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終章 災禍の後

「全能の神よ、あなたの(しもべ)アントン・モーヴぇをはじめ、多くの者が、

 この世の旅路を終え、あなたのもとに召されました・・・

 あなたの憐れみにより、罪を赦され、

 永遠のいのちの喜びのうちに迎え入れられますように・・・

 主キリストによって・・・アーメン」


 パウロ・ガウェイン神父が祈りの言葉を捧げた。

 アントン・モーヴェ教区長の葬儀が執り行われたのは、あの凄惨な襲撃事件から二ヶ月後のことだった。

 富士の噴火と降灰が一月ほど続き、一時、新潟の教会に避難していたマクガイアたちが東京に戻り、葬儀を行うまで二ヶ月を要したのだった。


 葬儀はイエズス会東京教会で執り行われた。

 といっても、津波によってプレハブの教会は押し流され、更地で行われたのだった。

 厳しい生活を強いられている中、多くの信者が集まり、敷地は人で埋まり、前の通りにはみ出す程であった。喪服を準備できず、信者たちは皆、着の身着のままでの参列となった。


 久しぶりに集まった信者たちは互いの無事を喜びながら、不幸のあった信者たちの情報を交換することになる。

 ――ああ、あの人が・・・

 ――あの()が・・・

 そんな言葉がそこここで囁かれる。


 式は合同葬儀のような趣をもち、悲しみの中にも、心温まる式となった。

 パウロも、マクガイアも信者一人ひとりに声をかけ、慰め合い、励ましあった。


 一人の婦人がマクガイアに声をかける。

「神父様・・・わたしの夫が津波で・・・」

 溢れ出しそうな涙を目に湛えて言う。

「夫は洗礼を受けておりませんで・・・夫はイエス様のもとに・・・」

 そこまで言うと、婦人の両目から涙が溢れ出し、声は嗚咽へと変わった。

 マクガイアは婦人の肩に優しく手を置くと―

「祈りましょう」

 と言ったのだった。それは、マクガイアの真摯な気持ちから出た言葉であった。


 信者たちを全員見送ると、更地の前に黒塗りの車が一台、音もなく止まった。

 運転手が後部座席に回りドアを開ける。

 助手席ともう片方の後部座席から二人の人物が出てきた。


 二人の人物は、ドアを開けてもらった男が車の後ろを回ってくるのを待っている。

 マクガイアとパウロは顔を見合わせる。

 二人共心当たりがない。

 三人とも黒スーツに黒いネクタイを締めている。


 三人がマクガイア達の前に立つ。

「公安局局長の久世匠海(くぜたくみ)と申します」

 中央に立つ年配の男が名乗った。

 公安局と聞いて、マクガイアは思い出した。

「あっ!ナポリタンの人っ」

 男の左手に立つ女性を指さして言う。


 その女性はマクガイアが天の階教会に突撃をかけた際に、喫茶店で”天の階教会にかかわるな”と忠告してきた公安局員だった。

 ナポリタンの人と呼ばれた女性は目で”お久しぶり”と挨拶を返す。

 場が少し和むの確認して久世と名乗った男が話し始める。


「アントン・モーヴェ教区長の安らかな眠りをお祈りいたします」

 久世と名乗った男がそう言って頭を下げると、後ろの二人も続いた。


 公安局長久世がごくごく簡単にアントン・モーヴェ教区長との関係を語った。

「さて、ここからが本題になります」

 喪服を着て、死者に祈りを捧げるため葬儀に来た男が、言い間違いではないと強い意志を両目に湛え言い切る。先程の和んだ空気はもはやない。


「いまの代表は・・・あなたで?」

 久世がパウロに手を向ける。

 その問いかけをパウロは、さっぱりとした笑顔で受け流す。

「いえいえ、わたしはこの後、すぐに職を辞すつもりの人間です。代表はこちら・・・」

 パウロが親指でカジュアルにマクガイアを示す。

「なっ!」

 マクガイアが何を言うのかと目を剥く。

 後で詳しく話すとでも言うようにパウロは両手でまあまあという仕草をする。


「では・・・」と久世が話し始める。

「天の階教会の事件に関することです・・・」


