第四十八章 魔性と霊性 その五
いつしか轟々という音は消えていた。
ヒューッという音を立てて、冷たい風が渦を巻きながら田中最高導師のもとに吸い込まれていく。
塵や埃が巻き上がり、ルシファーは思わず目を伏せた。
ステンドグラスが割れた窓枠からも、通路の入口からも禍々しい空浮きが渦を巻いて田中最高導師のもとに収束する。
やがて風が止んだ。
ルシファーは顔を上げ、ステージに目をやった。
演台の前、田中最高導師が両手を広げ、胸を張り仰け反っている。
口を大きく開き、体が小刻みに震えている。
――ボウッ!
青い炎がス―――ッと田中最高導師の全身を覆う。
「な、なんですかあれ?」遠くに田中最高導師の姿を見ながら、仁が恐る恐るパウロに尋ねる。
パウロは答えず、じっと前を見据えたまま静かに首を横に振る。
――なんだ!?
シファーが田中最高導師の方へ首を伸ばした。その時――
ヴァガグァアアアアアアアアアァァ!!!!!
田中最高導師の咆哮が聖堂を切り裂いた。
ドオオオォオン!!!
その咆哮は衝撃波となって周囲を薙ぎ払う。
仁とパウロはとっさに身を伏せ、両腕で頭をかばった。
巻き上がった石塊やガラスの破片がマクガイアを襲う。
――っ!
マクガイアは両手を顔の前で十字に組んで、左足を踏み込んで堪える。
「ブチ上がってるじゃねぇかッ!田中ちゃんよぉ!!!」ルシファーが奇声を上げる。
ユリアは長椅子の下で巻き上がる埃に顔を伏せていた。
――なにが起こってるの?
衝撃波が止むと、マクガイアはゆっくり構えを解いて再び仁王立った。
僧服の袖は裂け、頬や鼻筋には細かい傷が刻まれている。
田中最高導師から目を背けずに、僧服の埃を払う。
ゆらゆらと青い炎に包まれた田中最高導師が、眩しそうにマクガイアを見つめる。
その目にはかすかに親愛の情らしきものが感じられる。
「待っておったぞ・・・・」何千、何万匹の地虫の這うような悍ましい声で田中最高導師が語りかける。
「お前のことを・・・」
「いや・・この時を!」
「倉棚ユリアを返してもらおうか!」とマクガイアが一喝する。
――えッ!
ユリアは瞑っていた目をパチリと開くと、長椅子の下から滑るように這い出た。
――マクガイアだ!マクガイアが助けに来てくれた!
「マクガイア!」と長椅子の列から顔を出して手を振った。
手を振るユリアにマクガイアの目が険しくなる。
――なんで?
「ユリア!伏せろ」
ダダダダダ!
ユリアめがけてルシファーが銃を乱射した。
ダダダダダダ!
マクガイアも即座に応戦し、ルシファーに弾丸を浴びせる。
「ヒーヒャーッ」と奇声を発して、ルシファーは長椅子の影へと身を翻した。
ユリアの声を聞いた仁は、我を忘れ弾かれたように駆け出す。
――ユリアちゃん!
バリバリ、ガツガツとガラス片や石塊を踏んで走る。
ルシファーが長椅子の影に体を隠したまま、あたり一面を払うように小銃を乱射した。
銃弾は壁を穿ち、柱を砕き弧を描いて仁に迫る――
バギッ!
仁の近くの長椅子の背が銃弾を受けて裂けるように飛び散った。
――うわぁあ!!
仁はつんのめるようにして前方に身を投げ出す。
胸を打った衝撃で息が詰まる。
ダダダダ!銃弾が頭上を通り過ぎていく。間一髪だった。
パウロとマクガイアは身を低くし、反撃の弾丸を浴びせる。
ダダダダダ!!
木くずが舞い、弾痕が長椅子をズタズタに引き裂く。
「ひゃっひゃっひゃっ!!」
ルシファーの 狂ったような笑いが響き、そして静かになった。
田中最高導師は再度、仰け反る姿勢を取っている。
その体を覆う青い炎がプスプスと小さく爆ぜる。
パウロは弾倉を交換し、慎重に顔を覗かせる。
なんとマクガイアが通路を悠然と歩いてゆく。
パウロは立ち上がり、マクガイアの後を追う。
ルシファーが撃ってきた地点に狙いを定めながら・・・
「仁君⁉」
突然、ユリアの声がした。
仁は弾かれるように振り向いた。
そこに――頬に涙の跡を残したユリアがいた。
――ユリアちゃん!
