しぶしぶ婚活夜会に出席したのですが、隣国の第四王子を捕まえてしまったようです
「今年こそお婿さんを見つけてくるのよ」
そう母に言われて、家を出て来た。
メイドにも
「背丈そこそこ、胸もそこそこ、ペールグリーンのドレスもそこそこに似合う。化粧とハーフアップの髪には腕によりをかけたから悪くない。もしかするともしかするかもしれない」などと訳の分からないことを言われた。
今日の夜会は若い貴族やお金持ちの子女が中心だ。これは庶民の秋祭りにちなんだ夜会で年に一回しか開かれない。
小さい婚活夜会は他にもいろいろあるが、今日の夜会は近隣諸国からの貴族も来るので規模がけた違いに大きい。つまり伴侶を見つけやすいということだ。
十七歳からこの夜会に三度出て、お婿さんが決まらなければ一生独身などともいわれている。
つまり私に与えられた機会は今夜を含めてあと二回。
姉のステラもこの夜会で義兄のデールと知り合った。姉は美しい人だし、お婿さんを迎える立場だから一度目の夜会で結婚が決まった。
母に言わせれば、「あなただってきちんとすればそれなりに見える」なのだそうだが、親の欲目だろう。
なにせ領地に行けばそこら中飛び回り日焼けしてメイドに怒られるし、王都にいても書くことや新しい本に夢中になっているので、美しさとか可愛らしさとかは無縁な毎日だ。
金茶色の髪はくせ毛なので、いつも三つ編みでひとまとめ。「お嬢様の良い所はその大きめの緑の瞳くらいです」とメイドに言われている。
我がフェルトン子爵家の領地は丘陵地帯が多く、果物や野菜などが豊富に収穫できる。果物を利用した酒造りも盛んだ。取り立てて裕福という訳でもないが貴族としてそこそこの生活水準を保っている。
姉のステラは今二人目を妊娠中だし、跡継ぎにも問題はない。義兄のデールも領主代理としてなかなかに上手くやっている。私としては姉夫婦に迷惑をかけない程度に家庭教師などをしながら好きなことをして、童話でも書いて生きていければ良いと考えている。
結婚したってずっと幸せとは限らないし、結婚相手がいなくても人生が終わるわけでもない。そんなに急ぐことでもないとは思うのだが、親の世代にその理解を求めるのは難しい。
それに貴族家を継ぐ長男と結婚出来れば勝ち組だといいう風潮も好かない。反発心もあって昨年の夜会では積極的になれず、あちらこちらをふらふらして時事の話題を聞いて走り書きばかりしていた。
しかし、今年はまじめに相手を探したという姿勢を見せなければ、親をがっかりさせてしまう。
沢山のシャンデリアが輝くホールの中に足を踏み入れると、明るい陽射しの下で水辺に集まった様々な種類の鳥たちが優雅に魚を啄んでいるような錯覚を覚えた。
頭を振り、覚悟を決めて会場の中心部に向かって歩き出すと、夜会の始まりが楽団の演奏と共に軽やかに告げられた。
友人や知人たちを見つけても、彼女たちはすでにこれはという殿方を取り囲んでいる。
(出遅れたか......)
