘”は言ってねぇんだよ。だからこそ、最初に隠そうとしたことが気になる」
レイスの目が鋭く細められる。
三人の間に沈黙が落ちた。
やがて、レイスがスライの方へと向き直る。
「スライ、とりあえずお前は一度、ボルドさんのところに戻ってろ。ガーベラがいつ何してくるか分かんねぇし、今は情報が少なすぎる」
「私も賛成です。安全な場所にいた方がいいです」
「……わかったよ」
素直に頷いたものの、スライの表情は沈んでいた。
それを見て、レイスが苦笑しながらスライの頭を強く撫でる。
「心配すんなって。なんかわかったら、すぐ伝えに行く」
その言葉に、スライは小さく頷いて、その場を後にした。
◆
その後、レイスは大きく伸びをしながら呟いた。
「はーあ、どうしたもんかねー」
「一人にすると、すぐこれですからね。慣れましたが」
「お、なんだよ。俺が悪いってのか?」
「いえ? 人助けは立派だと思いますよ?」
「やりたくてやってんじゃないやい!」
軽口を交わしながら、二人の肩の力が少しだけ抜けていく。
そのまま、自然に笑みがこぼれた。
「とりあえず、ご飯にしましょうか」
「だな。酒の美味いとこにしよう!」
「はいはい、もう……」
ユインが呆れ顔で応じ、二人は並んで歩き出す。
だが、その背後――。
人気のない路地の陰で、じっと彼らを見つめるひとつの影があった。口元だけが、薄く、冷たい笑みを浮かべる。
音もなく、その気配は闇に紛れていく。
――何者かが、静かに息を潜めていたことに、二人はまだ気づいていない。




