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第六章 東京デート その三

 席に戻ったマミが、「(すず)ちゃん、しっかり食べないとだめ。好き嫌いはいけませんよ」と言う声が聞こえた。


 振り向くと少女がどうやら好き嫌いをしているらしい。

 (すず)ちゃんと呼ばれた少女と目が合うとマクガイアは自分が綺麗に食べた皿を見せつける。


 立ち上がってお椀も見せつけ、どうだとばかりに胸を張ってみせた。


 (すず)はそれを見ると、箸を取り、怒ったようにご飯とおかずを口に運んだ。


 マミは、その様子を見届けて、笑顔になって、両手の人差し指をマクガイアに向けてからサムズアップをしてみせた。


 お茶を飲み終えると「二人共、私の部屋で話そう」とモーヴェ教区長が声を掛け、席を立つ。


 マクガイアとパウロが静かに後に続いた。


 ドンっとテーブルを叩く音がしてマクガイアが振り向くと、(すず)と呼ばれる少女が、空のお茶碗をこちらに見せつけていた。


 マクガイアは両手の人差し指を彼女に向けてから、サムズアップしてみせた。





 ユリアは濡れた制服を洗濯機に入れる。タイマーを掛けてから、部屋を掃除した。


 テーブル上のお土産とメモはそのままだ。母は昨日も帰ってきていない。


 ベランダから洗濯機のアラームが聞こえて来た。暖かい日差しが指すベランダに出て、洗濯物を干す。


 こんな日に、どこにもいかないのは勿体ない、どこに行こうか考えて、そうだ、マクガイアの教会に行こうと決めた。


 出かける前に、何か食べておこうと思い、台所の棚を開け、袋麺を探したが、あるのはインスタントの味噌汁のみ。


 ひもじさには慣れっこになっている。湯を沸かしてゆっくり味噌汁を味わった。


 身支度を整えて、お礼に行く形になるわけだし、なにか手土産があったほうがよいと思った。父の仏前に備えたお土産を手に取り、リュックに詰めて家を出た。


 Google mapが示す教会の前に来て、ユリアはアレっと思う。教会がない。


 数人の消防署員とも警察官とも思える人が何やら焼け跡を調べている。


 ユリアは裏に回ってみた。すると、ちょうど真裏にある建物の門の前を箒で掃いているシスターの姿に目が止まった。


 前かがみになって、ゴミを塵取りでキビキビと掬う彼女の所作に、何か洗練されたものを感じた。


 ユリアは、シスターがゴミを掬い上げたところで声をかけた。「おはようございます。あのぅ、すみません、イエズス会教会に行きたかったんですけどなんか燃えちゃってて、その、昨日、マクガイアさんにお世話になりまして、マクガイアさんご存知じゃないですか?」


「あら、マクガイア神父のお客さん?」シスターの顔はパッと明るくなり、「ちょっと待ってね、すぐご案内しますね」と言って、一旦門の中に入りごそごそと後片付けをし、中から門を開けて「どうぞ」とユリアを中に招いた。


「わたしは真庭マミといいます。こちらはイエズス会が運営するシェルターなんですよ」と言った。



「シェルター?」聞き慣れない言葉に問い返すユリアに、「そうシェルターです。困った人たちの避難場所なんですよ。あっ、これ内緒ですけどね」と微笑みかける。


 ふーんそういうところがあるんだと感心するユリア「あっ、私、倉棚ユリアと言います。高校2年生です。修学旅行ではぐれてしまって、シンガポールから日本までマクガイアさんに付き添ってもらったんです。それで、今日はお礼に上がりました」


「そうなんだぁ」とマミは言い、玄関の扉を開けて「どうぞ」と言った。


「お邪魔します」と玄関に入り、土間に腰掛け靴を脱ぎ、端に揃えて置いた。


 奥の食堂に通されると、年配の修道女と二人の女性が台所で洗い物をしていた。


 マミが「シスター杉山、よろしいですか。こちらマクガイア神父のお知り合いで倉棚ユリアさんです」


「あら、マクガイア神父のお客さん。可愛いお嬢さんですね。シスター杉山です。はじめまして」とポロンと音がしそうな笑顔で小さく頭を下げ挨拶した。


「あっ、倉棚ユリアと言います。昨日、マクガイアさんにお世話になって、今日はお礼に伺いました。朝早くからすみません」


「いいの、いいの、さあこちらへ」と長テーブルの椅子を引いて着席を促した。


「ありがとうございます。失礼します」とリュックを肩から外し椅子に腰掛け、リュックを膝の上に乗せた。


「マクガイア神父にこんな若くて可愛いいお知り合いがいたなんて、ねぇ」と言いながら向かいの椅子に座った。


 案内してくれたマミが、シスター・杉山に入れ替わり台所に立つと、ポットからお湯を注ぎ、お茶を煎れてユリアとシスター杉山の前に差し出して、シスター杉山の隣に座って「それで、マクガイア神父と、どうやって知り合ったんですか?」


