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第十二章 渡世の仁義 その一

 視界が(かす)んでいる。雨のせいなのか、自分の意識が途切れそうになっているからなのか分からない。


 雨音の中で”ぱっぱっぱか”と言う声が聞こえた。


 ああ、もうだめだ、幻聴が出始めた、もう、(まぶた)も思い。その時、さっと雨が上がった。


 音が止む、少し離れたところに立ち(すく)む女子高生が見えた。


 なんなんだと思っていると、女子高生と目が合う。女子高生は、こちらの状態に気付きはっと緊張した面持ちで荷物を投げ捨て駆けて来た。


 彼女が何かを語りかけているが、もう聞き取ることができなかった。


 濡れた制服から透けて見える彼女の下着が目に入る。最期に見る景色がガキの下着かと舌打ちしたくなる。ただ、そのガキが自分を助けようとしている。


 礼を言わねば男が(すた)る、そう思うのだが、声が出ない。目でありがとなと女子高生に伝える。


 彼女はもうこちらを見ておらず、スマートフォンを取り出して何やらやり取りしている。


 時間の感覚が分からない、今まで思い出しもしなかった子供の頃の場面がありありと脳裏をよぎる。自分は思っていた以上に、生きていたんだなと思う。


 視界が暗くなる中で、救急車のサイレンの音を聞いた気がした。ストレッチャーに乗せられる。


 自分の手を握る者があることに気付く「姉さん」と声にならない声を上げて(まぶた)を開くと、そこには先程のガキがいた。そして、何かを握らされた。バタンと音がして目の前が真っ暗になった。



 目覚めたときには、薄暗い病室に居た。

 危機的状況を乗り越えたと判断され、一般病室に移された。


 朝の巡回に来た看護婦がカーテンを開き声をかける。


「おはようございます。安原さん。気分はどうですか?だいじょうぶそ?はい検温しますね」と言って体温計を腋に挟んでくる。


「それから安原さん、病院に運ばれて来た時に身に着けてたもの、これ、持って来ましたよ」とビニール袋に入った財布やら時計やら携帯やらを手渡した。


 年配の看護婦は腋から抜いた体温計を見て「6度5分」はいっと言って、何かあったら枕元から伸びているボタンを押すように言って、出て行った。


 安原は渡されたビニール袋の中身を確認した。その中に、見覚えのない、キーホルダーがある。


 マーライオンが虹色の水を吐いている。

 救急車に乗せられる時に、女子高生に何か握らされたような気がするが、これかと思い当たる。


 それでも、なぜマーライオンなのかという疑問が残った。


 安原はスマートフォンの電源を入れる。画面が明るくなった。

 自分の右腕である若頭の多田に連絡を入れる。


 呼び出しのコールが鳴る前に多田が出る。

「はい」と多田が答える。荒い息遣いがスマートフォンから伝わってくる。


 多田は警戒を怠らず、返事だけ返し黙っている。


「俺だ、多田」と安原が告げると、飛びつかんばかりの勢いで多田が問いかける。


「おやっさん!ご無事で?」後ろでざわつきが起こったのがスマートフォン越しに伝わった。


「無事じゃねぇな」と答える安原に多田が一気に問いかけてくる。その声を制して、安原は言った。


「マゴ病院にいる。小籔だけ連れてこい。他の連中は通常業務だ」

 すぐに向かいますと多田は答えて、通話を切った。


 傷の状態、今後の治療について説明するために担当医がやって来た。


 医者は豆タンク型の体系をしていた。その体に3ヶ月は床屋に行っていなだろうボサボサの頭を乗せている。


 架けている眼鏡は手垢でくすんでいる。対称的に、着ている白衣はシミ一つなく真っ白だ。


「あんた、運がよかったよ。内臓はどこも傷ついていない。

 ただし、ちょっとばかり太めの血管を切っちまった。

 あと少し遅れてたら死んでたろう。

 まあ、しばらく安静にして、早くて1週間、遅くて2週間ってとこだな」と医者は簡単に説明を終えて「で、あんた極道だろ?」と言った。


 安原は、ちらっと医師に目をやったが何も言わない。


「救急隊員が受け入れ拒否に会ったって愚痴ってたよ。で、うちしか受け入れ先がなかったって話だ」


「そうか、立派な病院に断られて、小汚え病院に辿り着いたってわけか」と安原が憎まれ口を叩く。


「そうだな、今のご時世、どこも極道もんをよろこんで受け入れなんてしねえよ。面倒臭え。うちみたいな貧乏病院くらいだろう」と医者が言う。ぞんざいな口をきく医者に、安原は好感を抱いていた。


「うちも面倒臭えことはお断りなんだ。で、直ぐに消えてくれると助かる。あんたが刺されていたことは既に警察に知れちまってる。あんたから話が聞けるようになったら、警察に知らせることになっている。2日後って、とこだろう」と医者が言う。


「わかった。出て行くよ」と安原が事情を察して言う。

「お前、馬鹿だろ。俺の話を聞いてたか。2日じゃ治らねぇんだよ」

 安原は、どうしろというのか、面倒くせえのはお前だろと睨む。


 すると医者は、うつむきながら「これは独り言なんだが。この病院には、秘密の地下室というものがある。受付の裏に道具室があって、その床に地下室への入口がある。そこに居ても誰も気付かないだろうな」と言う。警察が来たらそこに隠れて、やり過ごせということなのだろう。


 だが、安原にはわからない、自分のようなヤクザをこの古ぼけた病院がなぜ(かくま)おうとするのか。


 医者は話は終わりと立ち上がって、出ていこうとする。


「なあ、なんで、良くしてくれるんだ」と安原は尋ねた。


「お前、坂東さんとこだろ・・・ヤクザなんてクソだが、あの人は侠客(きょうかく)だったよな。この病院が乗っ取られそうになった時に、助けてくれたのが坂東さんだった。そういうことだよ」と初めて笑顔を見せて医者は病室を出て行った。


 安原はまた、坂東に生かされたと思った。グレた挙げ句に父親を殺して少年院送りとなり、出所後に街で暴れているところを坂東に拾われた。そして、闇賭博でのシノギを仕込まれた。


 糖尿病が悪化し、坂東が引退を決めた時、自分にシマを譲ってくれた。安原が引き継ぐことに異を唱える者を黙らせて、安原が十分に力をつけるまで目を光らせてくれた。


 安原がシマを引き継いで5年後、坂東は逝った。


 ネット賭博だなんだかんだで、シノギは減る一方だったが、なんとか十三人の手下を従えてここまでやってきた。で、一月前、顧客の台帳が盗まれた。


 安原は指を落として落とし前をつけようとする若いもんを怒鳴りつけ、台帳の奪還を命じる。


 ただし、静かにやれと、誰にも気取(けど)られることがあってはならないと手下に告げた。


 顧客台帳を盗まれたなんて世間に知られたら、面子(メンツ)丸潰れである。


 ヤクザの世界は面子(メンツ)が命だ。


 台帳をパクったバカは直ぐに捕まえた。しかし、手元には台帳はなかった、端金で売り払っていたのだ。そのバカは直ぐに口を割ったので、直ぐに沈めた。


 そのバカは、最近、貸金系から流れてきた奴で電話番をさせていた。面通しの時に、危うさを感じなかった訳ではないが、(ちまた)で言われている人材不足はヤクザ稼業も同様だった、それに貸金系の奴らは口が上手い、電話番にもってこいなのだ。 だが、失敗だった。


 そして、流出した先を辿(たど)っている途中で刺された。

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