第26話「“元”剣聖、演説を切り裂く刃を迎え撃つ」
――王女の声が、王都の空に響いていた。
「この国を、共に変えていきましょう。誰もが声を上げられる、そんな未来のために――!」
強く、まっすぐに。
王女レオノールの言葉は、民衆の心を静かに打ち始めていた。
セリアは遠巻きにその様子を見つめながら、耳元の魔導通信具に手を当てる。
「北側路地、異常なし。屋根上警備、状況安定。……このまま無事に終わればいいが」
その言葉に、近くにいた部下が頷く。
だがその“希望”が破られるのは、ほんの数秒後だった。
「ッ、上……! 屋根の上に影!」
叫んだのは、周囲警備を担当していた若い騎士だった。
西側、三階建ての建物の屋根――そこに、黒装束の刺客が一人、すでに弓を構えていた。
「射角、王女殿下を狙ってます!」
「止めろ!」
セリアが叫ぶより早く、その矢は放たれる。
放たれた矢は真っすぐに、レオノールの胸元を貫こうとして――
キンッ!
――空気を裂く矢が王女を貫かんとした瞬間、その軌道に、一条の銀閃が走った。
音すら置き去りにして割り込んだレイスの剣が、寸分違わぬ角度で矢を弾き飛ばす。
「……やっぱ来やがったな、クソ共」
「クソ対クズの戦いですね」
「ユインさん?! 今そういうのいいからっ!」
ボソッと呟くユインに答えながら、レイスは周囲に更なる警戒を配る。
突然の襲撃に群衆がざわめく。だが王女は壇上から一歩も退かず、マイクを握り締めていた。
レイスは一瞬、彼女の背を見やって、口の端を吊り上げる。
「前より、度胸が据わってんじゃねぇか」
次の瞬間、屋根の上の刺客がレイスの元へと飛び降りてきた。背には二本の短剣、刃には毒が塗られているのが光で見て取れる。
「“剣聖狩り”ってか……面白ぇ」
レイスは双剣を抜いた。
ギィン!
交錯する金属音。刺客の刃と、レイスの斬撃が火花を散らす。斬撃は鋭く、迷いがない。刺客の動きは洗練されている――が。
「……悪いな。“剣聖狩り”するには、ちと腕が足りねぇ」
レイスの剣が、刺客の右腕を切り裂いた。呻き声を上げて後退する敵。だが、レイスはそれを追わず、周囲の気配を探る。
(一人だけのはずがねぇ……まだいる)
「レイス! 広場の西、露店の陰からもう一人接近中!」
屋根上からユインの声が飛ぶ。その隣には、弓を持った別の刺客が――
「……甘い」
ユインの魔法が刺客の弓ごと地面に封じた。瞬間、雷の魔力が迸り、刺客の腕を痺れさせる。
「下がって!」
ユインの叫びに応じ、近くの民衆が戸惑いながら後退する。だが、その動きに紛れて、また一人、刺客が群衆の中から現れた。
「今度は……爆発物かよ!」
レイスが舌打ちする。刺客の手に握られたのは、魔導式の小型起爆装置。群衆の混乱を利用し、演説そのものを台無しにする狙いだった。
「させるかよ!」
跳び上がったレイスが刺客に向かって斬りかかる。起爆装置を振り上げた刺客の手に、レイスの剣が一閃した。
――爆発は、起こらなかった。
だがその直後、レイスは背後に“違和感”を感じて振り返った。
「……なんだ、今の気配」
まるで――何かが“すり抜けて”いったような。
同じ頃、王城の一角。使用人用の通路を、フードを被った小柄な人影が素早く通り過ぎていた。
誰にも気づかれず、まるで最初から“そこにいなかった”かのように。
その手には、細く尖った暗器。そして、巻物のような古びた紙が握られていた。
「……さぁ、終わらせよう。すべてを、な」
かすれた声が、闇に溶けるように呟いた。
◆
――広場では、再び静寂が訪れていた。
民衆は一部が動揺しながらも、王女の演説を聞こうと残っていた。騎士団が警戒しつつ、周囲を封鎖している。
「……殿下、続けますか?」
セリアが問いかける。
レオノールは一瞬だけ目を閉じ、そして頷いた。
「はい。……私が、止めるわけにはいかないから」
彼女はマイクを握り直し、再び言葉を紡ぎ始める。
その声は、傷つき、怯え、それでもなお“希望”を訴える声だった。
(この国の闇は、まだ深い。だが――)
レイスは空を見上げ、静かに息を吐いた。
(……光を見せるくらいの価値はある、か)
その背中に、誰もが忘れていた“英雄”の気配が、静かに戻りはじめていた。




