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第二章 JCとJK その四

 韓非子に出てくる矛と盾の逸話。矛盾の語源となる逸話を用いて、神を問う少女。


 揺るぎない信仰心とは別に、マクガイアの心が震える、心が踊る。

 神は御わす!彼女との出会いは神のお導きだったのだ。


 ただ、今は何か言わなくてはならない。咄嗟(とっさ)に口を突いて言葉が出た。

「パ、パンになります。矛も盾も・・・」

 周りが一瞬静かになったように感じた。それは、マクガイアの勘違いではなかった。


 乗客たちは失礼にならないよう、無関心を装いながら、その実、この神父と女子高生の特異な組み合わせに興味津々だったのだ。


 マクガイアとユリアのやり取りに多くの乗客が耳をそばだてていたのだ。

 マクガイアは周りの反応が怖く、ユリアから視線をそらすことができなかった。


 すると、向き合ったユリアの顔が膨らみ、紅潮する。

「パ、パンになりゅ?」笑いを堪えてユリアが声に出す。


 背後で降穂(ふるほ)が「奇蹟だ・・・」と感嘆するように声を漏らす。

「パ、パンになる?マジで、やばいんですけどぉ」とユリアが堪え切れずに笑いだした。


 恐る恐る背を向けていた降穂を振り返ると、降穂は真面目に「奇跡です」と再度、呟いた。その声に勇気づけられたマクガイアは、ユリアに向き直り、話を続けた。続けるしかないと思った。


「そうです。奇跡です。最強の矛を持つ兵士と、最強の盾を持つ兵士が向き合った時、最強の矛は白パンに、最強の盾は黒パンになりました。血を望む者たちに、神の肉が与えられたのです。殺伐とした戦場に、焼き立てのパンの芳香が満ちます」


 真面目な顔で、悪びれることなく話を続けようとするマクガイアに、ユリアは笑いを抑えながら「ムリムリムリ、ぷぷ、駄目だよ、なんで、ぷ、真面目に話し続けるし」と言って吹き出した。


 ユリアの様子に怯むことなく、マクガイアは続ける「敵を眼の前に、奇跡を目撃した兵士たちは神の御心に触れて改心し、手にあるパンを割って、互いに交換するのです」


「食べるんだ、皆でパン食べるんだ」とマクガイアの肩を叩いて笑うユリア。

 前の座席の男が立ち上がり、振り向いてマクガイアを見て「最高です」と言って右手を差し出した。困惑を隠してマクガイアはその手を強く握った。


 小さな影を落としながら、雲の上を飛行機が行く。

 雲が遠く、いまいち速度がつかめない。時より雲の合間から海面の輝きが覗く。


 そんな眺めに飽いて、ユリアはヘッドホンを付け、シートに備え付けのモニターでドラマを視ている。


 最強の矛と最強の盾がパンになる。

 何を言ってしまったのか、なぜそのような事になってしまったのか、重要な使命を帯びて日本の地を踏む、その直前にやらかしてしまったという思いが、胸の奥でうずいている。


 隣の紳士、降穂が「”パンになる”は大変面白い。味わい深いご回答です。争いの最中に、平和が顕現する、まさに神の御業です」と、マクガイアを慰めてくれた。


「それにしても、褒めるべきはあちらの、ユリアさんとおっしゃいましたか、非常に聡明でいらっしゃる。中国の古典を用いて神の存在を問うとは大したものです。お二人はキリスト系の学校の先生と生徒さんなのですか?」問われるままにマクガイアは経緯を話した。


 感心して降穂が言う「まさに”旅は道連れ、世は情け”ですね。この諺はご存知でしたか?」頷くマクガイアを見て、言葉を続ける「”情けは人の為ならず”という諺もあります。マクガイアさんがユリアさんにかけられた情けが、回り回ってマクガイアさんに戻ってくるでしょう。案外、布教もうまくいくかもしれませんね」


