第15話「 “元”剣聖の命、守るべき者の剣」
ユインの剣閃が、敵の急所をかすめる。
刃を交えた黒装束の男は体勢を崩しながらも舌打ちし、白煙の中へと飛び退いた。
だが、彼女の耳は別方向からの気配を捉えていた。
「――まだ、いる!」
警戒と同時に、別の敵が屋根上から飛びかかってきた。
咄嗟にレイピアを掲げると、硬質な音が火花を散らす。振り下ろされた短剣を受け止め、そのまま足払いで地に落とす。
「殿下の避難を急いで!」
ユインが叫び、視線の先にいるセリアに目配せする。
セリアは王女レオノールの手を強く引き、建物の裏へと回り込んでいた。
その瞬間――。
「殿下、伏せてください!」
風を裂く音――矢だ。先ほどとは違う角度、斜め上から放たれている。
セリアは素早くレオノールを抱きかかえ、その場に伏せた。
矢はすぐ背後の壁に突き刺さり、乾いた音を立てて石片を飛び散らせる。
「まだ狙撃手が残ってる……っ!」
ユインは歯を食いしばり、煙の奥へと目を凝らす。
敵の狙いは明確だ――王女を殺すこと、そして証人となる者たちを抹殺すること。
(援軍は? 王都の守備隊は何をしてる……)
焦りが胸を掠めるが、それを押し殺してユインは剣を握り直す。
彼女の背後には、血を流して倒れたレイスがいる。
レイスが……命を張って守った命。絶対に無駄にはできない。
次の瞬間――。
「どうやら、派手にやってるな」
白煙の中から、男の声がした。
ユインが身構えると、短剣を手にしたフード姿の青年が姿を現す。
「心配すんな、味方だ。俺はノーグ。情報屋に頼まれてきた」
王都の裏稼業の用心棒として名を馳せるノーグ。戦士ではないが、裏稼業の者たちからは“影抜き”と呼ばれ恐れられている存在。
「背後は任せな。お前は、アイツを守れ」
短く告げると、ノーグは再び煙の中に身を溶かしていった。
直後、悲鳴と骨が砕ける鈍い音。数秒後、倒れた黒装束の影が転がってくる。
ユインは喉奥の緊張を吐き出すと、倒れたレイスの元に駆け寄った。
彼の呼吸は浅く、皮膚は冷たい。だが、まだ生きている。
「持ちこたえて……お願い、まだ死なないで……」
ポーチから新たな治療薬を取り出し、手際よく患部に塗り込む。
同時に、止血帯を布で編み、傷口を塞ぐ。必死の処置に、手が震えるのを止められなかった。
――そんなユインの背に、再び殺気が迫る。
「しつこいッ!」
振り返りざま、レイピアを逆手に振るう。迫っていた敵の喉元が裂け、赤い飛沫が宙を舞った。
「この人を殺させるわけには、いかないのよ……!」
かつて、ただの剣の練習すらまともにできなかった自分が、今こうして誰かを守っている。
その事実が、心を燃やしていた。
「ユイン、こっちは無事だ!」
遠くからセリアの声が響く。
王女の避難は成功したらしい。しかし、戦場にはまだ敵の残党が潜んでいる。
ユインが剣を構え直すと、周囲の空気に変化が訪れた。
風が通り、煙が薄れていく。視界が晴れたことで、敵が徐々に後退し始めているのが見て取れた。
(撤退……? 目的を果たせなかったから?)
敵の一人がこちらを睨みつけながら、指を立てる。人差し指と中指――“次がある”という無言の宣告。
「忘れないわよ、あんたたちの顔……!」
ユインが叫んだ時には、敵の姿はもうなかった。
数分後――。治療班が到着し、レイスは担架に乗せられて搬送される。
ユインはその横を歩き、王女は前線を離れた安全圏から、彼の姿をじっと見つめていた。
「……レイスは、助かるのでしょうか」
レオノールの声は静かだったが、その奥に震えがあった。
それに対し、セリアは即答した。
「助かります。絶対に」
「……ありがとう。私のせいでこんな……」
「違います、殿下。私たちは、守りたかったから守っただけです」
セリアの言葉に、レオノールはそっと目を伏せた。
誰かの命を背負うということ。それがどれほどの重さを持つのか、彼女も今は理解している。
◆
――その夜。
王都の外れにある廃倉庫の中。黒装束の残党たちが集まっていた。
「……王女の排除は失敗。だが、目標は第一段階に移行する」
影の奥から、低く抑えた男の声が響く。
そこには、王家の紋章を携えた男が立っていた。
「次は、“粛清”だ。あの男――“剣聖”レイスを、完全に葬る」
組織の計画は、まだ終わっていなかった。