 パウロとマクガイアは揃ってため息を()いた。

「お二人が関わっている件の他にも・・・色々ありまして」

「で、今、それらの落とし所を探っているところなんです」

 マクガイアとパウロの顔が曇る。


「お二人が関わった件に関して他言無用に願えますか?」

 マクガイアとパウロが顔を見合わせる。

「それともすでに・・・・ご報告済みですか?」

 マクガイアとパウロは首を横に振る。

「よろしい」

「では、こういうことにして下さい」

 そう切り出して、天の階教会に襲撃された際、パウロとマクガイアは襲撃時には教会では不在であったこと、襲撃後に教会に戻り、その事後対応と震災からの避難に忙殺されていたことにしてくれと言うのだった。


 マクガイアとパウロに否はなかった。襲撃後に二人は警察から事情聴取を受け、そこで語った内容そのままだったからだ。


 この男はそのことを知っている。そして実際に何があったかをも知っているのだろう。

 そのうえで、他言無用と言いに来たのだ。


「それと、もう一つ」

 久世は順に二人の目を見てから言った。

「アルフォンソ審議官からSDカードを預かっていませんか?」

 パウロの顔に訝しげな表情が浮かぶ。


「預かっています」

 マクガイアが断言する。

「それを、お渡しいただきたい」

「嫌です」

「あなたが預かっているSDカードはアルフォンソ審議官が不法に入手したものの可能性があります」

「だから?」

「いいでしょう。マクガイア神父・・・」

「値を吊り上げたのはあなたです。そのことは覚えていて下さい」


 そう言って男は「では」と立ち去ろうと身を翻した。

 その背に、マクガイアが声をかける。

「天の階教会の信者であった倉棚里美という女性を探していただけませんか?」

 久世は静かに振り向くと言った。

「すぐに手配しましょう・・・貸しですよ」


 翌朝に、ナポリタンの女公安局員から倉棚里美が見つかったと連絡があった。

 マクガイアはユリアとともに相模原南警察署に向かった。

 そこの死体安置所にユリアの母倉棚里美が安置されているとのことだ。


 道すがらユリアは言った。

「ありがとね・・・マクガイア」

「でもね、信じてもらえないかもだけど・・・」

「お母さんね、わたしのところに戻って来てくれてるんだよ」


 ユリアは今や時の人となっていた。

 自分が相続した資産の大部分を今回の震災で親をなくした子どもたちのために役立ててほしいと寄付したのだった。


 その時に、自分が大学に進学するためのお金を残すことについて「ごめんなさい」と言ったことが評判となったのだった。


 震災で現職の総理大臣が死去し、臨時内閣を組閣した宇津奈議員から感謝状を渡されるユリアをテレビの報道でマクガイアも見ていた。


 相模原南警察署では、公安局員ナポリタンが待っていた。

 ナポリタンの先導で死体安置所へと向かう。

 ボディーバックの中の母里美の姿は、痛々しいものだった。

 左目は殴打された痣が黒黒とのこり、唇が切れている。


 ユリアはその顔をただただ無表情に優しく撫でた。


「こちらは遺留品です」

 ナポリタンが差し出したのはロケットペンダントだった。

 ユリアがそのペンダントを開くと、左に義人叔父さんの若い頃と思われる写真があり、右にはユリアがスマートフォンの待ち受けにしている家族の写真があった。

 それを見て、ユリアは小さく微笑んだ。


「お付き合いいただきたい場所があります」

 ナポリタンは言った。

 座間駐屯所から借りてきたのだろうか軽装甲機動車に乗せられ、瓦礫が散らばり、廃墟とかした天の階教会へと到着する。


 ナポリタンは二人を地下一階へ、奈落の間へと案内すると、修練部屋の一室を開けて言った。

「こちらで、倉棚里美さんのご遺体が見つかりました」

 ユリアとマクガイアは中を覗き込む。

 ユリアは何かに気付き、跪いて壁をなぞった。

 そこには、血で書かれたであろう文字があった。

 ”すべての愛をユリアへ”