まあ、焦ることもないかと思い周りを見渡すと、白い上着からピンクのブラウスをのぞかせている第一王子のアルフィー殿下が目に入った。いつも落ち着いた品性のある服装を好むアルフィー殿下にしては珍しい恰好だ。
彼は婚約者であるエディス・パーナス公爵令嬢を大声で目の前に呼びつけた。彼の周囲の声が止み、それがさざ波のように回りに広がっていった。
少し物悲しい曲が奏でられる中、エディス嬢が静かにアルフィー殿下の前に歩み出た。
アルフィー殿下の傍らにいるのはエディス様ではなく、胸も腰もしっかりとある桃色の髪の女性だったので、これから何が起きるのか何となく予測が付いた。
「エディス、この場で私は君との婚約を破棄するつもりだ。何故かわかるか?」
「いいえ」
やはりそういうことなのだ。凛と立つエディス様は美しい。私は興味をそそられて、腰の後ろに着けている小さなバッグをそっと前に回し、その中から紙の束を出した。これはバッグの大きさに合わせて自分で切って綴じたものだ。
ついでに最近出回って来た万年筆も取り出した。
このバッグを持つとメイドに苦い顔をされるが、私には必需品なので仕方がない。
「後ろのリボンの下にうまく隠しましたから、あまり派手に動かさないでくださいね」と念を押された。
殿下の話を聞いていると、エディス様が傍らにいるローハン男爵の令嬢のタニア様に嫉妬して、タニア嬢にいろいろ酷いことをしたと言っている。
こんな場所でエディス様を責め立てる意味は? 王室が婚約破棄を認めてくれなければ何かの罪を彼女に着せる必要があるということなのかな。私は今後の書き物の参考になるかと思い、彼らの問答を紙に書き始めた。
私はエディス様とお茶会で三度ほど会っている。赤混じりの金髪やキリリとした目元がきつさを感じさせるが、エディス様はとても優しい方で、美人でも驕ることもなくお茶会でも上下の爵位を気にせずに気遣ってくれる。
王妃として教育を受けているエディス様との婚約破棄は殿下にとっては王太子への道が遠のくだろう。殿下はタニア様との恋に舞い上がっていて、それが分からなくなっているのか。
アルフィー殿下は小さい頃から品行方正でとても有名だった。勉強も良くするし頭も悪くなかったと思う。きっとずうっと良い子だったに違いない。そういう子ほど何かのきっかけで暴走するということを本で読んだ記憶がある。
そんなことを考えながら筆を走らせていると、何やら後ろに気配がして、低めの静かな声で話しかけられた。
「何をしているんだ?」
「えっと、彼らの話を聞いて書いてます」
私は振り向かずにそのまま筆を動かしていた。
「え? 階段や花壇の傍でエディス様に押されてケガをした? でも男爵令嬢は元気そうね」
「ああ、怪我の兆候は見られない」
「エディス様は公爵令嬢よ。ティーカップより重いものを持つことなどないはず。あんな細い体に人を転ばせる力はない。少なくともタニア様の体を押すのは無理。押されたという発想そのものがタニア様の嘘を露呈しているわね」
「お前が正しい」
タニア様は、殿下に寄り添いながら、さらに驚くことを言った。
「エディス様から貰ったお茶に毒が入っていた? でも彼女は生きているわ」
「すんでのところで気が付いたって言ってるぞ」
なぜかすぐ後ろにいる男の人が私の独り言に合いの手を入れてくれる。
「タニアさんの首筋から腕にかけて湿疹ができているわ。私、眼が良いのよね。あれは毒草か毒薬を彼女が直接素手で触ったからだわ」
「つまり、自作自演か」
アルフィー殿下がまだ言い募っている。エディス様には婚約者の立場を降りてもらうしかない。今後は我々に近づくことは許さない。それを犯したら、即刻、国から追放するとか。
「くだらない。殿下の頭はお花畑になったのね。書き物の材料にもならないわ」
会場内は、ひそひそ話をしている者、目を見開いて驚いている者、目を背けている者、など様々だ。それでも殿下たちに口を挟む者はいない。
「おまえ、何か書いたりするのか?」と後ろの彼に尋ねられた。私は紙から目を離すこともなく答えた。
「子供向けの童話を少しね。でも、専門の商会に持って行っても、なかなか採用してくれなくて。やはり騎士と姫の恋愛話とか竜の出てくる冒険譚が良いって言われるのよね」
「どんな童話だ?」
「『人参を背負った兎』とか『真珠の好きな豚』とか」
「......俺も採用しないかな」