「案外ですか?」

「いや、これは失敬。実は、ご挨拶の際に、日本人を全員キリスト教徒にするとお聞きして、それは絶対無理だろうと思ってしまいました。でも、今は、絶対に無理とは言えない気分です」ととてもチャーミングに微笑んだ。


「降穂さんは、何をされてるんでしたっけ?」

「貿易商です」

「何をあつかっているんですか?」


「特に専門というのはありません。お客様が望むものを都度調達しています」

「何でも?」

「ええ、何でも」


「私を守る最強の盾をください」とマクガイアは泣き笑いの表情で言う。

「最強の盾なら、既に持っておられるじゃないですか」チャーミングな笑顔のまま降穂が言う。マクガイアがなんのことかと首を傾げる。


「信仰ですよ」と降穂が少し冗談めかして言う。その言葉にマクガイアの瞳に火が灯り、表情はパッと明るくなる。たまらず席を立ち上がり叫んだ。


「神はいらっしゃいますか!神はいらっしゃいますか!」機内のざわめきにキャビンアテンダントが気づき前の方からマクガイアの席に向かおうとしている。


「どした?どした?マクガイア?」とユリアがマクガイアをとにかく席に座らせる。マクガイアは顔を紅潮させて席にもたれかかり幸せそうに微笑んでいる。


「お医者さんはいますか、みたいに言うけど、いないから、ね、ね」と言い聞かせるようにユリアが言う。

「ユリア、神はおわす」と毅然と言い切るマクガイア。


「ごめん、マクガイア。いまちょっとその話、しんどいかもなんだけど」と話を切り上げようとする。

「ユリア、神を思うことは楽することではない!とてつもなくしんどいことなのだよ!」


「そうですね。とりあえず、落ち着きましょう。マクガイアさん」と降穂もなだめにかかる。

 美しい女性キャビンアテンダントがやって来て、マクガイアを覗き「何かございましたか?」ととっておきの笑顔で声をかけた。


 マクガイアは姿勢を起こし言った。

「ありがとう。大丈夫です。わたしが呼んだのは神であって、天使ではありません」


 キャビンアテンダントは困惑の混じった笑顔で頭を下げて、業務に戻っていった。

「なんじゃそりゃ」とユリアは呆れて窓の外に目を向けた。降穂がおかしそうに肩を揺すって首を振る。


 飛行機は着陸体勢に入る。ユリアは窓を覗きそこに日本の国土を認めると、振り向いてマクガイアの肩をパンパンと叩いた。マクガイアも身を乗り出して日本を見た。とうとうやって来たのだ。


 着陸し、飛行機が止まると降穂が同時に席を立った。

 キャビネットから自分の荷物を取り出して、一旦足元に置くと、上着の内ポケットから一枚の名刺を取り出してマクガイアに手渡す。


「何か、お困りのことがありましたら、ご連絡いただけますか。お力になれると思います」そう言って、ユリアにも丁寧に別れの挨拶をし、颯爽と去っていった。


 マクガイアはしばらく名刺を眺めた。そこには名前と電話番号しか記されていなかった。貿易商である降穂がどのように自分の力になるのだろうと考えたが、思い浮かばない。


 マクガイアは、名刺をポケットにしまい、キャビネットから、自分とユリアのボストンバッグを取り出した。ユリアは自分のボストンバッグを肩にかけると、マクガイアの背を押しながら飛行機を降りた。


 ユリアはマクガイアを外国人の入国窓口まで連れていき、列に並ばせると、元気に手を降って日本人の窓口に向かっていった。やがてマクガイアの番になり、パスポートを入国管理官に差し出した。