 ユリアの嗚咽が修練部屋に響いた。



 丁度その頃、東京都内の病院の一室。

 集中治療室から個室に移った真庭マミがベッドに身を横たえていた。

 一命はとりとめたものの、ルシファーによって体内に注入されたPCBの毒により、マミの左半身は痘痕(あばた)に覆われ、青黒く変色していた。


 そのマミにシスター杉山は甲斐甲斐しく付き添った。

 今は、日の当たる病室で、パイプ椅子に腰掛けコックリコックリと心地よさうに船を漕いでいる。

 この人のためにも、元気にならなければとマミは思う。

 それでも、死んでいたほうが幸せだったのではないかという思いが胸を締め付ける。

 マミは、病室で繰り返し、ヨブ記を読んだ。

 父親代わりのアントン・モーヴェ教区長を目の前で亡くし、酷い姿になってしまった自分とヨブを重ね合わせる。それでも――


 病室をノックする音にシスター杉山が目を覚ます。

「あら、やだわたしったら・・・」と眠っていた事を恥ずかしがって「先生かしら・・・」とマミに向かって呟いて、ドアへと向かう。


「あら、大藪先生・・・」

 シスター杉山の声がベッドを囲むカーテン越しに聞こえ、心臓が止まりそうになる。

「仁、お前は廊下で待っていていてくれ」

 懐かしく、心を焦がす声がする。

 会いたいと叫ぶ心と、会えないという思いが交錯する。

「来ないで!」

 マミは叫んでいた。耐えられない・・・


「マミさんの声だ・・・」

 大藪弁護士が感極まったように言う。

「ごめんなさい・・・大藪弁護士」

「せっかく、お見舞いに来ていただいたのに・・・・」


「マミさん・・・あなたの声が聞きたかった・・・」

「症状はいかがですか?」

 大藪弁護士の絞り出すような声がマミの心を震わせる。


「命に別状はないと、お医者様は仰っていました・・・」


「マミさん・・・あなたが生きていいらっしゃることを喜んでもいいですか?」

 マミは大粒の涙を流して見えない相手に首を横に振る。


「泣いていらっしゃるのですか?」

 マミは涙を拭いながら頷いた。


「マミさん・・・手を握ってもいいですか?」


「駄目です・・・」

「わたしは・・・毒に侵されて・・・酷い姿に」

 マミは言葉が続けられず、嗚咽が漏れる。


 その嗚咽を聞いて大藪弁護士は堪らず言った。

「あなたを・・・愛しています」

 言ってしまった。

「すみません・・・神に仕えるシスターを目指すあなたに対して・・・」

「言うべきではなかったかもしれません・・・」


 大藪弁護士は言葉を続ける。

「わたしはあなたと初めて出会った時に、恋に堕ちました・・・自分が何者であるか・・・あなたが何者であるか・・・考える間もなく、恋に堕ちました・・・」

「それからというもの・・・毎日、あなたの幸福を祈りました・・・あなたの幸福に自分が少しでも尽くせることを願いました・・・」


「わたしが祈ったのは・・・あなたが美しく在ることではありません・・・」

「マミさん・・・」

「ミカエル荘が襲撃にあった日・・・うちの事務所も襲撃にあいました・・・」

 ――エッ

 マミはそのことを知らされていなかった。


「毒ガス攻撃でした・・・」

「わたしは・・・その毒ガスを受けて・・・目が見えないくなりました」


 カーテンの切れ目から涙でぐしょぐしょになった顔をシスター杉山が覗かせて言った。

「マミさん・・・カーテンを開けるね」


 開かれたカーテンの向こうに現れたのは車椅子に乗る大藪弁護士だった。

 大藪弁護士がそこにいるであろうマミに右手を差し出すと、マミはぎこちなくその手を握った。

 病室を優しい光が包みこんでいた。




 それから更に一月した初夏の頃。萩西高校の入学式が行われた。

 ユリアは自分の入学式を知らない、バイトをしていたのだ。

 それからあっという間だった。


 一年生の時のバイト先、割烹居酒屋の大将と女将、そして息子の涼ちゃんは避難先の小学校で津波に襲われ亡くなった。


 涼ちゃんが生まれ、女将さんが店に復帰した後に紹介された喫茶&Barエデンのマスターは生き残ったものの店は全壊、再開を諦めている。


 ユリアは壇上から新入生と在校生とを見渡した。

 そこにいて欲しい顔がない。


 浜崎マリアは地震により自宅アパートが倒壊し、亡くなった。

 柏木後輩は自身は無事であったが、両親が死亡、結果、親戚を頼って転校することとなった。