「失礼ね。いい物語なのに」
私は彼にちょっと興味が湧いて、後ろを振りむいた。
彼の青い瞳としっかり目が合い、瞬間、閃いた。これは幸運かもしれない、と。
「あなた、婚約者はいるの?」
「いや」
「では、お願いがあるの......」
「願いとは?」
私はなるべく可愛らしく見えるように、首を少し傾けた。効果があるかどうかは分からないが。
「えーと、エディス様を助けに行って欲しいの」
「なぜだ?」
「あなたは見たところ、彼女と釣り合う年頃だし、その黒髪も凛々しくてなかなかいいわ。着ている洋服も上等。いま彼女に求婚すれば成功間違いなしよ」
「いや、俺は別に彼女と結婚したいと思わないし」
「あんなに美人なのに?」
「好みは人それぞれだろ?」
やはり私が首を傾けたくらいではだめなのだ。
「それもそうだけど、私はあの婚約破棄の理由に納得がいかないの」
「たしかにな」
「......仕方がないわ。私が行くわ」
「結婚申し込むのか?」
「んもうっ。みんな見てるだけなんですもの。ちょっと頑張ってみるわ」
私は万年筆にしっかりとキャップを嵌めてバッグに入れた。紙の束もバッグに入れたが、開いていたせいでまとまりが悪い。少し邪魔になりそうなので、仕方がなく腰から外した。
「ごめんなさい。これちょっとの間、預かってくれるかしら」
「ああ、いいよ。本当に行くのか」
その言葉を背に私はホールの中央へ歩みだした。颯爽と歩くつもりだったが慣れないヒールで少し躓いてしまった。思わず後ろを振り向くと彼が俯いて肩を揺らしていた。こういう場合は見て見ぬふりをするものよね。
好奇の目が一斉に私に注がれる。が、ここで怯んではいられない。私はエディス様に近づくと、彼女に軽く抱き着いた。
「エディス様、お会いしたかったです」
とりあえず、大きな声でそう言ってから、彼女の耳元で囁いた。
『エディス様、シエナ・フェルトンです。話を合わせていただけますか?』
彼女は賢い人なので、すぐに私に応じた。
「まあ、シエナ様、私も会いたかったわ!」
それから私は、殿下に向かって淑女の礼を取った。
「シエナ・フェルトンと申します。フェルトン子爵家の者です。お取込み中の所、大変申し訳ないと思ったのですが、公明正大な殿下にお知らせするべきだと思いまして」
「知らせるとは?」
「タニア様が王宮の階段や花壇でエディス様に押されたということですが、その時期が今から一か月前と殿下はおっしゃっていましたよね」
「そうよ。暑い日が続いていたわ。そのせいか王宮の外階段や花壇の傍に人がいなかったの」
近くで見るとタニア様はクリクリッとした青い瞳に紅潮した丸い頬が魅力的な人だが、エディス様のような知的な印象はない。
「エディス様は王宮には出向いていないとおっしゃっていましたが、誰かとお間違えでは?」
「まあ、私が間違えるわけないわ。失礼な方ね」
「殿下、エディス様は私に迷惑をかけるのを恐れて何もおっしゃいませんでしたが、実は丁度その時期、エディス様は我が子爵家の領地にいらしたのです」
私はエディス様と向き合って彼女の両手を取り満面の笑顔を浮かべて話しはじめた。
「ねえ、エディス様。あのときのベリー摘みは楽しかったですわね。二人でジャム作りに挑戦したのに」
「焦がしてしまいましたわね」
「ええ、だから来年こそはと約束したのですよね」
「馬に乗るのも楽しかったわ......」
「帽子が飛んで行ってしまって」
「慌てて二人で探し回りましたわね」
「「うふふ」」
エディス様は機転も利く方なのだ。
私はまた殿下に向き直り礼を執った。
「殿下、そういう訳で、エディス様が階段でタニア男爵令嬢を押すなどと言うことは不可能です」
タニア様は小さい声で「嘘よ、嘘よ、嘘よ」と言って、殿下に縋り付いた。
殿下はといえば、少し混乱している様子を見せたものの何も言わなかったので、私は仕方がなく次の一手を出すことにした。
「殿下、もう一つ気になる点がございます。タニア様の手から首筋にかけての湿疹が見受けられますが」
「それがどうした」
「毒入りのお茶を飲んではいないということですので、その症状はタニア様が自ら毒草に触れたからだと推察いたします」
殿下の白い顔に赤みが差し、目じりが上がった。もともとの顔立ちが優しい人なので怖ろしくはないが、良い状況でないのは分かる。さすがに言い過ぎたかと後悔した。
