第十二章 渡世の仁義 その二
安原が寝ている病室に続く廊下から騒がしい声が聞こえる。
「何なんですか、あなた達は、ちょっと警察呼びますよ」
「看護婦さん、ちょっとだけ静かにしてくれませんか。こっちもいろいろあるんスよ」と言う小籔の声が聞こえる。
病室のドアが開けられドヤドヤと手下達が入ってきた。
「おやっさん!」と多田が目を見開いて声をかけてくる。その目は血走っていた。
「ちょっと、なんですか」と看護婦が声を上げる。
安原は看護婦に謝って、事情を話す。看護婦が病室を出ていくのを待って
「すいません」と頭を下げる多田に「謝る必要はねぇだろ。多田、一人にさせろってのは俺が言ったんだ」
「で、どうなってる?」
「金も台帳も取り戻しました。賭場もいつも通りです」と多田が言う。
それを聞いて安原の口から安堵の溜息が漏れる。
「で、台帳、どうやって取り戻した?」と多田に聞く。
「それが・・・あの日の翌日に郵便で事務所に届きまして・・・」と歯切れの悪い口調で多田が言う。
「ああぁンッ!」と安原は怒気を抑えられず多田を威圧する。
郵便で届けられたことを、取り戻したと言えるのか。相手の企みがわからない。
台帳の出どころがわかり、ビビって返したわけではない。ビビったのなら安原を刺しにくるわけがないのだ。だとしたら、相手はこちらを舐めているに違いない。怒りがこみ上げてくる。
「今、送り主を探ってます。必ず見つけ出して、落とし前つけさせますんで・・・」と多田は頭を低くして言う。「あたりめぇだ!バカッ!」と安原が怒鳴る。
「で、おやっさん、なにがあったんですか?」と多田が聞いてくる。
「刺された」と安原が短く答える。
「誰に?」と多田が重ねて聞く。
「わからん。素人だ、それは確かだ。切羽詰まってやらされたんだろう」
「心当たりは?」と多田は寝ぼけたことを言う。
「おい、お前、馬鹿か?心当たりはだ?台帳掠めたヤツに決まってんだろうが!」怒りに任せて身を起こすと、鋭い痛みが安原を襲った。
「すみません・・」と多田が頭を下げる。
「で、そっちは何か掴んだのか?」と安原はベッドに体を戻して聞いた。
「まだ、なにも・・・おやっさんを刺したヤツも同時に追って、重なる点を探って、あたりを付けるってのはどうっすか?」と多田が言う。
「そうだな、それでやってくれ」と安原は答えた。
「多田よ、悪いがもうひとつやってもらいたんが、いいか?」
「もちろんです」
「俺を助けてくれた女子高生がいるんだ。礼を言わなきゃならねぇ。探してくれ」
「もちろんです」
安原は自分が刺された場所、女子高生の特徴を多田に告げた。
「俺が刺されたことを知ってるのやつはいるか?」
「いません」
そうかと、答えて安原は胸を撫で下ろす。
ヤクザは、弱みを見せたら終わりなのだ。
傷を負ったと思われたら、衰えたと思われたら最後、四方八方から襲いかかられる。そういう世界だ。
「俺は、完治するまでまだ時間がかかるらしい。とにかく情報を集めろ。その間、俺が刺されたことを誰にも悟らせるな。わかったか」と安原は多田に念を押す。
「はい」と多田が頭を下げる。
「行け」と安原は短く言った。
「あ、そうだ、おやっさん」と多田が何か思い出して、振り返る。
「益岡のオジキから連絡があって、うちのシマに人出したと言われまして、OKしてます」
「ああぁ!」と安原は跳ね起きた、腹部に鋭い痛みが襲った。
「おめぇは自分のシマによその人間を入れるってことがどういうことかわかってんのか?」と安原が言う。
「わかってます」と多田が再び頭を下げて言う。
「わかってねぇだろうがぁ!!」と安原は怒鳴る。
「いや、オジキですから、問題ないと思ったんですが・・」と多田が言い訳する。
なんで俺に相談せずに話を決めたという言葉を呑み込んだ。多田もいっぱいいっぱいだったのだろう。
シマに余所者を入れることの重さを多田レベルの男がわかっていないことがショックだった。
安原は益岡と義兄弟の盃を交わしている。対等の盃ではない、益岡が安原の兄貴分である。
益岡が席を置く大槻組の組長と、坂東組長が兄弟分であったことから、自分たちの若い衆にも兄弟分の盃をということで、大槻組組長と坂東組組長の立ち会いのもと盃を交わした。
ヤクザを武闘派とインテリヤクザに分けるなら、益岡はそのどちらにも収まりきらない。武闘派とインテリヤクザの両面を持っている。
益岡自身は中卒で極道の道に入っており、インテリとは程遠い。それでも、益岡は地頭が良く、情勢を読むのに敏で、人付き合いも上手かった。ヤクザとしての人付き合い、つまり脅し透かしと言う意味だ。
元々、武闘派で鳴らしていた大槻組で頭角を現した益岡は、闘争に怯むこともない。
ヤクザの世界にMBAがあったなら、そのテキストのページの多くを益岡の事例が埋めるかもしれない。
二十年ほど前に、益岡から安原にインターネット賭博を一緒にやらないかと誘いがあった。
「これからは地べたにシマ持ってても意味ねぇぞ兄弟。インターネットの中にシマ持ってなんぼだ」と言う益岡の言葉を安原は今でも覚えている。
安原はそれを断った。顧客台帳を共有するという条件があったからだ。それは、体の良い乗っ取りだと、吸収合併だと安原は思ったのだ。
今でも、その判断は正しかったと思っている。
ただ、その後から益岡の自分への態度が変わったと安原は感じていた。益岡が安原を見限ったように感じたのだ。
「おい、多田。俺たちゃシマ守るために命張ってんだぞ」と安原は多田に言い聞かせるように言った。
「はい・・・」と多田は下げた頭を上げずに言う。
「オジキに、すぐ引くよう言います」と多田が言う。
「できるかよ!」お前に、と言う言葉は、呑み込んだ。
「益岡の兄貴には、俺から話つけるから、オメェは何もするな。ただ益岡の兄貴のとこから入った野郎に人つけとけ」と安原は言った。対処しなければならない局面が増えた。
「はい」と答える多田の声は暗い。今になって、ことの重大さを悟ったようだ。
世代と言ってしまえばそうなのかもしれない。多田は安原より15下だった。
しかしと安原は思う。甘い、甘すぎる。その甘さを叩き直してきたはずが、ここででるのかと奥歯を噛みしめる。