「あっ、え〜とっ」と目線を落としてリュックに目が留まり、「あっ、すみません。うっかりしていました」とリュックを開け中からお土産を出して「つまらないものですが、これ」とシンガポールで父親のために買った菓子折りを差し出した。


 シスター杉山が両手をわっと胸の前に小さく広げて、とても気持ちいい笑顔で「わーっ、お若いのにご丁寧に、ありがとうございます。いただきますね。マミさん、これ、ね」と言ってマミに土産を渡す。


 マミは手に取って立ち上がり「早速、いただきましょう」と水屋の前で丁寧に封を開け始める。


「今日は学校はお休みなの?」


「はい。修学旅行の後の調整日的な?」と誰に尋ねるわけでもなく、語尾を上げていった。


 マミがお土産のお菓子を盆に装ってテーブルに戻ってきた。

「みんなでいただきましょう」とシスター杉山が言う。


「いえ、これは皆さんにお持ちしたものなので、私はいただけません」と言った途端、ユリアのお腹がグーと鳴った。


 ユリアはリュックの上からお腹を抑える、頬を赤くして顔を俯ける。


 シスター杉山が盆からお菓子を一つ取ってユリアの前に置いて「ユリアちゃん、朝ごはんは食べた?」と聞いてきた。


「いえ」とユリアが応えると、「そう」と言ってシスター杉山は席を立つ。

 マミが「修学旅行ではぐれて、マクガイア神父に付き添ってもらったんですよね?どこで出会ったんですか?」と興味深げに聞いてくる。


「空港です。お土産を買うのに時間がかかっちゃって、私だけ乗り遅れてしまって、途方に暮れていたらフロアスタッフに声を掛けられて・・・

 その人、リーさんっていう女性の方で、すんごくいい感じの人で・・・

 で、次に乗れる飛行機を手配してくれたりして、オレンジジュースまでご馳走になって、私、大丈夫ですって言ったんですけど、一人は心配だって、多分なんですけど、多分っていうのは、リーさんはずっと英語で話してて、私は英語話せなくて多分こう言ってるんだろうなぁってことなんですけど・・・」


「うんうん、よかったねぇ」とマミが言う。続いて台所に立っているシスター杉山が「旅は道連れ世は情けっていうものね。日本だけじゃないのね」と言いながら、火を付けた鍋から汁を椀によそおった。


「それで、そのリーさんがマクガイア神父を紹介してくれたの?」とマミ。


「そうなんです。隣の席のマクガイアさんを探してくれて、それが凄い面白かったんです、リーさんが声を掛けたら、全部聞く前に、手をですね、こうバッとリーさんの前に突き出して、OKベラベラベラって、うん、ちょっとリーさんビビってましたね」


「マクガイア神父って、やっぱりそういうとこあるよね、なんかちょっと違うよね」と声を潜め口元に手を添えてユリアに呟いた。


「駄目ですよ、マミさん。そういうの駄目です」と言いながらだし巻き玉子を皿に盛り付ける。「すいません。悪気はないんですよ」と姿勢を正す。


「悪気はないですよね、わかります。あの人、変ですよ、っていうか面白いですよね」と言ってユリアはクスクス笑う。


「え、なになに、面白い話聞きた〜い」とマミ。

「いや、それがですね、私、聞いたんです。神様っているのかって」

「いますね」とマミとシスター杉山がハモるように言う。ユリアは少しビビる。


「ああ、ああ、いや、で、もちろんマクガイアさんもいますと。で、神様は全知全能だからできないことはないんですよねって聞いたんですよ」


「できないことはないですね。全知全能ですからね」とマミが言う。背を向けたままシスター杉山が頷いている。


「えっ、うん、そうですよね。で、聞いたんです。神様はどんな盾でも貫ける矛を作ることができますよねって」


「できますね」とマミ。だし巻き卵を皿によそおいながら、何かに気付いたシスター杉山が振り返る。


「そうです、そうです。で、私、続けて聞いたんです。じゃあ、神様は、どんな矛でも貫けない最強の盾を作ることもできるのかって。


 そしたら、マクガイアさんが”できますよ”って言ったんですよ」ユリアは少し間を取り、声を潜めて「じゃあ、神様が作った最強の盾に神様が作った最強の矛を突き刺したらどうなるのって聞いたんです」


