第一章 教皇となる男 その二
1534年にイグナティウス・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設されたイエズス会は、今や6大陸に20,000人の会員を擁する巨大組織である。
創設者のロヨラが軍人だったこともあり、その気風は質実剛健、教皇の精鋭部隊とも呼ばれる。
そのイエズス会の現総長ヨハネス・ストリッケルは、御年82歳。
小柄で細身の体躯に、面長で禿げ上がった頭、白く太い眉毛の下に細い目が穏やかな光をたたえ、大きな鷲鼻にメガネを乗せている。
4人の神父に微笑みかけるヨハネス・ストリッケル総長の姿はまるで好々爺である。
朝日が差し込む総長室に4人の神父が並んだ。
少し離れて立っていた使いが「本年度、わが会、イエズス会より宣教のため各地に派遣される神父4名をお連れいたしました」と切り出し、頭を下げた。
「うむ」とヨハネス・ストリッケル総長が応じる。
ヨハネス・ストリッケル総長は椅子から立ち上がり、机の前に出て話し始めた。
「君たちはこれから各地に派遣されます」と一同を見渡して続けた。
「派遣された地で、十字架にかけられたり、石打の刑や皮剥の刑にあうことは、まず、ないだろうねぇ」そう言ってストリッケル総長はうつむいた。
「残念だと思うよね。キリスト教の神父を十字架にかけたり、石打の刑、皮剥の刑で虐殺しようとする未開の地が失われてしまったことを」ストリッケル総長は、言葉通りに残念そうな表情を浮かべている。
「いや、そんなこともないか」と笑みを浮かべて一人頷いた。
「異教徒共はあれだから、そう、やりかねん。異教徒の支配する地にはまだ殉教の余地のあることを喜ぼうか」と一同に微笑みかけた。
「でも、最近ではヨーロッパの新生児、キリスト教徒より異教徒の方が多いなんて報道もあるからね。じきに、あれだ、宣教地ガリアなんてことになるかもしれんね」と、際どいことを言ってグフっと笑う。
「とにかく、我が会は、創設時より世界に幾千、幾万の宣教士を派遣しこの世界的状況を勝ち得たわけだよね。では、その先人達の努力に感謝すべきだろうか?」4人の宣教師を見渡す。
「する必要はないよね。これ、すべて神の御威光によるものです。人一人の努力なんぞちっぽけなものだよ。いや、その努力そのものを引き出してみせたのが神なのだから、先人達に感謝する暇があれば、神を讃えなさい」4人の宣教師を見渡す。
「いいかね、諸君。神の意思そのものになりなさい」そう言って、部屋の大窓の前に立ち間を取った。
「どうだね諸君。自分が殉教する姿をイメージできるかね?」と4人に振り返る。
「諸君らも修行の折、宣教地で殉教することを夢見たのではないかな?」と4人の前に歩み寄る。
「イエズス会神父たるもの、殉教してナンボ。そう、思わないか?」と右手の拳を胸に当て言った。
「私も一度くらいは殉教したかった・・・」ストリッケル総長はとても残念そうである。
「生きて返ってくると、私のように醜い姿をさらすことになる」と言って、グフっと笑った。冗談だったのだろうか、とてもわかりにくい。
ストリッケル総長は席に戻り、椅子に背をもたせかけると、使いの方を見て頷いた。それを見て、使いは小さく咳払いをして宣教地の伝達に移った。
「アブディル・ハミト神父。宣教地シリア・アラブ共和国ダマスカス」
シリア・アラブ共和国、2011年「アラブの春」に触発された動乱が、内戦へと発展。内戦による犠牲者は40万人を超え、国外へ逃れた人民は500万とも600万とも言われる。
アブディル・ハミト神父が口元をぐっと引き締め一礼する。
「ブライアン・パーマー神父。宣教地南スーダン共和国ジュバ」
ムスリムアラブ系の北部から独立した黒人キリスト教徒の国である南スーダン。1955年のスーダン内戦以来、混乱が絶えず内線により250万人以上が犠牲となり、孤児となった2万人を超える子どもたちが周辺国へ命からがら避難する話は、様々なメディアを通じて世界に報じられた。今でも政情不安が続き世界一脆弱な国家とされている。
ブライアン・パーマー神父が口元をぐっと引き締め一礼する。
「カルロス・アルトゥーベ神父。宣教地メキシコ合衆国チルパンシンゴ・デ・ロス・ブラボ」
メキシコで麻薬カルテルの抗争に巻き込まれて死亡する人の数は年間2万人から3万人に上るとされている。そのメキシコでも最も危険とされる街チルパンシンゴ・デ・ロス・ブラボ、麻薬カルテルが支配する街。毎朝、道端に遺体が転がるという。
カルロス・アルトゥーベ神父が口元をぐっと引き締め一礼する。
「ニコラス・マクガイア神父。宣教地日本東京」
「YES!」とマクガイアは叫び、天を仰ぐと、両の人差し指で天を指さした。
続けて、主への感謝を口走り、跪くと胸の前でロザリオを抱き、恍惚とした表情で口づけをした。
「マクガイア神父」と使いが嗜めるように声をかけるが、マクガイアには聞こえていない。立ち上がると両手を広げて神父達の周りをくるくる回りはじめた。
「マクガイア神父っ」と使いが再び声をかける。やっと、もとの位置に戻ったマクガイアは、しっかりと自分を抱きしめ、ギュッと身を縮める。
「マクガイア神父っ」と少し声を落として使いが声を掛ける。
マクガイアは、自分を抱きしめていた両の腕をぱっと開き、膝で滑った。総長の机の真ん前で止まる。
のけぞった上半身、瞳は閉じられている。ゆっくりと体勢を持ち直すと、再び俯き、ロザリオに二度目の口づけをした。
総長からは机が陰になってマクガイアが見えない。総長は、深い溜息をついた。
机の影からなかなか姿を表さないマクガイアに、総長自ら声をかける。
「位置に戻りなさい、マクガイア神父」
机の影から「はい」という返事が聞こえた。
マクガイアはまだ興奮が収まらない、天を指差す動作を繰り返しながら列に戻る。それを見て、ストリッケル総長が苦い表情を浮かべ静かに首を振る。
使いが最後の口上を述べ、式が終わると、ストリッケル総長は立ち上がり、神父一同に退出を促した。
使いが先導し出口に向かう、神父達がそれに続いた。