第3話「“元”剣聖は、花咲く村に違和感を抱く」
村に一歩足を踏み入れた瞬間、レイスはわずかに眉をひそめた。
空気に混じる、強い香り。甘く、どこか人工的な印象を受ける花の匂いだった。
「……たくさん花が咲いていますね。すごく、いい香りです」
ユインが立ち止まり、辺りを見回す。道の脇、民家の窓辺、石垣の隙間にまで、赤や白、紫の花々が咲き乱れていた。
「そうか……? なんか、ちょっとキツくねぇか?」
レイスは鼻先をぴくりと動かす。視線は花よりも、舗装のされていない土の道や、すれ違う村人たちの足元に向けられていた。
(妙に香りが強すぎる。……それに、村人の気配もどこか薄い)
そのとき、村の奥からのんびりとした声がかかった。
「ようこそいらっしゃいました、冒険者殿。案内させていただきますよ」
現れたのは、小柄で穏やかな初老の男――この村の村長だった。ふくよかな体格で、どこか気のよさそうな顔をしている。だが、その目の奥に浮かぶ影が、レイスには気になった。
「では、こちらへ」
案内されたのは、村の北に広がる畑の裏手だった。足跡のようなものが、雑草をかき分けるようにして森の方へ伸びている。
「ゴブリンの足跡ですね。複数……大体、四、五体といったところでしょうか」
しゃがみ込みながらユインが呟く。その動きは的確で、足跡の形や深さまで丁寧に観察していた。
「近くの森に巣を作っている可能性が高いですね。位置的にも、ちょうど視線の死角になりますし」
「なるほどねぇ……」
レイスは木々の茂みを一瞥し、だが視線はすぐに周囲の家々や、遠くで洗濯物を干している村人たちへと移った。
(……どうにも、腑に落ちねぇ)
◆
「最初はいなかったんですよ、本当に。ところが、ある晩を境に……ぽつり、ぽつりと村人がいなくなって」
村長はそう言って、ひどく悲しげな顔をした。
「最初はどこかに出かけたのかと思ったんですが、家財道具もそのままで。気づけば、三人が……」
「ゴブリンの足跡があった、というのは?」
「二人目が消えた翌朝ですな。裏手の畑にべっとりと、泥の足跡が……。それで、ギルドに依頼を出しました。が……」
言葉を濁し、村長は首を横に振る。
「来てくれた冒険者たちも、戻ってこなかったんです。ギルドにも連絡がなくて……それで、報酬を引き上げるしかありませんでした」
「……なるほど」
レイスは短く返す。だが、言葉以上に、その目が語っていた。
(依頼内容の割に、情報が整いすぎてる気がする……)
「失踪した村人たちの特徴を教えていただけますか?」
ユインの問いに、村長はすぐに頷いた。
「ええ、たしか……。若い娘が二人と、三十代の男性が一人です。娘たちはよく似た麻の服を着ておりましてね……あとは髪に小さな花飾りを……。あ、そうそう、耳には銀のピアスを付けておったな」
やけに細かな描写だった。
聞いているレイスの顔が、静かに陰っていく。
(……妙に覚えてんな)
何かを言おうとしたレイスより先に、ユインが村長に向き直った。
「私たちが、必ず手がかりを見つけます。どうか、お任せください」
「おお……ありがとうございます。どうか、よろしくお願いします」
村長は深々と頭を下げた。
そして、顔を上げたときには、にこやかにこう言った。
「今日はもう遅いでしょう。良ければ、今夜は我が家に泊まっていってください」
「それでは、お言葉に甘えて……」
ユインは微笑みながら丁寧に頭を下げた。
一方で、レイスの表情は終始曇ったままだ。
(何かが……おかしい)
――そして日が落ちると、夜が静かに忍び寄る。
村長の案内で通された家は、小綺麗で、古さはあるが不自然な点はなかった。だが、何もかもが“用意されすぎている”気がしていた。
「晩御飯を準備しますね。すぐ戻りますので、どうぞ寛いでいてください」
村長が笑顔で席を立ち、台所へと引っ込んだ瞬間だった。
ユインが、ふと隣のレイスに声をかける。
「レイス、そんなんじゃ依頼者が不安になります。もっと愛想よく――」
「違うんだよ、ユイン。そうじゃねぇ」
言葉を遮ったレイスの声は、いつになく低い。
その双眸が、闇を見据えるように細められる。
その目に宿るのは、警戒か、それとも――。