「お前は、私の大事なタニアが嘘つきだというのか?」
タニア様は殿下の肩に顔を寄せて何も言わない。つまり私の言うことが正解だということだろう。
「嘘つきとまでは......。ただ、エディス様が責められる理由はありませんと申し上げたくて」
「不敬な奴だ。警備の者。彼女を会場から追い払ってくれ!」
(やっぱり駄目だったわ)とそう思った時、さっきの後ろの彼がまた私の後ろに来た。
「よお、久しぶり、アルフィー」
「お前は?」
「五年ぶりだから分からないか。レイトン国のテレンスだよ」
「テレンス? 第四王子の?」
「思い出してくれてよかったよ。あのさ、シエナは俺の婚約者なわけ。ほらこうして彼女のバッグも持っているぞ。だから彼女を会場から追い出すなんてことをしたらどうなるか分かる?」
「そ、それは......」
彼がレイトン国の第四王子? 知らなかったとはいえ、私はいろいろやらかしてしまったような気がする。
レイトン国は我が国より大きいし、力もある。第四王子といえどもアルフィー殿下は彼をおろそかにはできない。
テレンス王子は無謀に突進した私を、ただの子爵の娘を、助けようとしてくれている。アルフィー殿下との人間性の違いを見せつけられたような気がした。
彼はそのアルフィー殿下に痛烈な言葉を浴びせた。
「アルフィー、ここに居る招待客はお前の婚約破棄を見るために来たんじゃないんだ。周りに迷惑をかけるなよ。エディス公爵令嬢だってお前が好きなあまりにそこにいる男爵令嬢に嫉妬したなんてことはないと思うんだがな。見ていれば分かる。もしかするとそれが気に食わなかったのか?」
「そ、そんなことはない」
「まあ、これだけの人の前で婚約を破棄すると言ったのだから、婚約破棄は成立でいいだろ。みな自由だ。好きにすればいい。だが今後シエナを少しでも傷つけたら俺が許さないからな」
それを聞いたエディス様に
「まあ、シエナ様、愛されておいでですのね。羨ましいわ」
そう言われて、ひどく慌てた。
「この場を収めるための嘘です」という訳にもいかず、私はエディス様の言葉に曖昧な微笑みを浮かべるしかなかった。
「今日は兄夫婦は出席していなくて、周りの人たちは見て見ぬふりをするし、とても困っていたの。本当にありがとう。お二人にはあとでお礼をさせていただきます」
こんなに素敵なエディス様に婚約破棄をするなんて、アルフィー殿下は何処でボタンをかけ間違ったのだろう。
「エディス様は婚約破棄をしてよろしいのですか?」
「あそこまで言われたら少し残っていた信頼も崩れたわ。もう元には戻れない」
アルフィー殿下は今宵の事を生涯悔いるような気がする。人参を背負っていたのにそれに気が付かなかった兎。うんうん、私の童話のようだわ。
「あの、それでシエナ様。不躾とは思うのですが、私、ベリー摘みに行きたくなりましたの」
「エディス様、ぜひ来年の夏は我が領地へおいでください。ベリー摘みも野菜の収穫も馬に乗っての遠出も一緒にしましょう」
「嬉しいわ。私、今までそんなことをしたことがなくて......。お手紙書くわね」
「はい、楽しみにしています」
エディス様は大輪のダリアが一瞬にして咲いたような華やかな笑顔を浮かべ、美しい姿勢で会場を退出して行った。さすがに王妃教育を受けた方は私とは全然違う。
彼女を見送り、すぐにテレンス殿下に向かって頭を下げた。
「ありがとうございました。殿下のお蔭で全てが丸く収まりました。それから、数々のご無礼をお許しください」
「そんなことはどうでもいいから、俺たちも行くぞ」
「えっ、私はまだ......」
そう、私はまだお婿さん探しをしていないのだ。お婿さんとまでいかなくても男友達くらいできたと家に帰って言いたい。
そこで気が付いて、私は頭を抱えた。
「あ~、嘘とはいえテレンス殿下の婚約者と公表されてしまったから、今宵のお婿さん探しはすでに終了なのだわ。偽の婚約の婚約解消はどうすればいいの!?」
くよくよしても仕方がない。私は力強く顔を上げた。
「......よし! 今年は清くあきらめて来年に懸けよう」
「なんでそうなる」
なぜかテレンス殿下が呆れている。
「婚約解消の宣言、してくれるんですよね?」
「そんなものはしない」
「は?」
今ではなくてもいずれどこかで解消宣言するだろうと、私は軽く考えていた。
「これからお前の家に行く」
「なぜ?」
「なぜでもだ」
