第一章 教皇となる男 その四
日本での布教の困難さを尋ねるマクガイアの言葉に、自分とその数を侮るような気配が微塵もないことに気を持ち直して、ストリッケル総長は言った。
「日本での宣教を困難にしている要因は3つある!」そう言って指を3本マクガイアの前に突き出してみせた。
「お、教えてください。ストリッケル総長!」
「一つ、場合によっては日本がキリスト教圏を凌ぐ発展をしていること。
二つ、神学的土台がないこと・・・」勢いよくそこまで言って、ストリッケル総長は腕を後ろに回し、うつむいた。そして、何かを探すようにその場を一回りする。
何も見つからなかった様子で、右手の人差し指で顎をぽりぽりかくと、咳払いをして「一つ目の日本の発展に関してだが」と、語り始める。
今度は、マクガイアが辺りをソワソワと見渡す。3つ目を探しているのだ。
咳払いを一つして、マクガイアの視線を自分に向させストリッケル総長は続ける。
「我々の宣教地での活動は教育や医療を通じた社会活動、地域貢献がフックとなるよね。でね、教育だけどね、日本は、ほぼ識字率100%ですよ、自力でノーベル賞取っちゃってるし、ここでインパクト見せれるかっていう話。無理だよね?」と溜息をつく。
「医療はどうか?国民皆保険ですよ。世界一の長寿国で、肥満率も低い。ここでインパクト見せれるかっていう話。ウォシュレットの国で井戸掘って、凄いですね、キリスト教徒になりますってなる?ならないよね〜。」と同意を得ようと、マクガイアの目を覗く。確かにとマクガイアも思う。
「二つ目の神学的土台がないというのがね、一つ目より厳しいのだけどね」とストリッケル総長は言う。
「最近の映画で、ほら、あったでしょ、ど忘れしました。あの、スコセッシが監督で」と指でトントンと虚空を打つ。
「サイレンス」話の流れから見当をつける。
「それぇ。観た?面白かったよね、あれ」遠藤周作原作の小説「沈黙」をマーティン・スコセッシが監督して話題となった。公開は2016年12月23日、今からおよそ9年前の作品だ。
「あの映画の中で、神父にとって日本は沼だと例えられていたよね」微笑みかけるストリッケル総長の目は笑っていない。
「そう、沼。種が根付くことがない沼、それが日本だとね。『一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし』一粒の麦が地に落ち、死んでも実を結ぶことのなく腐る沼地、それが日本。それが私の言う神学的土台がないっていうことなんだな」自分の言葉に頷きながら、ストリッケル総長の表情は暗くなる。
「日本では、言葉が立たない。日本人には、言葉が刺さらない」呟くように言う。
「わたしが日本で感じていたのは、言葉の届かなさだった。30年、40年前の話になるかな。私の言葉が相手を射た、相手を突いたという実感を持つことはできなかったんだね」ストリッケル総長は、そう言って自分の頭を撫でた。
「どうも、わたし達の言葉は、彼ら日本人にとっては硬すぎるようなんだね。彼らはその言葉の硬さを嫌い、言葉を解き、ほころばせ、そのほころびに色々なものを結びつけて彼らなりの彼らのものとしてしまうんだ」そして溜め息をついた。
「こうも言えるかもしれない、我々の神学的な言葉は、神の言葉を正しく解釈するために定義することを主とするのに対し、日本語はアニミズム的な言葉であり、多くの事象との結びつき、多義性、曖昧さを求める言語だと」ストリッケル総長はマクガイアが話についてきているかを確認するような目線を投げて、続けた。
「で、その反面、日本人は現世利益には目がないんだよ。で、そこに付け込んでカルトが大流行だよ」と今度は先程より深い溜め息をついた。
「これは今まで話したこととは、少しずれるんだけど、日本が我々とは全く違う背景を持つことがわかる話として聞いてもらえるかね」と少し明るい声音でマクガイアに言った。
「モーヴェ神父、現在の日本教区長だね。彼と二人で聖書の勉強会を開催しようということになってね、半年で一通り聖書を学べるカリキュラムを作ったんだよ。
1人とても熱心に通ってくる女子大生がいた。彼女は半年間、休むことなく顔を出し、キリスト教への理解を深めていった。
そして最後のカリキュラムを終えた時、彼女はこう言ったんだ『聖書に書かれた話を考えた人は天才ですね』って」そう言ってストリッケル総長は少し笑った。しばしの沈黙が流れる。
「いや、つまらない話をしてしまった」と言って姿勢を正し、マクガイアに向き直って「君に神のご加護があることを祈っているよ」と言い右手を差し出した。
「ありがとうございます。ストリッケル総長。必ずや、ご期待に応えて見せます!」差し出された右手をマクガイアは力強く握り返す。
胸にふつふつと熱い思いがたぎり始める。その熱は、ストリッケル総長に伝染する。
「わたしは沼に向かいます」噛みしめるようにマクガイアが言う。
「わたしはそこが沼であり、わたしの言葉に力がないという、ただそれだけの理由で妥協したりしないつもりです!」ストリッケル総長の鼻をかじりそうな勢いでマクガイアは言った。
魂の熱い波動が部屋を満たす。ストリッケル総長の額が赤くなる。
「その意気やヨシ!」と、小柄なストリッケル総長がマクガイアに頭突きをかまさんばかりに前のめりで受ける。部屋の温度が上がった。
マクガイアはストリッケル総長の手を離し、腕を振り上げ自分の胸を強く打つと続けた。
「わたあしは、沼に向かいます!沼に麦を撒きましょう!
