06 太陽
「にしてもアゴランティスは最初はニーナのこと見下してたのにコロッと態度変えたな」
「……あいつはプライドが高いからな。それでも命の恩人への感謝の念を忘れるやつではないよ」
「へえ」
「ニーナ・バーグの人柄を見ていたのだろう。貴族が膝を折るのは主君か愛する人間か恩人か。最後に至っては古い慣習でやる者も少ない。もしろくでなしだったら後の祭りだろう」
「よかったな。ろくでなし判定されなくて」
「うーむ、これはアゴランティスさんと呼ぶのを控えた方がいいのか……」
悩むのはそこか。アレクは苦笑した。やけにその呼び名を気に入っている。ニーナはフランシスのことがお気に入りらしい。フランシスの反応を見てきゃっきゃと喜ぶ姿は子供のそれだ。……アレクより早く仲良くなったな、と心の狭い自分が言うのが分かる。
嫉妬。
頭に浮かんだ文字に目の前で浮気をした元婚約者にも嫉妬なんかしなかったくせにと思う。そんな立場じゃない。わきまえろ。そう心に言うが言うことを聞いてくれない。膝を折りニーナの手に額を寄せるフランシスに何とも言えない感情がわいた。──そこは俺の場所だ、と。
「アシュレイさん?」
「……あ、ああ。どうした」
「ボーッとしてたので。体調でも悪いですか?」
「少し考え事をしていただけだよ」
笑って返すとニーナは「眉間にシワ作って考え事してるときは良くない方向へ考えすぎてるときですよ」と眉間を触りながらそう言った。
「……そうかもしれないな」
「さてそんなとき、元気がないとき、やる気がでないとき。おすすめしたい魔法があります」
「セールスマンか?」
「シモンうるさい。よいしょ」
ニーナはパチンと指を鳴らして談話室の明かりを消した。うっすらと暗くなった部屋にニーナの声が響く。
「おいでおいでチョウチョさん」
魔法陣が光りになり、ニーナが両手を皿のようにくっつけたその上に現れたのは両手サイズの繭。その繭が白く光りながら紐解くように形を変えて中身があふれ出た。そこから出たのは半透明の色とりどりの蝶々だった。蝶々は赤、青、黄色、白と色んな色に光りながら談話室を自由に飛び交っていく。
息をのむその光景。美しいと思った。アレクを元気づけてくれてるのだと嬉しく思った。だから礼を言おうとニーナを見た。ニーナの肩に二匹の蝶が乗っていたのでニーナの表情がよく見えた。
「っ、」
ニーナは笑っていた。無邪気に楽しそうに笑っていた。アレクは幻想的な蝶の舞よりもニーナの笑顔に心が惹かれるのが明確に分かってしまった。胸が熱い。顔が熱い。心がないている。
『太陽がどうして誰もが必要とするのか分かる? アレク』
幼い頃のある日の母の声が頭に浮かぶ。分からないと素直に言うと母は穏やかに笑ってこう言った。
『誰にも平等に光りを与えてくれるあたたかくて優しい存在だからよ』
アレクを救ってくれたニーナ。それだけでいい。それだけでいいのだ。それ以上は望んではならない。
だって太陽はみんなのものなのだから。
「どうでした? この魔法」
蝶は消えて再び部屋に明かりがともる。ニーナは真っ直ぐな明るい緑色の目でアレクを見ていた。
「元気が出たよ、ありがとう」
ちゃんと笑って返せているだろうか。
***
「今帰った」
王都にある別邸にアレクが帰宅すると使用人達が出迎えてくれた。無機質、とまでは言わないが、侯爵家の使用人らしく感情を露わにしないように徹底している彼ら。……が、なぜか微笑ましそうに笑みを浮かべているのはなぜだろうか。アレクは何時もと違う使用人達の様子に一歩下がった。
「な、なんだ」
「お客様がお見えです」
「客? そんな予定はあったか? お爺様達の来賓か?」
「はい。現在中庭のガゼポでお茶をされています」
「客の名は?」
「ニーナ・バーグ様です」
むせた。
ゲホゲホ咳をするアレクに使用人達は「坊ちゃま……」とにこにこ笑っている。誰か背中をさするくらいしろ。アレクはそう思ったが誰も動こうとしなかった。咳がやんでから「なぜニーナ・バーグがいるんだ」と訊くと「はい!」と侍女が満面の笑みを浮かべる。
「食料などを運ぶ業者が来る日が今日だったのですが、途中で悪漢に襲われたようで」
「貴族の食料を運ぶ業者はそれなりの護衛をつけているだろう。配達の日は加えてうちの者もつけているはずだ」
「計画的犯行というものらしく、それはもう数十人と囲まれたそうです。そこに現れたのがバーグ様です!」
「…………」
「千切っては投げ、千切っては投げ! 業者の者も護衛達も象とアリの戦いだったと称す活躍ぶり!」
「…………」
「その事を知った大旦那様と大奥様がお礼にとお茶にお誘いした次第でございます」
「…………」
「アレク様」
「……なんだ」
「お着替えをなさいますか? 最近の女性の流行などをばっちり押さえたお洋服をご用意しておりますよ」
「制服のままでいい」
ばっさりそう言い切ると侍女も使用人達も「ええ……」とがっかりした顔をした。アレクはそれを無視して中庭に出ることの出来る廊下を歩く。そんなアレクについて来たのは専属執事のルパートだった。
「アレク様」
「なんだ」
「侍女達はそれはもう楽しそうに洋服を準備していたのです」
「制服は正装だ」
「バーグ様にとっては見慣れた格好です。心を射止めるなら違うお姿を見せるのも大切なことかと」
「ルパート」
「なんでしょう」
足を止めて振り返る。アレクを幼少期から見てきた壮年の男は楽しげにアレクを見ている。
「……彼女は、恩人だ」
「存じ上げております」
「それ以上も、それ以下もない」
「アレク様がそうおっしゃるなら私はそのように従うまでです」
「本当にそう思っているか」
「ふふふ。アレク様」
「なんだ」
「大旦那様と大奥様はバーグ様の好みの男性をそれはもう根掘り葉掘り」
「早く言えっ!!」
早足で向かい、比較的静かに中庭に続くドアを開く。そこには毎日顔を見る祖父母と学校で分かれたばかりのニーナの姿があった。
「あ、アシュレイさん」
「ニーナさん、ここにいるのは皆アシュレイさんよ」
「そうだなぁ。ここはアレクを名前で呼んではくれないか?」
「お爺様、お婆様」
冷えた声で呼びかけると二人とも悪戯っ子のように笑った。
「お邪魔しています」
ぺこりと頭を下げて立ち上がろうとしたのを手で制す。すぐさまルパートが足りない椅子を持ってきた。……ニーナの隣に。
ルパートをジロリと見ると拳をぐっと握り「ファイトですよアレク様」と小声で言った。なにがファイトだ。そう思いつつもニーナの隣に座るのは少し時間がかかってしまい、祖父母を更に笑わせる結果となった。