「あら? アルフィー殿下とタニア様は?」
私は周りを見渡した。あれだけの人だかりがもうすでにない。
「お前とエディス嬢が話している間に、近衛に連れていかれた」
「そうですか、彼が王太子になるのは無理かもしれないわ。そこそこに真面目な方だったのに恋は盲目って本当ね」
「恋は人生を狂わせることもあるからな。俺もそうじゃないことを祈るよ」
「まあ、テレンス殿下も好きな方がいらっしゃるのね。結婚できると良いですね」
「ああ、鈍いやつだが多分大丈夫だろう」
我が家に来るという馬車の中で、殿下はいろいろ話してくれた。
レイトン王国の王子は二十歳で学校を卒業すると、見聞を広めるために二年の間、従者を一人つけて近隣諸国への旅に出るそうだ。外で馬の蹄の音がするので、その人が従者なのだろう。
殿下はもうすでに二年間あちらこちらへ行ったという。そろそろ祖国へ戻ろうと思った矢先にレイトン王国の大使から顔繫ぎのために今夜の夜会に出て欲しいと言われ、主要な先に挨拶を済ませたところで、あの騒動が始まった。
そして、こんな夜会に真剣に筆を動かしている場違いな女性を見つけ、変わった奴だと思って近くに寄ってみたという。
「夜会なんて面倒なと思ったが、出席して良かったよ」
「私も本当に助かりました」
バッグは返してもらったが、紙束はテレンス殿下の膝の上だ。
彼は、その紙束をパラパラとめくった。
「これか?『真珠の好きな豚』ってのは」
「紙もそう安くはないので、空いているところに下書きするのです」
彼はそれにさっと目を通して、首を捻った。
「う~ん、なかなか面白いが、題名が悪い」
「そうなんですか? どうすれば?」
「『求婚する時のために大切に取っておいた一粒の真珠を失くしてしまった。だが、幸せは向こうからやって来た』っていうのはどうだ?」
「長くないですか? それに豚のお話なのに『豚』が入っていません」
「まずは題名で人目を引くのが大事なんじゃないか?」
「なるほど、そうかも......」
そんな話をしているうちに、我が子爵邸に着いた。殿下の従者が少し前に先触れを出していたようで、両親が玄関の前に直立不動で立っていた。
私は、テレンス殿下がただゆっくりお茶でも飲んでくつろぐために我が家に来たのだと思っていた。他に我が家に来る理由がないからだ。
「今、お茶を頼んできますわ。軽い食べ物もあった方が良いかしら? それともワインの方が良いですか?」と椅子に座らずに応接間を出ようとしたが、彼は「ここに座って」と自分の隣を指さした。
それから私の左手を握り、両親に向かって、落ち着いた声で話し始めた。
「単刀直入に言います。今宵シエナ嬢と知り合って自分にはこの人しかいないと思いました。シエナ嬢と結婚を前提としてお付き合いしたいので許可をお願いします。それから私は王子でも四番目なので比較的自由な立場です。身分差などのご心配は不要かと思います。婚約の書類は後日あらためて持ってきます」
父も母も非常に驚いて目を白黒させている。結局、彼らは気の利いた言葉の一つも出せずにただただ頷いていた。
私はといえば、この話がどこか他人事のように思えて現実味がなく、メイドの言葉に人外の力があったのか......と、あらぬ方向に思考を奪われていた。
「一応聞くが、誰か好きなやつとかいるのか?」
そうテレンス殿下に聞かれたので、私は慌てて首を横に振った。
「俺では不満か?」とさらに畳みかけられ、もっと激しく首を振る羽目になった。
現実に戻ったのは殿下が帰り間際に私の頬にキスをした時だった。
「また、来るからね」そう言われて、彼を見送った後、私はその場に蹲ってしまった。
降って湧いた縁談話。私には不釣り合いなほど素敵な人。物事に動じず、真っ直ぐな人。女性が物を書くことに忌避感を覚える男性もいるのに、むしろ興味を持ってくれた。
そんな人から好意を示されれば、この先にどんな茨の道が待っていようと、嫌と言えるわけがない。
だが、私のようなじゃじゃ馬娘が他国のしかも王室の中でやっていけるのか。本当に身分差は問題とならないのか。風習や言葉遣いも違う隣国に嫁ぐにはどのような準備や仕度が必要なのか。その前にレイトン王国の国王陛下と王妃殿下がどう思うか。婚約自体も成立しない可能性もある。
次から次へと厳しい現実が私の心を覆っていく。
好きだというだけで、乗り越えられるものなのだろうか?