無駄だ無駄だと皆に笑われようとも、麦を撒き続けましょう!いや、麦がだめなら米を撒きます。
そう、沼に撒くなら米だからです!」とストリッケル総長の鼻先で拳を固く握る。
マクガイアの両肩で昇りつつある陽の光が揺らめいている。そして胸を張り、ストリッケル総長に微笑みかける。
「麦を米に替えることを躊躇することはありません。
なぜなら、わたしは、わたしの言葉の力を示すために、そこに行くのではなく、神の、イエス・キリストのために、そこに遣わされるのですから」マクガイアの瞳に、強い光が宿っている。
「神の意思そのものになると言うのだね。わかってくれたかマクガイア神父!」ストリッケル総長は感動していた。久々に感動していた。
彼は近頃の若い世代から熱量を感じられないことに不満と憤りを感じていたのだが、求める以上の熱量を、今、初老を過ぎた男から感じている。
「そしていいですか、ストリッケル総長!」マクガイアの声は一層大きく、強くなった。
「まだあるのかマクガイ神父!」ストリッケル総長は、マクガイアの最後のカードを切るような目つきに身構える。二人の視線が熱く激しく交差する。
「わたしは」と言って、マクガイアは息を整える。一筋の汗が頬を伝う。
ストリッケル総長の目が見開かれる。部屋の温度が上がる。
「わたしは」とマクガイアが言う。ストリッケル総長が目を見開いたまま小さく頷く。
「わたしは、1億2千万の日本人をキリスト教徒とし、教皇となる男なのです!!!」
ストリッケル総長は目を見開いたまま、動けない。「それはない」という言葉を辛うじて飲み込んだ。
門出なのである、祝ってやりたいのが親心。しかし、言葉が見つからない。眼の前のマクガイアの熱に逆上せて、ここまで付き合ったが、急に疲れを覚えた。
面倒くさいと思ってしまった。この場を収めるために、もう乗かってしまえ、乗っかるしかないとストリッケル総長は思った。
「行け、行くのだマクガイア神父!」と、僧服をなびかせて扉を勢いよく指差し、叫んだ。
その言葉を、文字通り激励と受け取ったマクガイアの瞳が一層強い光を帯びる。
そして、叫ぶ「征ってまいります!」
軍隊式の見事な敬礼で踵を鳴らすと、颯爽と部屋を出ていった。
ストリッケル総長は、詰めていた息をフーっと吐いた。彼は、観客のいない喜劇は、悲劇のような味わいがすると思った。
ストリッケル総長は席に戻り、机の引き出しにしまっているファイルの束からニコラス・マクガイア神父のファイルを取り出して、眺める。
ニコラス・マクガイ神父、1973年7月23日北アイルランド生まれ、11歳の時にロンドンのイエズス会が運営する孤児院に5つ下の弟ともに保護される。
孤児院で幾度か暴力事件を起こしている。弟を守るためというのが、本人の弁だ。
義務教育を終えると、運送業者に就職、その後、離職、フランスに渡り、外国人部隊に入隊。
コソボ紛争に派遣され、戦地で啓示を受け除隊後、フランス・リヨンにてイエズス会に入会。
リヨンの修道院で司祭としての叙階を目指し修行していたが、汎神論的傾向がみられるとされ、一度、アルデッシュの修練院に移される。その後、リヨンの修道院に戻り司祭としての叙階を受ける。
推薦人の言葉:頑健強靭な肉体に、神への溢れんばかりの情熱が宿るニコラス・マクガイア神父は語学は英語、フランス語、スペイン語、日本語に精通しており、修辞学に優れ、どのような地に派遣されようとも、よく苦難に耐え、教会に大いに貢献するであろうと考えます。
長所:パッション 短所:パッション
「大丈夫なのか、彼で・・・」一抹の不安を感じるヨハネス・ストリッケル総長であったが、ファイルをしまい、静かに引き出しを閉じた。