第二十五章 バチカン特使 その一
大阪万博を訪れた翌朝、4人でアパートを出て、バス停に向かった。
鈴はすっかり仁に懐いており、右手でマクガイアの手を握り、左手で仁の手を握っている。
3人の後ろをついて来る紫紋先輩が「ところで仁・・・お前、リュックなんか背負ってどこ行くんや?」と声をかけた。
「里帰りするんですよ」と仁が答える。
紫紋先輩は、東京かとつぶやいて「俺も東京行くわ。ついてってええか?」と聞いた。
「聞く前に、決めてるじゃないですか」と仁は笑い、「いいですよ、一緒に行きましょう。どうにかなるでしょう」と返した。
JR京都駅で仁が「それじゃ、マクガイアさん僕らは、ここまでです。大阪駅で降りてくださいね。そこからの道は大丈夫ですか?」と確認した。
「大丈夫です」とマクガイアは親指をぐっと上げる。
「くれぐれも、地下で行こうとしてはいけませんよ。梅田の地下は初心者にはラビリンスですからね」
「うめだ?わたしが行くのは大阪です」
「そうです。JR大阪駅は梅田にあるんです」と仁は言って、これ以上の説明はマクガイアを余計に迷わすことになると考えて言葉を切った。
「なるほど・・・まあ、なんとかなりますよ。神のお導きで」とマクガイアは仁に笑顔を返す。
仁と紫紋先輩は、マクガイアと鈴が改札を抜けてホームに下りるまで見送ってくれた。
改札を抜けてマクガイアが振り向くと、二人は改札の外から手を振って「東京の教会で会いましょう」とマクガイアに言った。
「約束です」そう言ってマクガイアは二人に手を振り返した。
鈴の手を引いて駅のホームに下りると丁度、電車がやって来たところだった。マクガイアと鈴はその列車に飛び乗った。
マクガイアが乗りたかった車両は新快速なのだが、二人は快速電車に乗ってしまっていた。
梅田駅に到着し、列車を降りると人波に流されるようにしてエスカレーターに乗った。改札を出ると、下に線路を見下ろしている。地下に下りるどころか高層階に出てしまった。
待ち合わせのホテルはJR大阪駅の北東にある。取り敢えず、スマートフォンで位置を確認してマクガイアは鈴の手を引いて歩き出した。
エスカレータを下りると大きな建物が見えた。意外と近いなとマクガイアは思いながら、その建物に入るとそこは家電量販店だった。
ポケットからスマートフォンを取り出して再度確認する。目的のホテルはまだ先だった。
家電量販店を出て、高架を進んで行くと、建物の中に入っていく、その先で降りた駅とは違う、別の駅に辿り着く。
地下だけがラビリンスではないようだと、マクガイアは思った。
約束の時間に10分ほど遅れて、なんとか待ち合わせのホテルに辿り着いた。
時間が厳しい日本人との待ち合わせに遅れて、どう言い訳したものかと入口前で入るのをためらうマクガイアを鈴が下から覗き込む。
鈴に微笑みかけ、どうにでもなれっとドアボーイが開けた扉を潜る。
中に入ると静かで明るい空間が広がり、上品な観葉植物が所々に配置されている。
居心地良さげに身なりの良い人たちがあちらこちらで集り談笑している。
その間を縫って、ホテルの従業員たちが小気味よく立ち働いているのを見て、マクガイアは良いホテルだと思った。
周りを見渡したが、宇津奈議員の一行を見つけられない。
仕方なく、フロントへと数歩あるき出したところ、黒服の若い男が行くてを阻んだ。
「イエズス会のマクガイア神父ですね」と男が言う。高い声音に隠せないイラつきが混じっている。
「すみません。遅くなりました」と頭を下げたマクガイアが、頭を上げるのも待たずに「こちらへ」と男は歩き出した。
若い男にはマクガイアをバチカン公国との仲介者としてもてなす気はなさそうであった。
数人の男が囲むソファーに男が二人座っている。囲みの男たちがマクガイアに怒りとも、蔑みともとれる目を向けている。
マクガイアは、10分遅れた自分に対する日本人の反応を観察し、楽しんでいた。
ソファーの前に連れてこられると「マクガイア神父がお着きになりました」と先程の男が声を掛けた。
「マクガイア君、日本では時間厳守ですよ。まあ、外国人だから仕方ないんでしょうが、日本人だったら、詫びの一つもいれてもらうところですよ」とマクガイアから見て左側に座る脂ぎった小太りの男が睨みつけてくる。
「かまわない、岡野」と宇津奈議員が小太りの男を制して立ち上がり「マクガイア神父。今日は、よろしくお願い致します」と丁寧に頭を下げた。
マクガイアは頭を下げて、宇津奈議員の礼を受けつつ、この一団の中に感じの良い人間が宇津奈議員一人であることを不思議に思った。
「では、先生。先方を待たせてはいけません。部屋に向かいましょう」と岡野と呼ばれた男が宇津奈議員を促して、最初に声をかけてきた若い男に目で合図する。若い男はフロントへと走って行った。
男たちは皆、鈴の存在に気づいていながら、笑顔の一つも寄越さない。
鈴はといえば、マクガイアの手を引っ張ってホテルの外に出ようとする。
マクガイアは鈴に向かって、それはできないと指を振った。
ブスッとむくれて鈴がいやいやマクガイアの後に付き従った。
フロントの手前で、一行は立ち止まる。最初に声を掛けてきた若い男がフロントで女性スタッフに声をかける。
女性スタッフは笑顔で頷いて、電話を取って、しばらくして申し訳無さそうに男に頭を下げる。
若い男は女性スタッフと二言三言やり取りした後、戻ってきて岡野に説明する。
「そんな、馬鹿なことがあるか」と岡野が声を荒げ、フロントへ向かう。
フロントの女性は、岡野に指を突きつけられ、たじろいでいる。
フロントの女性は再度、電話を取り、電話を置いて、なんとも伝えにくそうに何事かを伝えた。
顔を真っ赤にして岡野はフロントに身を乗り出して、フロントのカウンターをバンっと叩いた。
「ふーっ」と一息吐いて、見てられないとマクガイアがフロントへと向かう。
「もう一度電話してくれ、ちゃんと宇津奈議員だと伝えるんだ。国会議員の宇津奈一茶衆議院議員。いいか、う・つ・なっ・・・」
マクガイアは、脅すように言いつけている岡野の肩を叩く。
女性スタッフに笑顔を向け「ちょっといいですか」と声をかける。
「何のつもりだ、マクガイア神父。君は引っ込んでいたまえっ」と収まらない様子の岡野をマクガイアは手で制し「イエズス会アントン・モーヴェ日本教区長の使者ニコラス・マクガイアです。バチカン特使に面談のため客人をお連れしたとお伝え下さい」
女性スタッフは静かにうなずいて受話器を取り、マクガイアの訪問を伝え、二言、三言やり取りをした後、受話器を置いてマクガイアに向き直って言った。
「マクガイア様、あちらにあります一番奥、右手のエレベーターで28階にお上がりください」
マクガイアはスタッフに笑顔で会釈し、岡野を見る。
マクガイアは、岡野の苦虫を噛み潰したような表情を十分堪能した後「宇津奈議員、バチカン特使の元へ参りましょう」と一団を先導して歩き出した。




