第六章 東京デート その四
食堂前の廊下からドタドタと足音が聴こえてきた。大きな男の影が食堂の入り口を塞ぎ、食堂全体が暗くなる。
その大きな影を見て、ユリアはマクガイアかと思い明るい表情になったが、違った。
マクガイアよりもずっと年配の僧服の外国人だった。その後に入って来た男も、やはり大男であったがメガネをかけておりマクガイアではなかった。
これほどの大男を間近で見ることがなかったユリアは唖然としていたが、シスター杉山とマミはさっと席を立ちお茶の用意を始めた。
そして、再び入り口が大男によって塞がれる。マクガイアだ。
昨日、別れたばかりなのに既に懐かしく、胸が熱くなる。
思えばマクガイアと別れてから、緊張の連続だった。
全同級生の前で、晒し者になった。いやらしい学年主任の原田のせいで。
死にそうな男を、なんとか救った。いや、彼が生きているかは分からない。ゲリラ豪雨にびしょ濡れにされた後で。
とにかく、濃く、深く、辛い半日があった。
できることならマクガイアと別れた時点と、今の間にあった時間、出来事を切り取って捨ててしまいたいとユリアは思った。
マクガイアがいる、本当にマクガイアは、いたんだと思った。
そうだ、話を聞いてもらいたい、なにか声をかけてもらいたい、マクガイアと呼びかけようとした時、シスター杉山が「マクガイア神父、お客様ですよ」と声をかけた。
ユリアの目とマクガイアの目が合う。
ユリアは調子を戻して、ちーっすと横ピースで舌を出してみせたが、自分でもぎこちなさを感じずにはいられなかった。
マクガイアの瞳が、まっすぐにユリアの瞳を見つめてくる。
「君は、倉棚ユリアじゃないか!」と張りのある声で言った。
うんうんと頷き返すユリアの瞳に危うい影があることにマクガイアは気付いた。
マクガイアはユリアから目を逸らさず、ユリアの前ににやってきて、ユリアの横にある椅子に静かに腰を掛けると、さらに力強く、優しくユリアの目を覗き込み、静かに言った。
「何かあったのか?大丈夫か?」
泣いてしまっていた。声を掛けられた刹那、ユリアの顔はクシャっと捻じれ、ぶわっと涙が溢れ出していた。涙の訳がわからない。感情が追いつかない。辛かった、本当に辛かった。
体育館いっぱいに詰まった自分への敵意、冷たい床、学年主任原田の言葉を思い出す。
くじけた自分の弱さも嫌だ。同じ班だった相楽さんに嵌められた。
彼女は晒されるユリアを見て、何を思っていたのだろう。クラスメートはどう思っているのだろう。
明日、学校でどんな顔をしていればいいんだろう。
傷ついて死にかけている人を救う術を知らなかった、もっとうまく対処する方法があったかもしれないのに、自分は無知で無力だった。
帰った部屋にはお母さんがいなかった、お母さんがいなかった。
負けたくない、負けたくないと思っていた。いつか、この苦しみから抜け出してお天道さんの下、胸張って肩で風きって歩くんだと誓った日を思い出す。
シスター杉山は駆け寄って何も言わずがユリアを抱きしめた。何も聞かずただ優しくユリアの頭を撫でてくる。ユリアはしゃくり上げて泣いた。
マクガイアの手がリュックを握るユリアの手に重ねられている。誰かに支えられながら泣けるのは幸せなことなのだと思った。
泣くことで心にわだかまっていたものが、すべて外に流れ出た気がした。
リュックを握っていた手を離して、右腕をシスター杉山の背に回し、左手でマクガイアの手を握り返すと「すみません。もう、大丈夫です」と言って、二人に微笑んだ。
マミがティシュボックスを渡してくれた。ユリアはそれを受け取ってチーンと大きな音を立てて鼻をかんだ。
シスター杉山が、涙の理由も聞かず、ユリアの顔を覗き込んで「ユリアちゃん、先程のお願い覚えている?あなたにお仕事を頼みたいと言う話」
「はい」
「よかった。受けてもらえるかしら」
「えっ、あの、内容をお聞きしないと何とも」
「そうでしたね、まだ、言ってなかったわね。ユリアちゃんにお願いしたいのは、今日、マクガイア神父の東京観光をアテンドしてもらいたいの。お願いできるかしら」
「東京ガイドってことですよね。それなら、お安い御用です」と言って胸を張った。
「そう、良かった。じゃこれ」と言って2万円を渡される。
東京観光の軍資金2万円を受け取って、ユリアは「マクガイア、行きたいとこある?」と先ほど泣いていたのが嘘のような明るい声でマクガイに尋ねた。
「浅草、東京タワー、秋葉原、皇居、それと・・・」と言ってしばらく考え「おすすめはありますか?」とユリアに尋ねた。
「OK、まかせて。おのぼりさんツアーってわけね」と言って泣いたために鼻の先がまだ赤いユリアが、ニコッと笑った。
つられて、マクガイアも笑顔になる。




