第35話「“元”剣聖を信じ、王女と進む道」
――その頃、ユインたちは王城へと向かっていた。
ノーグと無事に合流を果たし、王都の街並みを縫うようにして、三人は駆けていく。
三人は走りながら、街の様子に目を向ける。
剣戟の音、火の手、逃げ惑う市民。王都はすでに戦場と化していた。
「殿下、しばしの辛抱です。……必ず状況は好転します」
隣を走るレオノールの表情があまりに辛そうで、ユインは言葉をかける。
「ええ……ありがとう」
短く返した王女の声には、微かに震えがあった。
ノーグは先導役として、前方に現れる敵を片っ端から斬り倒していた。手際は荒いが、そのすべてが確実だった。
「こっちだ、ついてきな!」
手招きするノーグの背を追い、ユインとレオノールがその後に続く。
その時だった。
突如として、空に赤黒い閃光が走る。
空を引き裂くように、斜めに、鋭く。
――空が裂けた。
「おいおい……なんだありゃ」
ノーグが足を止め、見上げながら呻く。
「……空が――裂けてる!?」
レオノールも思わず声を上げる。戦場で何が起きているのか、思考が追いつかない。
だが、ユインは違った。ただ、微かに眉を動かしただけで、冷静に言った。
「心配ありません。あれは――レイスの攻撃です」
その言葉に、二人は再び驚愕した。
「レイスが……あれを?」
「ははっ……。剣聖ってのは、マジもんってわけか」
ノーグが呆れ気味に笑う。レオノールも、しばし言葉を失ったあと、かすかに頷いた。
「普段は、ただのクズ冒険者ですけどね」
ユインが、皮肉をひとつ残す。
その言い回しに、ノーグとレオノールの顔に微かに笑みが浮かんだ。重苦しい空気の中に、ごくわずかな余白が生まれる。
この状況下でそんなことを言えるのは、ユインの信頼の証だった。
だが、事態はそれで終わらなかった。
進んでいた道の先で、爆発音が複数響いた。
「……またかよ。今度は何だ?」
ノーグが声をあげる。
空から、何かが落ちてくる。
しとしとと――冷たい何かが地面に触れる。
「雨……?」
レオノールがそう呟いた瞬間、ユインは全身の神経を研ぎ澄ませていた。
直感が、はっきりと警鐘を鳴らしていた。
これは違う。雨ではない。
「殿下、動かないで――!」
叫ぶようにして、ユインは咄嗟に結界を展開した。魔力の膜が三人を包み込む。
降り注ぐ黒い液体。それが地面に落ちるたびに、蒸気のようなものが立ち上る。
「これは……?」
ノーグが戸惑う。レオノールも、異様な光景に目を見開く。
結界の外では、逃げまどう市民の一部が、黒い雨に触れていた。
そして次の瞬間。
「きゃあああああッ!」
「た、助けて……! 体が、腕がッ――!」
肉が膨れ上がり、骨が軋み、顔が崩れる。人間が、異形へと変貌していく。
街のそこかしこで、同様の悲鳴が上がる。
「なっ、なんですか! あれは……!」
レオノールが震えた声で問う。
ユインの眼差しが鋭く細められる。
「おそらく以前、私とレイスが対峙した者が開発していた薬品です。魔物の特性を強制的に人間に取り込ませる……人為的な“魔物化”」
「なんておぞましいモン作りやがってんだ、そいつは……!」
ノーグが歯を食いしばり、吐き捨てる。
レオノールは言葉を失ったまま、目を伏せた。
足元で蹲る市民が、醜悪な形でうめいているのが見える。
ユインはすっと立ち上がった。
「……あれは流石に放置できません。幸い、降下範囲は限定的です。魔物化した者も少ない。今なら被害の拡大は防げます」
そう言って、レイピアに手をかける。
だが、その手をノーグが止めた。
「待て。あれは俺がやる。お前さんは、殿下を連れて先に行け」
「レイスから聞きましたが、自己再生持ちで相当にタフな相手ですよ?」
「上等。ちょうど身体が鈍ってきたとこだ。遊び相手には丁度いい」
そう言って、ノーグは短剣を抜いた。火属性の魔力をまとわせたその刃が、赤く揺れる。
「……では、お願いします。無事を祈ります」
「任せときな」
ノーグは笑い、何の躊躇もなく群れの中へ駆け出した。
その背を見送り、ユインは顔を上げる。
「殿下、行きましょう」
「……ええ、わかりました……」
レオノールは唇をかみ、目の前の惨状に必死で耐えながら頷いた。
理不尽に巻き込まれた人々。守るべき民が、無惨に壊されていく現実。
それでも、歩まねばならない。
ユインは、そんな王女の横顔を見つめながら、心の中で誓う。
(……必ず、この方を守り抜く)
魔物の咆哮が遠くで響くなか、二人の影は王城へと向けて、再び走り出した。




