第33話「“元”剣聖、止まった世界を駆ける」
ゼスの大剣が、鋭く振り下ろされた。
刃が風を裂き、石畳を抉るほどの破壊力。一撃ごとの重みが尋常ではない。
レイスは双剣を交差させて受け止めるが――
(っち、やっぱ大剣と双剣じゃ相性が悪いな)
押し返される。受け止めきれず、足が地を滑った。
(身体強化してても、力じゃ勝てねぇ……)
ゼスの攻撃は一つひとつが“潰す”ことを目的とした剛剣だ。
正面からまともにぶつかっては、いずれ崩される。
レイスは一歩、二歩と後退しながら、ゼスの動きを目で捉える。
肩の振り、膝の送り、目線の揺れ――すべてを読み取り、斬撃を躱す。
ただ、いなすだけ。捌くばかりで、反撃に出る隙がない。
「今回は、前と違って逃げる場所はないぞ!」
ゼスが挑発めいた声を放つ。
「勘違いしてんじゃねーよ」
レイスが不敵に笑った。
「“今回”は、逃げる必要がねぇんだよッ!」
瞬間、双剣が閃いた。
ゼスの脇を抉るように切り込み、反動で大きく後方へと弾き飛ばされる。
「ぐっ……!」
地面を転がるゼス。その体を止めた瞬間には、もうレイスが歩を進めていた。
ゼスはすぐさま立ち上がると剣を構えなおす。
「そうか、それは――楽しめそうだッ!」
ゼスは唇を拭い、地面を蹴ると一気に距離を詰めてくる。
再び激突。刃と刃が交錯し、火花が宙に散った。
戦いの衝撃が波紋のように広がり、近くの建物の窓ガラスが音を立てて砕ける。
だが――
その中で、明らかに流れが変わっていた。
ゼスの斬撃が通らない。手応えが消えていく。
「ッ! なぜだ、なぜ我が刃が届かんのだッ!」
レイスの双剣が、鋭さを増していく。
踏み込みは深く、手数は早く、動きに淀みがない。
しかも、打ち込むごとに精度は上がっていった。
ゼスの防御をかすめるように、細かな切り傷が増えていく。
(あぁ……懐かしいな。この感覚――)
レイスの内心が、静かに熱を帯びていく。
(全てが、止まっていく……)
世界がゆっくりと静止していくような錯覚。
敵の動きが遅く、明瞭に見える。心臓の鼓動すら、ひとつひとつが静かに鳴る。
否――
レイス自身が、加速していた。
脳と肉体が完璧にリンクし、視界に映るすべてを捉え、理解し、捌き、斬る。
それは、“剣聖”と呼ばれた男がかつて持っていた、完全なる集中の領域――。
◆
ゼスの表情に、わずかな焦りが滲む。
攻撃のリズムを掴めない。レイスの動きが、あまりにも多彩すぎる。
双剣による斬撃だけでなく、体術を織り交ぜた攻撃が、まるで波のように次から次へと襲い掛かる。
「くっ……!」
ゼスは素早く距離を取り、魔力を練り始めた。
雷撃、風刃、衝撃波――短詠唱の魔法で反撃を図る。
だが、それすらも、レイスの目の前ではわずかな“溜め”に過ぎない。
詠唱に入った時点で、斬撃が間に合う。
「――遅ぇよ」
レイスが肩口へ一閃を見舞い、ゼスの魔力が弾け飛ぶ。
体勢を崩したゼスは、大きく剣を振り下ろして地面を叩き、土煙を巻き上げて距離を取った。
その隙に息を整えようとする――だが。
レイスの一振りと共に土煙が晴れる。
そこには、変わらぬ姿勢で立ち尽くす“元”剣聖がいた。
――双剣を構え、獣のような眼で、冷たく敵を見据える。
「どうだ、ちゃんと楽しめてるか? 三下」
声は静かだった。だが、そこに宿るのは――圧倒的な実力への自信。
その気配に、ゼスの背筋がひやりと凍る。
レイスが、一歩、また一歩とゆっくり踏み出す。
歩みを進めるレイスの顔には、微笑が浮かんでいる。
だが、その笑みに宿るのは、余裕でも驕りでもなく――
狩人が獲物を追いつめた時の、“確信”。
――剣聖としての覚醒が、静かに戦場を支配し始めていた。




