第20話「“元”剣聖は、追放と再会の狭間で立ち止まる」
それは、数日後のことだった。
王都の奥、厳かな雰囲気に包まれた謁見の間。その中央に、静かに一人の男が跪いていた。
双剣を携え、堂々とした佇まいのまま、レイスは顔を上げる。王位の間に立つのは、レギア王国の王・エルネスト。そしてその脇には、取り巻きの側近たち。だが、そこにかつての仲間たちの姿はなかった。
「陛下。私は本日、国の現状と、それに対する改善策を進言するために参りました」
沈黙が落ちる中、レイスの声が澄んで響く。
「この国を守るために命を賭けた我ら“英雄”たち。その一部が、今や民に害を与えている。勇者エルヴィンの横暴、賢者ハウゼンの浪費、聖女リシアの私利私欲――このままでは、王国の信頼と秩序が崩壊しかねません」
堂内に緊張が走る。だが、王は眉一つ動かさず、ただ目を細めた。
「……その件ならば、既に報告を受けている」
「それならば、是正措置を講じていただければと」
レイスの言葉に、王は小さく息を吐いた。その視線には、わずかに冷笑が滲んでいた。
「剣聖レイス。そなたが語ることは、聖女リシアの言葉とは大きく異なる」
レイスの眉が動いた。
「聖女の、言葉……?」
「彼女はこう申しておった。レイスは、英雄たちの名誉を貶め、自らの地位を高めようとしていると。王国に不和をもたらし、その信用を失わせかねぬ、と」
その言葉は、刃より鋭く、胸に突き刺さる。
「バカな……っ。私が、そんな真似をするはずがない!」
「さらには……」
王はわずかに顔を曇らせた。
「先日、重騎士グランツが殺された。目撃者はおらぬが、最後に会っていたのはそなただと聞いておる」
「……!」
頭が一瞬、真白になる。
「陛下、それは誤りです。私はそのようなこと……!」
「もはや言い逃れはできぬ。聖女リシアの報告もある。そして、そなたのこの場での発言も、国王たる私に対する侮辱に他ならぬ」
いつしか、王の声は冷たく鋭いものに変わっていた。
「よって、レイス・ヴァレン。そなたを国家反逆罪および英雄殺害の嫌疑により、拘束し、処罰を与える。処罰は――死刑とする」
空気が凍った。
堂内の兵たちが一斉に剣に手をかけ、じりじりと距離を詰めてくる。
「ふざけるな……! この国の腐敗を正そうとしただけで……!」
レイスは声を荒げるが、誰も応じなかった。かつて共に戦った仲間も、信じた民も、誰一人いない。
――誰も、助けない。
だったら、ここにいる意味はない。
「悪いが、俺は……まだ――死ねない!」
瞬間、レイスは跳んだ。近くの兵の槍を蹴り上げ、足場にして頭上の梁へ跳躍。騒然とする兵たちの叫びを背に、窓ガラスを蹴破って堂外へと飛び出した。
そして、王都の街中へ――。
◆
王宮から逃げ出してしばらく、レイスは裏通りを走り続けていた。
王国中に顔の知れた“剣聖”である自分が、まさかこの国から追われる身になろうとは。
それでも足を止めるわけにはいかない。王の命が下った以上、捕まれば本当に処刑される。
外套をまとい、フードを深くかぶった姿で、人気のない広場に足を踏み入れたそのとき――
ふと、視線を感じて足を止める。
「……剣聖レイス」
どこかで聞き覚えのある声が呼び止めた。
振り返ると、そこにはフード姿の女が立っていた。
長身で、鋭い目元を隠すように佇むその影。
「誰だ」
その言葉にフードから、殺意の満ちた視線が向けられる。
だが、その視線に宿る感情には、どこか引っかかるものがあった。ただの殺意ではない、どこか私怨の混じったような――。
距離にして十メートルもない。にもかかわらず、その女は一歩も動こうとはしなかった。ただじっと、日差しの下でレイスを見据えている。
空は晴れていた。だが、その光の中にあっても、女の存在は奇妙なほど“影”をまとっていた。
外套の裾が風に揺れるたび、わずかに覗く足元には、無駄のない動きが染みついた戦士の気配がある。立ち姿には一分の隙もなかった。
(……ただの通りすがりでは、ないな)
レイスは直感で断じた。追ってか、それとも――。
相手の瞳に宿るものは、憎悪の底に濁ったような、形のわからぬ感情。
(俺の反応を見ている……?)
沈黙が、二人の間に重く流れる。
裏通りにも広場にも人影がほとんどなかった。昼間の王都にしては不自然なほどの静けさ。まるで誰かが意図的に人払いをしたかのように。
逃亡者の自分がここまで目立たずに歩けているのも、そのせいか――
レイスは無意識のうちに、視線を周囲へと巡らせていた。路地裏、街路樹の陰、建物の屋上。潜んでいる者がいないとは限らない。
指が、双剣の柄に触れる。
と、そのとき――突風が吹いた。
外套をめくり上げ、そのフードの奥から女の顔が覗いた。強い日差しの逆光で、これまでは輪郭すら曖昧だったのに――今、はっきりと見えた。
その瞬間、レイスの動きが止まる。
見覚えがあった。あれほど強く焼きついていたはずなのに、なぜ今まで気づかなかったのか。
「……お前は……」
言葉が漏れた。
広場の空気がぴたりと止まる。
風が、再び女のフードを戻し、顔を闇に隠した。
ただ一度見えたその顔が、レイスの記憶を強く揺さぶっていた。




