第13話「“元”剣聖、矢を斬り落とす!」
王都の中庭は、普段ならば花壇を囲う穏やかな憩いの場。だがこの日、その空間は異様な緊張に包まれていた。
広場を囲む石垣の上には、複数の騎士が配置され、一般市民の立ち入りは制限されている。
それでも、集まった数十名の市民たちは息を潜めるように佇み、演説の開始を待っていた。
「……思ったより人が来てるな」
レイスが木陰に身を潜めながら呟く。黒い外套に身を包み、腰にはいつでも抜けるよう双剣が仕込まれている。
「王女殿下の演説とあって、関心は高いのでしょう。第二騎士団が“見せしめではない”と広めていたのも功を奏したはずです」
隣にいたユインが冷静に応じた。
「……いや、違う。興味本位じゃない連中も混じってる」
レイスの目は鋭く、視線は観衆の中を泳いでいる。
一見無害な群衆。その中に、“視線を逸らさない”者たちが、数名。――まるで、この場の成り行きを“確認しに来ている”ように。
「刺客、というより、観察者か……」
レイスが呟いた言葉に、ユインも頷いた。
「まだ“動かない”。逆に言えば、王女の一挙手一投足が、今――試されているということですね」
その言葉の通り、広場中央。王女レオノールは、白と青を基調とした簡素な礼装に身を包み、静かに深呼吸を繰り返していた。
彼女の隣に控えるのは、騎士団長セリア。無言で周囲に睨みを利かせている。
「……緊張してますね」
ユインがぽつりと呟く。
「そりゃ、命懸けの舞台に立つんだ。緊張しないほうが不自然だぜ」
レイスが低く笑う。
直後――王女が一歩、壇上に出た。
周囲がざわめきを飲み込むように静まり返る。
視線が、空気が、風までもが、彼女を中心に集まり始めた。
「本日は、急な呼びかけにも関わらず……この場にお集まりくださり、感謝いたします」
澄んだ声が、中庭に響く。だが、その声の端には、明らかな震えがあった。
レイスが眉を寄せた。
(――練習通り、じゃないな。感情が乗ってる)
「今、王都には様々な問題が起きています。誰かが、何かを、どこかで、歪めている。……けれど、多くの方は、その“異常”に気づいていながら、声を上げられずにいるのではないでしょうか」
その言葉に、一部の観衆がざわりと動いた。
「私も……同じでした。気づいていたのに、黙っていた。何も、できなかった。でも、私は……今、勇気を持って言います。“この国は、正されなければならない”。そしてその声は、決して無意味ではないと――証明します!」
短く、簡潔で、感情を押し殺さない言葉だった。
だがそれは、確かに“響く”声だった。
「……やるじゃん、王女殿下」
レイスが静かに呟く。
「はい。あの言葉が、誰かを変える可能性を、今ここで作りました」
ユインも応じる。
観衆の中で、小さな拍手が起こり始める。最初はひとり、次にふたり。やがて、それは波紋のように広がっていった。
だが――。
その波紋の外に、“動かない者”がいた。
群衆の隅。帽子を目深に被った男が、何かを呟いたかと思うと、ゆっくりとポケットに手を入れる。
屋根の上。遠くを見渡せる位置にいたフード姿の男が、懐から何かを取り出し――組み立て始めた。
「……レイス、動いた方がいいかもしれません」
ユインが低く警告する。
「ああ……来るな、これ」
レイスはゆっくりと剣に手を伸ばす。
祝福の拍手が、空気を満たす中。静かに――殺気が向けられる。
金属が擦れる音。わずかに届いたその異音に、レイスの目が鋭く光る。
「ユイン、あの屋根……左の、第三尖塔の上」
「……視認しました。狙撃装置。魔導銃か、あるいは……」
言い終わるより早く、ユインはマントの裏からレイピアを抜いた。同時に、レイスも人の波を縫って飛び出す。
「セリア、左上だ!」
レイスの叫びに、壇上に控えていたセリアもすぐさま目を向ける。
「騎士二番隊、第三尖塔へ! 警戒を維持しつつ包囲、絶対に逃すな!」
号令とともに、複数の騎士が石畳を駆け抜けていく。
その隙に、レイスとユインも屋根を見上げ、素早くその構造を確認した。
「あれは――、魔導銃じゃねぇ。ボウガンだ。魔術支援型……狙いは精密ってことか」
「……つまり、王女狙いですね」
「確実に殺しに来てるってことだな。さて、どうするか」
レイスが一歩踏み出そうとした、そのとき。壇上の王女レオノールが、言葉を切った。
「……私は、すべての国民の声を――聞き届けたいと思っています」
演説は終盤へと差し掛かっていた。周囲の拍手はやや落ち着き始め、場は再び静けさを取り戻しつつある。
その静寂を利用するように、敵は――。
パチン、と小さく弦が弾ける音が聞こえた。
「ッ、来る――!」
ユインが声をあげ、すぐさま飛び出す。
レイスもそれに続き、演説壇の前に立ちふさがった。
弾道は見えないほどの速さだった。
が――空気を切る鋭い矢が、風の筋を残しながら、レオノールの肩を狙って真っ直ぐ飛ぶ。
「遅ぇよ」
レイスの足元が、わずかに擦れた。
次の瞬間、彼の双剣のひと振りが空を裂き、放たれた矢を寸前で打ち落とす。
破片が地面に転がると、周囲の群衆が悲鳴をあげて後退した。
「落ち着け! 殿下は無事だ!」
セリアの怒号が響く。
だが、敵は一人ではなかった。屋根の上、裏路地、さらには演説会場の端。三方向から、別々の動きが見える。
「クソ、同時多発型……!」
レイスが歯噛みしながら剣を構え直す。
「ユイン!」
「はい、迎撃に回ります!」
二人は即座に散開し、それぞれの方角へ向かって走り出した。