 地震で倒れた家具の下敷きになって脊髄を損傷した相楽は車椅子で式に臨んでいる。

 涙が溢れそうになるのを必死で堪らえる。


 宮崎後輩と目が合った。彼女の発言を発端に、今、ユリアは壇上にいるのだった。

 生徒会会長に立候補し、生き残った唯一の生徒がユリアだった。

 宮崎後輩が唇を噛み締めて、拳を握ってユリアにエールを送ってくる。


 去年のクラス担任だった斎藤先生が、式の司会を務めている。

 体育館の壁沿いに教員が並ぶ。

 マチ子先生がユリアに小さく手を振った。

 補助教員佐藤先生の姿もある。


 去年学年主任だった原田の姿はなかった。

 原田は奥さんの実家で暮らしていたらしい、倒壊した住居から妻子を庇おうとする姿で見つかったということだった。


「在校生祝辞」

 斎藤先生が言う。

「はい」

 壇上のユリアがマイクに向かう。


 ユリアは壇上から新入生、在校生を見渡した。

 用意していた原稿を一瞥して、制服のポケットに仕舞う。

 ユリアが深く深呼吸する音をマイクが拾う。

 そして、右腕の人差し指を天につきさして言った。


「星を・・・一つ欲しいと思いませんか?」

 ユリアの心が叫ぶ――

 ――抗え!




 〜 エピローグ 〜


 2025年6月23日(火)


 文書番号:第1203号

 イエズス会日本教区 東京教会 活動報告書


 本報告書は、当教会における2025年の広域災害に関する被害状況、信者の現況、及び今後の活動方針について、以下のとおり記すものである。


【災害被害状況】

 2025年に発生した南海トラフ・東海大地震、および富士山噴火により、日本国内での死亡者数は113万人、行方不明者は約2万人と推定される。


 当教会信者数(被災前):2,256名

 被災後に生存確認:1,876名

 死亡確認:286名

 ※残る者は未確認または生死不明


 東京教会、ミカエル荘、ミカエル幼稚園の建物は津波により被災。仮設教会は全壊、ミカエル荘および幼稚園は半壊。再建計画は未定。


【教役者の異動・処分】

 5月中旬、故アントン・モーヴェ教区長の葬儀後、パウロ・ガウェイン神父より辞職願が提出された。本人の強い希望により受理。


 シスター杉山は、6月2日に教会放火を自白。

 元夫とその家族(幼い娘)を目撃した事により感情に動揺をきたし、当日、聖堂にて祈るも「わたしを焼きなさい」という声を聞いたと主張。放火に及ぶ。翌朝アントン・モーヴェ教区長に告解、赦しを得たが、アントン・モーヴェ教区長の死を目の当たりにしたことが、自身の罪に向き合う契機となり、現在、自主的に警察へ出頭し拘置中。


【信徒の状況】

 真庭マミは「天の階教会」による襲撃にて毒物を投与され、療養中。修道の道に関しては、本人の意向を尊重する方針。


 天の階教会元信者より新規洗礼希望者約300名あり。慎重審査中。


【寄付および復興支援】

 テオ・マクガイア氏より8,000,000ドルの寄付があり、地域復興支援に全額充当予定。


 以上。


 2025年6月23日

 イエズス会日本教区

 ()()()()() ()()()()()()()()()()



 ――完――


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

初めて書いた物語になります。あそこをああすればとか、キャラがぶれてるなとか、なんで、そのキャラ退場させたんだよとか、時系列どうなってんだとか、色々と悔やまれるところもあるのですが、そういった欠点をさしひいいても、残る面白さあれば幸いです。

長き話にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


また、4月21日にお亡くなりになられたフランシスコ教皇が安らかな眠りに就かれることを心よりお祈りいたします。


喜連くるた

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― 新着の感想 ―
文章校正も丁寧で、読みやすい文書量でサクサク読めました。 日本でキリスト教を布教していく設定は斬新で面白かったです。 ただ宗教的な事がかなり絡んでくるので読む人を選んでしまうかもとも思いました。 …
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