両親も同様に頭を抱えている。
「婿を探して来いとは言ったが、隣国の王子を捕まえて来るなんてあまりにも常識を逸脱している。なぜ普通の文官とか騎士でなかったんだ。それだってお前には難しいかもしれないと思っていたのに、まさかこんなことになるなんて。これからのことを思うと頭が痛い」
本当にその通りだ。
けれども、テレンス殿下の意思は固かった。
不安で押し潰されそうな私を抱きしめ
「どんな障害も乗り越えるから、お前の本領を発揮して欲しい」とそう言った。
こういうとき本などでは「俺について来い」か「俺を信じてくれ」等と言うのではなかったかと思い、テレンス殿下らしい言葉が嬉しくて、それからはくよくよ考えるのはやめた。
一年半後、結婚式を挙げるまでには数々の出来事があったが、それはかえって私たちの絆を深めることになった。
若い頃に小説家を目指したこともあるという国王陛下と意気投合したのも追い風になった。
目まぐるしい日々が過ぎ、ふと気が付けば、テレンスと結婚してから五年の月日が経っていた。
私達の間には四歳の息子デュアンと二歳の娘のアデルがいる。
テレンスは継嗣のいない辺境の領地を任されることになり、テレンス・リード・トレビオン侯爵となった。
辺境とはいってもレイトン国から見た辺境であって、実は隣国である実家の領地に近い。実り豊かな良い土地だ。実家での経験も生かせるので、私はとても嬉しかった。
エディス様はあの夜会から二年後、彼女の一つ下のアルフィー殿下の弟君であるランディ殿下と結婚した。それと同時にランディ殿下は王太子となった。
エディス様と私は、何度も領地や屋敷を行き来して、友情を育んだ。
当初、私を子爵家の娘と馬鹿にした人たちは、私が隣国の王太子妃の親友と知ると口を噤んだ。
アルフィー殿下はあの夜会の後すぐに王室に残る道を自ら放棄した。エディス様のパーナス公爵家にも幾度も謝罪に行ったとか。
今は一代限りの男爵となり静かに暮らしている。
タニア様とは別れたという。あの夜会での嘘と毒の入手方法などがかなり問題となって彼女は一時期牢に入り、その後、東の果ての修道院に送られた。
表向きはタニア様がアルフィー殿下を唆したということになっているが、エディス様とは正反対な彼女の雰囲気を思い出すと、私にはアルフィー殿下が遅い反抗期にタニア様を巻き込んだとしか思えないのだ。少しでも愛があったなら、タニア様をきちんと救って欲しかった。
私の童話は、題名を洗練されたものに変えるとそこそこに採用されるようになった。が、まだまだ作家と名乗るほどではない。
いまは、子供たちのために話を作るのに忙しい。
今宵も子供たちにねだられている。
「お母様、今日はお母様のお話を聞く日だよ」
「そうだったわね。寝巻に着替えてお部屋で待っていてね」
しばらくして子供たちと一緒にベッドに入ったが、両脇にある温かさに触れてともすればこちらが寝落ちしそうだ。
「今日はどんなお話なの?」という息子の言葉に眠気を払って答える。
「う~ん、『アライグマさんと亀さんの競争は、予想外の終わり方でした』かな? さあ準備はいい?」
「「はーい」」
この話は、現実に起きたことをもとにしている。
幼い頃からテレンスを好きだったレイトン国の侯爵令嬢、名前はアデリン嬢。
テレンスが自分より地位や容姿や教養の劣る(と信じている)私を選んだことにどうしても納得がいかなかったようだ。
彼女は、私が何か大きな失敗をすればテレンスの気持ちも私から離れるだろうとそう思い、親切な振りをしてレイトン国の王宮における作法や服装などに関する嘘の情報を私に教えた。
事前調査に抜かりのない私を陥れるなんて考えが甘い。
そのことに失敗したアデリンは、次は音楽会の催しを開くことにした。
テレンスの母上である王妃様を招待し、そこで得意な楽器を演奏して腕を競い合いましょう。高位貴族の女子ならそのくらい出来るのは当然だが下位貴族出身の私にそんな教養があるわけはない。
王妃様の前で失敗すれば、テレンスも婚約を解消するに違いないと考えたようだ。
「テレンス殿下には、君のピアノは素晴らしいっていつも褒められているのよ」
アデリンが私に聞こえるように取り巻きの女性たちにそう話している。彼女たちもアデリンを持ち上げるのに余念がない。
「なんといってもアデリン様のピアノが一番ですわ」
