第十章 凸る その一
マクガイアは昼前に相模原駅に着いた。ユリアの思いに応えるためにここへ来たのだが、少し腹が減っていたので、目についた駅前の喫茶店に入った。
マクガイアが店のドアを開けるとカンロンとベルが鳴った。
その音に振り向いて「いらっしゃいませ」と言うウェイトレスの声が、マクガイアを目にして尻すぼみに小さくなった。
カウンター越しのマスターとウェイトレスは宣教師の突然の登場に驚き、動きを止め、固まっている。
「あのぅ・・・宗教でしたら、間に合ってるんで・・・」で、とマスターが申し訳無そうに言う。
「ランチです」簡潔にマクガイアが言うと、ウェイトレスが頭を下げて、こちらへと手で指し示す。
奥の二人がけのテーブル席に通された。
壁には大きな額が掛かっている。晴れた日に帆船がひしめき合う入江の絵だ。
さほど面白い絵ではないが、絵にある奥行きが店内を幾分広く見せる効果があった。
マクガイアが席に着くと、ウェイトレスはメニューを差し出した。
マクガイアはメニューを開くが文字ばかりで、どのような料理なのか見当もつかない。
困惑しているマクガイアを見て、ウェイトレスは文字が読めないのだと合点して「Aランチはナポリタン、Bランチはカツレツ、Cランチはたまごサンドイッチです。どのランチにもセットでサラダとコーヒーが付いてます」と言った。そして、さも、説明はこれで十分ですよねといった笑顔を向けてくる。
その笑顔はマクガイアに、ナポリタンとは何なのか、カツレツとは何なのかを問うことを躊躇させた。
マクガイアに唯一、イメージできるものが、たまごサンドイッチだったので、それを頼む。
日本で言うサンドイッチが、英国で言うサンドイッチと同じものであればの話だが、とマクガイアに一抹の不安がよぎる。
「コーヒーはホットになさいますか、それともアイスで?」と聞いてくるウェイトレスに、マクガイアはアイスをと頼んだ。
ウェイトレスが注文を伝えると、マスターが小気味よく動き出した。
マクガイアは、何が作られているのか、カウンターを覗き込みたい欲求を抑えて待った。
ウェイトレスがカウンターに入り、ドリンクを用意し始める。
そして、マクガイアの席に、銀のトレイに乗せて、アイスコーヒーを運んできた。
グラスの中で氷が音を立てている。
「アイスコーヒーです」と、ウェイトレスはマクガイアの前に置き、銀色の小さなピッチャーとミルクが入っているガラス製の小さなピッチャーを並べて置いた。
マクガイはストローの封を開けながら、アイスコーヒーに鼻を寄せ香りを確認した。間違いないコーヒーの香りがした。
アイスコーヒーの香りは、広がることなく、グラスのふちで漂っている。
ストローで一口すすってみる。
マクガイアは日本のアイスコーヒーのハッキリとクッキリとした味わいが気に入った。
マクガイアは、ただ少し余韻が欲しいと思い、ミルクを加えて一口飲んだ。
コーヒーの輪郭は幾分ぼやけたが、十分な余韻を楽しむことができ満足した。
ウェイトレスが再びトレイを持って、こちらに向かって来た。
そのトレイの上に載っているものを見て、日本のサンドイッチと英国のサンドイッチが同義語であることが確認できた。
「たまごサンドイッチです」と皿をマクガイアの前に置き、「サラダです」と小さなボウルのような器に盛られたドレッシングが掛かった、キャベツのみじん切りを置いた。
マクガイアは一枚のレタスと大量のたまごがはち切れんばかりに膨らんだサンドイッチを見ながら、サラダと呼ばれたキャベツのみじん切りを口に運んだ。
みじん切りのキャベツは一口、三口で無くなった。
さて、たまごサンドイッチである。
2枚の正方型のトーストに具を挟んで台形型に二等分されいる。その一つを手にとって、尖った方から口に運ぶ。
サクッという歯ごたえの後、ふわっとした食感が続く、辛子を含んだ茹で卵のペーストが口中に広がる。たまごのペーストが掴んでいる指にも、溢れてこぼれ落ちた。
マクガイアは今度は溢れる方から齧り付く、ほんのりバターの風味、レタスの歯ごたえも楽しい。
一切れを一気に頬張っていた。
厚めのトーストにギューと濃縮された甘さと酸味、僅かな辛味を添えた、たまごサンドイッチを嚥下して、アイスコーヒーを一口啜る。
このアイスコーヒーの苦みとたまごサンドイッチの甘みの見事な対称性が、マクガイアを魅了した。
マクガイアは満足してアイスコーヒーを再び啜る。
その時、ふとアイスコーヒーにミルクを入れるべきではなかったのではないかという思いに襲われた。
その方が、よりアイスコーヒーとたまごサンドイッチのコントラスト楽しめた気がしてならない、まさしくこぼしたミルクを嘆いてもしかたがない状況だった。
気持ちを落ち着かせ、残りの一切れに取り掛かる。マクガイアには、もう何を期待していいか分かっている。また、何に気を付けなければいけないかも分かっている。
一口頬張る。期待通りの、味が再び口内に満ちた。だが、気を付けてても対応ができないのが、こぼれ落ちるたまごのペーストである。
一切れ目と同じように反対側を交互に二口三口と続けて齧り付き一気に食べた。一噛み毎に幸福中枢が刺激される。味わい尽くして飲み込んだ。
アイスコーヒーをストローで一口啜る。
目を閉じて幸福に浸る。それは瞑想に似ていた。
目を開けると、ウェイトレスがOL二人をマクガイアの隣の席に案内しているところだった。
一人が席に着くなり「Aランチお願いします」とメニューも手に取らずウェイトレスに言う。
もう一人が「私はBランチで」と言う。
ウェイトレスがカウンターの方に戻っていくと、「でさぁ」とOL達は昨日の飲み会の話を始めた。
マクガイアは、OLの話には全く興味がない、一言も頭に入ってこないが、AランチとBランチには興味津々だった。AランチとBランチをただ確認したい。
アイスコーヒーをちびりちびりと啜りながら時間を潰す。
「Aランチ、ナポリタンになります」と赤いソースを絡ませたパスタがテーブルに乗せられた。
ピーマンの緑が鮮やかに映える。マッシュルームと玉ねぎも目に止まった。パスタの横に、粉チーズとタバスコが添えられた。
ついで「Bランチ、カツレツ定食になります」と、ライスとデミグラスソースの掛かった揚げ物がポテトサラダとレタスのサラダを従えて皿に盛られている。
Aランチ、Bランチともに見ただけで美味いとわかる。マクガイアは、まだいける、食べられる、AかBかと彼の舌と腹に問いかける。
そして、マクガイアは、いけない、自分は聖職者なのだと自戒する。
次はBランチだと意を決して、伝票を持ってレジに向かった。