 小太りの入国管理官が、お決まりの質問をする。

「ミスターマクガイア、来日の目的は何ですか?」


「教皇になるためです」

「んっ、きょうこう?」


「いえ、すみません。段階を飛ばしてしまった」それを聞いて、入国管理官は安心したように微笑んだ。

「そう、私はすべての日本人をキリスト教徒にするためにここに来ました」


「なるほど、う〜ん。なるほど、ミスターマクガイアは、イエズス会の宣教師で、日本に布教活動にこられたということですよね?」


「そうです。そのとおりです」

 ほっと息をついて、入国管理官がパスポートに判を押して、マクガイアに返した。


 入国管理官は気を利かせてマクガイアの去り際に「ゴッドブレスユー」と声を掛けた。

 その途端、マクガイアはアクリル版に飛びついて「あなたはキリスト教徒ですか!?」と大きな声で尋ねる。目を見開いて驚く入国管理官は首をブンブンと振る。


「神を信じておられるんですよね!キリスト教徒になりませんか?」

「あ〜めんどくせぇ!!」と入国管理官が手をシッシと振る。

「GO!GO!」と後ろのアラブ系の男性に背を押される形でマクガイアは日本に入国した。


 入国ゲートを出たところで、ユリアと初老の地味な男が立っていた。ユリアはマクガイアを見つけると手をブンブンと振る。


 マクガイアはユリアの方に歩み寄り「迎えの方とは会えましたか」と声をかけた。

「うん、お陰様で。ちゃんとお礼を言いなさいって、先生が。それで、マクガイアが出てくるのを待ってたの」


「お礼?ただ一緒の飛行機に乗っただけですね」

「ううん、正直、めっちゃ不安だったんだ。だけど、マクガイアが居てくれて楽しかったよ」改めて、ユリアはありがとうございましたと頭を下げた。


 同時に先生であろう地味な男がユリアと同時に頭を下げる。

「ミスター・マクガイ様、本当にありがとうございます。この度は、本当にご迷惑をおかけいたしました」


 マクガイアはその初老の男をマジマジと見る。髪は整えられているものの無精髭が目立つ。丸メガネで長過ぎるベルトで締め上げられたスラックスは大きくよれている。


「どうも、ニコラス・マクガイアです。」と右手を差し出す。

「ああ、どうも倉棚さんのクラスの補助教員をやっております、佐藤保と申します。」

「ホジョ・・キョオ」


「あ、いやすみません。あ〜、アシスタントティーチャー、ユー、ノゥー?」と佐藤は少し照れたような笑みを浮かべマクガイアを下から覗き込んだ。


 マクガイアは「アシスタントティーチャー」と繰り返す。「そうです。アシスタントティーチャー・・・補助教員なんです、ええ。

あのぉ、3年前まで正教員として別の高校で勤めておったのですが、定年退職しまして、あっリタイアですね。

で、ですね、近年と申しますか、だいぶ以前から日本では教員不足に陥っておりまして・・・」と話を展開しだしたところで「はいはいはい、先生、長くなります?」とユリアが割って入った。


「あ、あ、いやいやいや」と佐藤は照れ笑いを浮かべマクガイアにお辞儀をして距離をとった。

 空いた隙間にユリアは飛び込んで「ねぇ、今度、マクガイアの教会に遊びに行っていい?」もちろんと頷く、マクガイア。3人は並んで駅の方へあるき出した。


 日本行きが決まった後、マクガイアの不安は空港からの道のりだったのだがユリアと同行できたことで難なく京成本線に乗り、勝田台で東葉高速鉄道に乗り換え、西船橋で東京メトロ東西線に乗り換えることができた。


 マクガイアは飯田橋で有楽町線に乗り換えなければならず、そこでユリア一行と別れることになる。

 ユリアは「有楽町線だよ、和光市行きに乗るんだよ、絶対、遊びに行くからね」と閉まりかけるドアの向こうでホームに降りたマクガイアに言い聞かせる。


 やがてドアが閉まり、ユリアが小さく手を振った。マクガイアは手を振り返しユリアを見送った。そうして、マクガイアは麹町へ向かった。


 麹町駅の改札を出て、地上に上がる。Google mapで教会までの道筋を示す、ふと、マクガイアは星に導かれた東方の三博士のことを思った。


 Google mapの導きに従って教会に辿り着いた。正しくは教会だった場所にたどり着いた。


 辿り着いたはずだと思う。マクガイアの目の前にあるのは、教会らしき焼け落ちた建物跡だった。


 マクガイアは立ちすくんで「オーマイゴッド」と呟いた。

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