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第六章 東京デート その二

 アントン・モーヴェ教区長が椅子から立ち上がり「では」と声をかける。

 三人は一列になって部屋を出て、1階の食堂に向かった。


 食堂ではシスター杉山と、マミが立ったままで3人を、5人がけのテーブルの前で待っていた。


 お誕生日席にアントン・モーヴェ教区長が、その右にパウロとマクガイアが、左にシスター杉山とマミが座る。


 5人で朝の祈りを終える。


 マクガイアはシスター杉山とマミに改めて着任の挨拶をする。


 シスター杉山は白髪混じりの髪が肩までかかっており、ふっくらとした小柄な体格で、赤らんだ頬で柔和な笑顔をたたえている。


 ストリッケル総長が獲得した信徒の1人に違いないとマクガイアは思った。


 アントン・モーヴェ教区長が「では、シスター杉山、朝食の用意をお願いします。

 

 パウロ神父、マクガイア神父は朝食まで自室で霊操を行うように」と伝え、席を立つ。


 パウロとマクガイアは後に続き、2階の自室へ向かった。


 霊操を終え、さて、時間だ。扉を開けて部屋を出る、同じタイミングでパウロとアントン・モーヴェ教区長も廊下に姿を現した。


 既に日は上がり、明るい廊下に埃が舞っている。


 アントン・モーヴェ教区長が、マクガイアとパウロの間を行く、アントン・モーヴェ教区長の後に、二人は続き食堂に向かった。


 マクガイアは、二人の後に続いて、食堂に入り、そこにある違和感をはっきりと感じた。


 その違和感の原因は、ミカエル荘の2階の住人たちから漂ってくる負のオーラとも言うべき不幸の残滓だった。


 シェルターで保護されている女性たちが立ち働いている。その傷ついた彼女たちの所作には怯えのようなものが絡みついている。


 深く悲しい陰鬱とした空気が食堂をひたひたと満たしているのだった。


 その雰囲気に抗うように、明るい笑顔を振りまきながらマミが指示を出している。


 マクガイアは食堂に入り「皆さん、おはようございます。ニコラス・マクガイアです。どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶した。


 女性たちの動きが止まり、一人がマクガイアの目を覗うように頭を下げ、もうひとりの女はマクガイアの方を見ることもなく少し肩をすくめるような仕草をした。


 そして、少女が一人、8人がけの椅子に座ってテーブル越しにわざと目を細めてじっとこちらを見ている。マクガイアは少女を真似て目を細めて見返した。


 すると少女は怒ったぞというように頬をぷくっと膨らませた。マクガイアもぷくっと頬を膨らませてみせてやると、少女はプイッとそっぽを向いた。


 マクガイアは、それを見て微笑んだ。

 すでにアントン・モーヴェ教区長以下、聖職者は揃っていた。


 マミは8人がけのテーブルで女性たちとともに座っていた。マクガイアは朝の礼拝の時と同じ席に座った。


 ご飯に味噌汁、鯖の味噌煮、卵焼き、ほうれん草のおひたしが並んでいる。


 フォークもなく、箸のみだった。マミは一夜にしてマクガイアが日本の作法を身につけるとでも思ったのだろうか。


 マクガイアは箸は使えるが、魚の煮物を処理できる自身はなかった。


 さて、どうしたものかとマクガイアは思いを巡らせ、斜向かいに座るシスター杉山の動きを観察することに決める。


 食前のお祈りを終え、モーヴェ教区長の「では、いただきましょう」の言葉を合図に、マクガイアは箸を手に取った。


 すると、後ろの8人がけの席から、か細い声で「いただきます」と言う声が聞こえた。その声に触発されて、マクガイアは一旦箸を置き、「いただきます」と手を合わせた。


 パウロがちらっとマクガイアを一瞥する。シスター杉山が微笑む。


 マクガイアは再び箸を取り、シスター杉山に注目し、その動きをトレースしていく。


 まず、味噌汁の椀を手にして一口飲む。昨夜飲んだ豚汁の味をイメージしていたので少し戸惑ったが、悪くない、熱く軽い塩気が口内を目覚めさせる。


 ほうれん草のおひたしで、口を冷ます。いよいよ、魚に箸をつける。切り身の端から端まで背骨に沿って箸先で軽く押さえていく。


 それが何を意味するのかわからないが、マクガイアはシスター杉山の動きを注意深くなぞる。


 胸鰭(むなびれ)をぐいっと掘り返し、背骨に沿って箸で切れ目を入れていくと、その切れ目に箸先を入れ、箸を開きながら身をほぐす。


 ほぐした身から飛び出た骨を箸でつまんで皿の脇に寄せる。ほぐした身を口に入れて、ご飯をひとつまみ、口に入れる。


 噛みほぐすうちに、濃い味噌の味が生姜の風味に包まれて、ホロホロと白身が崩れる。


 もちろん初めて口にする味である。とても気に入った。唾液が溢れる。


 更に一つまみご飯を口に運び、口内をリセットし、卵焼きを箸でちぎって口に運ぶ、オムレツを想像していたマクガイアはあっと、声を上げそうになった。


 微かな甘さが味覚を包む。甘さの余韻をご飯を一口頬張りながら楽しむと、味噌汁を啜り、おひたしを口にして・・・、4周すると椀と皿は空に、魚を乗せていた皿には骨があるのみとなっていた。


 食べた、しっかりとした朝食に満足感を覚え「ごちそうさまでした」という言葉が自然とマクガイアの口から出た。


 皆がマクガイアに目を向け器を見る。シスター杉山が「綺麗に召し上がりましたね。本当に綺麗。日本食に慣れていらっしゃるのですか?」と驚きを隠くせず、声を掛ける。


「いえ、日本食は食べたことはありますが、慣れていると言うほどではありません」


「本当に、凄いですよ。これほど綺麗に魚を食べる外国の方はそうそういらっしゃいません。お茶碗に米粒も付いてらっしゃらない。すばらしい」と胸の前で手を叩きながら上品な笑顔をマクガイアに向けてくる。


「ありがとうございます。実はあなたの食べ方を真似してみたのです。うまくいきました」とシスター杉山に礼を言った。


 後ろからマミがマクガイアの器を覗き込み、「ほんとに綺麗」とマクガイアに笑顔を向ける。


「お茶入れますね」とマクガイアの空いた湯呑に、お茶を継ぎ足してくれた。

そのお茶を一服して、このような朝がこれから続くのかと思い、改めて神への感謝が口をついて出る。

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