「王妃様のご褒美は高価なお茶と聞きました。アデリン様、後で飲ませてくださいませ」
「子爵家の次女とかおっしゃる方には荷が重いでしょうね。おほほ」
彼女たちはアデリンよりもうまく演奏するつもりがない。つまり、出来レースか。
私は、正直な話(困ったな)と思った。テレンスが言うにはアデリンのピアノは嗜み以上のものではないという。とすれば、彼女の思惑通りには事が進まないだろう。
実は私の母方の叔父はヴァイオリンの演奏家で、母国ではかなり有名だ。その叔父に私は小さい頃からヴァイオリンを習っていた。
だが、女性は演奏家にはなれない。女性の楽器演奏はあくまでも教養の一部としか思われていない。演奏家といわれるのは男性のみ。それが常識だ。
私はヴァイオリンが好きだったこともあり、内々の集まりで弾いたり慈善活動の一環で弾いたりして腕を磨いた。
叔父には「こんなに上手く弾けるのに演奏家になれないなんて」と残念がられていた。
人並み以上に演奏できることを知られると、それはそれで面倒な気がして、演奏会当日までの練習をどうしようかと思っていたら、郊外の空き家をテレンスが用意してくれた。
そして当日。演奏の順番は、私が一番最後。その前にアデリンのピアノ演奏がある。
そろそろ用意しなくてはとヴァイオリンを持とうとしたが、「楽器はこちらに」と指示された場所に置いたヴァイオリンが見当たらない。傍に控えていた使用人も知らないという。演奏会の最中に騒ぐわけにもいかない。
その程度の事は一応予測はしていたのだが、実際に紛失すると、自分に馴染んだあのヴァイオリンを誰かが処分してしまうのだろうかと考え、切なかった。
まもなくテレンスがヴァイオリンを持って私の前に来た。私のもう一挺のヴァイオリンを彼が従者に持たせていたのだ。
「シエナ、ヴァイオリンが見当たらないと聞いたが?」
「ええ。きちんと所定の場所に置いたのに変ね」
「では、これを使うといい」
「まあ、ありがとう。テレンス!」と彼女の前で、彼の唇に軽くキスをした。
直後のアデリンのピアノ演奏が酷く乱れたのは、言うまでもない。
演奏会の結果はというと、私の演奏に涙を流し感動した王妃様に、ぜひ王宮の催事でも弾いてほしいと請われた。もちろん高級お茶の葉も手に入れた。
アデリンはその後、目を赤くして体調が悪いと退席してしまった。彼女の心を折ってしまったのではないかと少し気になった。
だが、二日後、私が滞在している離宮にアデリンがやって来た。テレンスが演奏会場の侯爵家へ紛失した私のヴァイオリンの賠償を請求したからだ。
「あなたのヴァイオリンは誰かが間違って別の部屋に置いたのよ。私のせいではないわ。でも、申し訳なかったわ」
そう言って、付き添っていた従者にヴァイオリンを渡すように促した。
突っ込みどころはあるが、私としてはヴァイオリンが戻ってホッとしたし、プライドの高い彼女がとりあえず謝ったのだ。それで良しとしようと思った。
その後、アデリンを取り巻いていた人たちが私に会いに来た。
「自分たちは何も見えていませんでした。シエナ様には二度と嫌な思いはさせません」と素直に謝ってくれた。
私の演奏があるいは音楽が、彼女たちにそう思わせたのならとても嬉しいことだと心からそう思った。
彼女たちはいつしかアデリンと距離を置くようになった。
周りの変化についていけなかったアデリンは嫁ぎ先もなかなか見つからず、最近、男爵家に嫁いだと聞いた。
☆ ☆ ☆
あるところに、とても仲良しのウサギと亀がいました。でもアライグマはウサギさんが好きだったので、なぜあんなにとろい亀がいつもウサギさんの傍にいるのかわかりませんでした。そこでウサギさんの傍から亀を追い払おうと思いました。
さて、みんなの名前を言います。おぼえてね。亀さんはアロで男の子。うさぎさんはベルで女の子。アライグマさんはレンで男の子。
で、ある時、アライグマのレンは亀のアロに言ったの。
「僕と競争してみない? 勝った方がベルから花冠をもらえるの。そして花冠をもらえた方がいつもベルと一緒にいられるの」
「競争してもいいけど、そんなことしなくてもベルとはいつも一緒にいるから僕には何の得もないよ」とアロがそう言うと
「ベルだってきっと強い者と一緒にいる方が嬉しいと思うんだ」とレンは言う。
「そうかなぁ。でも競争は面白そうだからいいよ。そのかわり、場所は沼の回りにしてくれる?」