「うんうん、でマクガイア神父はなんて?」とマミが身を乗り出して聞いてくる。


 シスター杉山も手を止めて向き直ってこちらを見ている。


「マクガイアさん、ちょっと引き痙りながら・・」ユリアはもう笑っていた。「マクガイアさん、矛も盾もパンになるって言ったんですよっ!」


 シスター杉山、マミの顔がぱっと明るくなり、弾けるように笑った。そして、ユリアは、その後にマクガイアが語った戦場に起こった奇跡の話をした。


 3人で大いに笑う。シスター杉山は笑い過ぎたのか、目頭を拭っている。


「面白い話をありがとう、ユリアちゃん」とマミの笑いはまだ収まらない。


 ふーふーと息を整え、シスター杉山がユリアの前にお盆を滑り込ませた。

 そして、言った。


「ユリアちゃん、面白い話の御礼ではないけどミカエル荘のおふくろ定食をどうぞ」


 ご飯とお味噌汁から立つ湯気の中、鯵の干物と出汁巻玉子、ホウレンソウの御浸しが見える。ああっと声が漏れるその前に、お腹がグーッと音を立てた。


「どうぞ、召し上がれ」とシスター杉山が声をかける。


「いえ、そんな。いただけません」と言いかけたところでシスター杉山が「食べてもらわないと困ります、すごく困ります。だから、食べてください。おふくろ定食です」と言ってユリアの両肩に手をかけて「食レポお願いします」とユリアに顔を寄せ呟いた。


 優しさが溢れている。断り切れない。

 シスター杉山の笑顔がユリアに向けられている。マミの方を向くと、マミも笑顔で、どうぞと言うように、両手を前に突き出している。温かなご飯の匂い、味噌汁が上げる湯気。


 ユリアは箸を取って「いただきます」と言って、ご飯をひとくち口に入れた。続けてホウレンソウのお浸しを頬張る。


 もう駄目だった。箸をつける前に感じていた、ひもじさが一層募るかのようだった。味噌汁に口をつける。温かさが体を包む。具は大根だった。


 アジの干物の頭を箸で慎重に落とし、かぶりつくとバリッと歯応えがあった。唾液が溢れ、ご飯を口に運ぶ。


 次にだし巻き卵に手をつける、少し甘い、ご飯を口に運び、味噌汁を啜る。食べたくて手に届かなかった朝食がここにあった。


 修学旅行に行く朝に食べた朝ごはんはコンビニのおにぎりだった。具はツナマヨだ。


 思わず涙ぐむ。

 味噌汁を飲み干して、箸置きに箸を置いて、皿と器を見渡すと、アジの頭を残して本当にきれいに平らげられていた。


 それがとても恥ずかしく、泣きそうになったことも恥ずかしく、「すいません」と言っていた。


 「”ごちそうさま”でしょ」とシスター杉山に言われて、「すいません、ごちそうさまでした。本当に美味しかったです」といってやっと顔を上げられた。


 いつの間にかシスター杉山はユリアの前の席に座っており、マミが席を立ちユリアの前のトレイを下げた。


「ねえ、ユリアちゃん、この後、何か予定あるの?」とシスター杉山が聞いてきた。


「いえ、今日は何もありません。ほんとはバイト入れたかったんですけど、平日に高校生が昼から働いているのは世間的によろしくないとか、店長に言われちゃったんですよね。

 おかしくないですか?昼間に高校生を働かせるのはよくないっていう世間の親心、親心ですよね、なんとはなしの良心というか、そんな感じ。

 それが働かなきゃいけない高校生から、働く機会を奪うんですよ、おかしくないですか。

 私、店長にそう言ったんですけど、結局、駄目で、今日は何もないんですよ、困っちゃいますよね」


「困っちゃうんだ、おもしろいわね。じゃあ、私からひとつお仕事をおねがいしてもいい?」


「はいっ」

 ぱっと顔を明るくしてシスター杉山の顔を見たかと思うと、みるみる曇り「でも、あのぉ、私、宗教の勧誘とかそういうのはちょっと・・」と語尾を濁した。


 シスター杉山はえっと意外そうに笑い出し「そんな、そんな」と言って笑いを収めようと苦労していた。

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