仁は即座に匍匐前進を開始する。
瓦礫をかき分け進み、ユリアの前に来る頃には服の袖はボロボロになっていた。
仁は長椅子の影で身を屈めて、ユリアの無事を確認する。
ババババババ!
二人の頭上で銃弾が炸裂する。
仁はユリアを庇うようにして身を竦める。
ダダダダ!
マクガイアとパウロが短く応戦する。
銃弾が途絶え、埃が舞う。
「逃げよう!」と仁は言い、中央通路とは逆の方向を指さした。
ケホケホと咳き込みながらユリアは頷くと、体勢を替えて四つん這いで聖堂脇へと向う。
――うっ
仁はユリアの突き出された尻に目が釘付けになる。
――バカッ!
仁は何を考えているんだと自分を叱りつけ顔を伏せて、ユリアの後に続いた。
田中最高導師の青い炎が揺らめいた。
ガウアアアアアアアアアァッ!!!!
田中最高導師が再び咆哮した。
ボウヮ!
――嘘だろ!
パウロは自分が受けた衝撃に慄いた。
凝縮された重く、大きな空気の塊をぶつけられたかのようだった。
咆哮をもろに浴びてマクガイアとパウロが後方へと弾き飛ばされた。
ドサッズズズッ
聖堂の入口間際で、やっと体が止まった。
全身が軋むような痛みが襲っている。
なんとか顔を上げマクガイアとパウロは互いのダメージを確認する。
身を起こして呼吸を整えるのに精一杯で、立ち上がることができない。
その一蹴の隙を突いてルシファーは通路を飛び越えユリアへと迫った。
ガサッ!
その気配に気付き上がった仁が両手を広げて行く手を阻む。
ユリアもサッと立ち上がる。
「なんだ〜、オメェ〜震えてるじゃねぇか」とルシファーが微笑むと、蛇の入れ墨が楽しげに痙攣する。
仁はゴクリと唾を飲み込んだ。
「逃げろ!ユリアちゃん!!」
ユリアは駆け出した。足がもつれ、いつものように走れない。
――なんで
体が恐怖で萎縮していた。
「逃がすか!」ルシファーが仁を蹴り倒す。
――ウッ
仁は苦痛に体が縮こまるのをどうしようもなかった。
それでも仁はなんとか手を伸ばし仁を跨いで進もうとするルシファーの足を掴んだ。
仁はルシファーの足を引っ張った。
えっ
急に引っ張っているルシファーの足が軽くなった。
ガツッ!
ルシファーが仁の引っ張る力に乗って、そのまま踵で蹴り上げてきたのだった。
仁は踵をコメカミにまともに喰らい、一瞬意識が飛びかけてルシファーの足にかけていた手を離した。
「離せ―!!」聖堂の脇に辿り着く前に、ユリアはルシファー掴まった。
片手で後ろから抱きかかえるようにして、ユリアの身動きを封じる。
ユリアは自由になっている左手で体に巻き付くルシファーの腕を叩くがどうにもならない。
「大人しくしろ」と冷めた声でルシファーが命じる。
ユリアの喉元に拳銃が突きつけられる。
クッ!
ユリアの顔が悔しげに歪む。
「ユリアちゃんを・・・離せ!」仁はなんとか立ち上がって言った。
膝はガクガクと震え、唇は乾ききっている。
バン!
仁の足元で銃弾が爆ぜた。
「なあ・・・ユリアちゃん」とルシファーがユリアに甘い声で囁く。
「こいつに下がるように言ってもらえねぇかな」
「でないと・・・」と言ってルシファーは仁の方に銃口を向ける。
「わかった、わかったから」とユリア。
「仁君、下がって・・・」
「わたしは大丈夫だから」
仁は自分の不甲斐なさに唇を噛んだ。
クソ!クソ!クソ!




