第八章 戦地にて その四
マクガイアはブーツの手入れを終えた。パウロは娼館から持ち帰ったビールを一缶マクガイアに投げた。
二人で乾杯する。
「そういやぁ、あんた、部隊に入ったのは金のためだって言ってたよな?」
「ああ金だ。金が必要なんだ」
「何のために金が要るんだ?」
「弟がいるって話はしたろ」
「俺と違って賢いやつなんだ。大学を出してやりたいんだ。そのために、金がいる」と言ってマクガイアは長い息を吐き、肩を落とした。
「なんだよ。いいじゃないか。大学出させてやりゃ」
「それが。この間、弟から手紙が来たんだ。大学を辞めて、起業するらしい」と浮かない顔のマクガイア。
パウロは、ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも大学を中退していたと記憶している。
「結構じゃないか、大学出て誰かにこき使われるより、大学を中退して誰かをこき使うほうが立派だと思うぜ」とパウロ。
「そうか。そうだな」とまだ何かあるらしい、マクガイアが言う。
「じゃあ、俺は、俺はどうしたらいい?」質問の意味が分からず、眉間に皺を寄せるパウロに「俺は、テオを大学に行かせるために軍隊に入って、卒業させるために戦ってきたんだ。テオが大学を辞めたら、俺は戦う意味を失っちまう」
「結構じゃないか。なあ、分隊長。金が欲しくて軍隊に入るってのは、俺には割に合わない選択に思えるぜ」
入隊前に証券会社でやりてのトレーダーとして泡銭を稼いだパウロには、金のために軍隊と言う発想が理解できない。
「そうだろ?おっちんじまったら、それで終わりじゃねぇか。弟に金を渡せもしねぇ」と重ねてそうだろっと同意を求めるパウロに、マクガイアは「えっ」と虚ろな返事を返した。
「えっ、って。何だよ、考えたことなかったのか?嘘だろ」とパウロ。
「いや、考えたことなかった」とマクガイア。
「マジか?」とパウロ。
「マジだ」とマクガイア。マクガイアは続けて言った。
「まあ、それはそれだ。軍隊にいる必要はない、それはわかった。じゃあ、どうするかだ・・・どうすればいいんだ?」
戦場において状況を的確に把握し、最適な方法を判断してきたマクガイが迷っているのが面白くて、パウロはからかうつもりで言った。
「そうだなぁ、聖職者なんてどうだ?」
「聖職者?」とマクガイアが聞き返す。
「そう、聖職者だよ分隊長」とパウロは楽しげに言う。
「俺は、この一ヶ月、あんたの部隊で戦ってみて思ったんだ。あんたは、生まれながらの兵士じゃないか、ミスターGIジョーだって」これはパウロの本音である。
「ところが、今日、話を聞いてビビッときた。あんたには聖職者がお似合いだってな」と少し大げさに言う。
「聖職者にとっての一番の不安は性欲だって言うぜ。聖職者の最大の敵である性欲が、あんたにはないと言う。つまり、その道において、無敵ってことじゃないか!」そう言われて、マクガイアは何か考えている。
その姿を見て、まさか本気じゃないだろうなとパウロは少し不安になった。
マクガイアは何度が頷いてから、吹っ切れたような表情になるとパウロに言った。
「そういえば、まだ、お前がなぜ部隊に入ったのか聞いてなかったな?」
そうだったかとパウロはマクガイアに問い返してから言った。
「まあ、やけっぱちだな。俺には将来を約束しあった女がいたんだ」と言ってビールを一口飲む。
「俺はフランスのパリで生まれたんだが、母親がペルー人でさ、12の時に父親が死んで、母親の母国ペルーに移ったんだ。
入学した小学校で出会ったのがアンジェリカだった。
言葉のわからない俺にすごく親切にしてくれたんだ。指でものを指してその名前を言うんだ。教科書の読み方も教えてもらった・・・」と懐かしそうに語るパウロ。マクガイアはただ聞いている。
「高校に入る頃には付き合っていたよ。
日曜日の礼拝の後に、彼女をピクニックに誘ったのが始まりだったな。
大学は別々だったが、俺にはいつも彼女がそばにいると感じられた。
二人に危機なんてものはなかったんだ。大学を出て俺は証券会社に入社した。
彼女は小学校の先生になったよ」
「就職が決まって直ぐに、彼女と結婚したかったんだけど、俺がフランス勤務に決まって、俺のフランスでの生活が落ち着いてからって話になったんだ」
「がむしゃらに働いたよ。二年目にはトレーダーとして成績優秀で表彰されもしたんだ。で、彼女を呼び寄せるために大きめのアパートに移って、指輪をは用意して、アンジェリカをフランスに呼んだんだ」
「空港で指輪を渡して、そのまま二人で教会で式を挙げようと思っていたんだ。一張羅のスーツを着て、花束を抱えてアンジェリカの到着を待ったんだ・・・・彼女はフランスに・・・」パウロの言葉が途切れる。
「飛行機事故だったんだ・・・彼女の遺体も見つかっていない・・・大西洋の海の底・・・」拳を強く握って静かに膝を打つ。
「もうどうでもよくなった、人生の目標も、生きる意味も・・・愛を・・・愛する人を失ったんだ」とビールを一口飲んで上を向いて長い息を吐いた。その姿は、マクガイアにはパウロが思い出から抜け出そうとしているように見えた。
「で、自暴自棄になって部隊に入ったってわけだ。ありきたりと言えば、ありきたりだろ?」と最後の最後をわざと雑に言った。湿っぽ過ぎると思ったのだろう。
「そうか、いい女だったのか?」とマクガイア。
「いい女だったよ。本当にいい女だった」パウロは彼女のブラウンの波打つ髪と緑色の瞳を想った。
「アンジェリカ、いい名前だ」とマクガイア。
「アンジェリカ。ああアンジェリカいい名前だ。彼女にぴったりだ」
「まだ愛してるんだな」とマクガイアが言わでものことを口にする。
「なに言ってんだ」やめてくれとパウロは言う。
「パウロ。お前こそ聖職者になれ」とマクガイアが言う。
「パウロ、彼女のための教会を建てろよ。セント・アンジェリカ教会だ。彼女を忘れようと戦場で人を殺すより、彼女のことを思って、教会で人々の魂を救う方が彼女も喜ぶんじゃないか?」
「なんだよ、それ、セント・アンジェリカ教会。ハハハ」とパウロは笑った。
「じゃあ、二人で坊主になるか」とパウロは開き直るように言って、新しいビールをマクガイに投げ渡し、二人で乾杯した。
ドヤドヤと部隊の連中が戻ってくる。