「もちろん。いいよ」
競争の日がやってきました。
「あの沼の向こう側がゴール。ベルはそこで花冠を持って待っていてね」とレン。
うさぎのベルは言われたとおりに、沼の向こう側に行きました。
審判はインコのドナおばさんです。ほどなく木の上から「よーいドン」と告げました。
もちろんアライグマのレンは一目散にかけていきます。
でも実は、小さな橋のところでアロを待ち伏せしていました。亀だって本気になれば早いかもと心配になったのです。だからアロが橋に差し掛かったところで、レンはアロを突き飛ばしました。
バチャーン!と沼に落ちるアロ。
「これで僕の勝ちだ!」
レンは有頂天になって気が付かなかったのですが、落ちたアロは、スイスイと泳ぎ始めて、あっという間に向こう側に着いたのです。
待っていたベルは花冠をアロにかぶせて、アロのほっぺにチュッとしました。
しばらくしてやってきたレンは驚きました。だって、突き飛ばしたはずのアロが花冠を頭にのせてベルと一緒にいたからです。
ベルはレンを見て「あら、レンも頑張ったわね!」とニコニコしてレンを迎えたのですが、そのあとすぐに、ベルは少し強い口調でレンに言いました。
「レンがアロを突飛ばしたのをドナおばさんが見ていたのよ」
レンは言い訳はできないと思ってうなだれました。
そしてさらにベルは言いました。
「レン、自分が速いと思って相手を侮ってはいけないわ。相手は自分にないものを持っているかもしれないのよ。アロに謝ってね」
レンはベルに嫌われたくないのでベルの言う通りにアロに謝りました。
「アロ、ごめんなさい」
「気にしてないよ。どうせ途中から泳ぐつもりでいたし、レンは競争とは言っても陸をかけっこでとは言わなかったからね」
「あっ......」
「皆で仲よくしようよ。ドナおばさんにも来てもらって楽しく過ごそう!」
アロはそう言うと嬉しそうにのそのそと歩いていきました。
お・わ・り
☆ ☆ ☆
「アロはのんきそうに見えるのに、ホントはそうではないんだ......」
デュアンが呟いた。
「見掛けだけで相手のことを決めつけてはいけないわね」
娘のアデルも内容が少しは分かったのか「おかあさま、レンがいい子になればいいね」と私に抱きついて来た。
「そうね。みんなで祈りましょう。では、今夜はこれでおしまい。お休みなさーい!」と子供たちに告げてベッドから這い出した。
すると、薄暗い部屋の扉の方で「くっ、くっ」と抑えた笑い声がした。
「お父様!」「おとうしゃま!」子供たちが一斉に喜びの声を上げる。
「お母様のお話で何か気が付いたことがあったかい?」
ベッドの端に腰かけたテレンスがデュアンに尋ねた。
「うん、競争相手の事はきちんと調べようって思った。それに計画は良く考えて立てなくちゃね」
「うん、そうだね。それは大切なことだ」
テレンスはそう言うと、デュアンの言葉に感動している親バカな私に片目をつぶり、息子の頭を愛おしそうに撫でた。
「お父様、お母様、一緒に寝ようよ!」
「今日はキスだけだ」
「え~」
「お母様とイチャイチャするつもりだからね」
「いつもイチャイチャしてるのに」そう言ってデュアンが小さな頬を膨らませる。
「アデルはもう寝てしまったわ。さあ、あなたも寝ましょうね。今日は満月の光が明るいから、灯りは消すわよ」
「満月だから月からの使者が来るかもしれないよ。お母様、起きてちゃ駄目?」
「月の使者は寝てる子にだけ幸せの夢を授けるのよ。きっと夢の中で会えるわ」
私とテレンスは子供たちにキスをして、手を繋いで子供部屋を後にした。
「月の使者なんて信じたまま大人になったらどうしましょう」
「心配ないよ。創造の翼は広げられるときに広げた方が良いのさ」
私は彼の両肩にそっと手を置き、その胸に顔を埋めた。
「あなたに会えて本当に良かった」
「シエナ、俺もだよ。あの婚約破棄に感謝だな」
背中に回された温かい腕の中で、出会いの奇跡に思いを馳せる。
全く接点のない者同士が偶然知り合って、恋に落ちる。あるいはお互いに尊敬の念を抱く。
そんな奇跡が存在するから、私たちは望みを持ち続けるのだ。
終
お読みくださってありがとうございます。誤字脱字のご指摘もいつも助かります。
「愛する人よ此処に来ないで(全六話、完結済)」もよろしくお願いします。