第四十七章 激突 その四
倉棚里美は記憶を再生する。
他の人はそれを走馬灯と呼ぶのかも知れない。
ユリアが弟義人の手紙を読み上げて、帰ってきてと涙を流して笑っている。
里美は大藪弁護士との面談の後、晴れやかな気分の中にいた。
長年彼女を覆っていた黒い霧が全て吹き払われたようだった。
ユリアのもとに帰ろう・・・ユリアと共に暮らそう・・・義人にありがとうと言おう・・・
里美は田中最高導師に告解を求めた。
今なら、全てを打ち明けられる、そして、雲上を去ることを告げようと里美は決意したのだった。
田中最高導師は、里美に告解の機会をすぐに用意してくれた。
里美はそのことが嬉しかった。
田中最高導師は里美の話しを黙って、最後まで聞いてくれた・・・
田中最高導師はわかって下さったにちがいない・・・娘のもとに、ユリアのもとに帰りますと里美は告げた。
バシーンッ!
里美に衝撃が走る。何が起こったのかわからない。謁見の間の壁際まで体が飛ばされた。
”ならぬわ!たわけが!!”
田中最高導師の太い腕で打擲されたのだと気付く。
”残れ!残ると言え!”
田中最高導師は逆上して里美を殴打する。
視界が歪み、顔は熱を持ち、口に血の味が広がった。
里美は朦朧としながらも、最後まで「ユリアのもとに帰して下さい」と言い募ったのだった。
結果、瞑想室に放り込まれた。
雲上に残ると言うまで出さないと・・・そして、今・・・里美は息絶えようとしている・・・
里美はユリアのもとに帰れないであろうことを悟る。
どうか魂だけでも、ユリアのもとに届けてくださいと祈った。
里美は末期の力を振り絞って、右手の人差し指を噛み切った・・・もう痛みすら感じない。
そして、自らの血で瞑想室の壁にユリアへの思いを書き記す・・・・
”互いに慈しみ・・・”
”互いに支え合い・・・”
”貧しさに耐え・・・祈ります・・・”
”最後の裁きが訪れる・・・その日まで”
”希望を失うことなく・・・祈ります”
里美の口から、長年唱えてきた祈りの言葉が漏れた。
”ユリア・・・”
回廊の突き当り。
教団幹部用の通路を見張る信者が銃を向けきた。
先島は焦る気持ちを抑えて両手を上げて立ち止まる。
「さ、先島だ!通せ」と苛立たし気に信者に叫ぶ。
信者は先島の責めるような口調に不満を感じながら、銃を下ろすと道をあけた。
教団幹部用通路に入るとブブゼラの音が聞こえてきた。
聖堂に近づくにつれ音はどんどん大きくなる。
――こんな時に!ブブゼラ吹いてんじゃねぇ!と心の中で毒づきながら、先島は足を速めた。
階段を駆け上がる。
聖堂まで、あと少し――。
だが、その時、再び銃口が向けられた。
「またかよ!」
先島の叫びは、ブブゼラの轟音にかき消された。
先島は視界の端で、銃を構えた男の顔を捉えた。
信者ではない。
白髪にバンダナ――ケンだった。
――ああっ、先島は落胆の表情を浮かべた。
銃を構えたままケンが先島に詰め寄ってくる。先島は両手を上げて抵抗の意志のないことを示す。
ブブゼラが響き渡る廊下で、ケンは鼻がつきそうなほど顔を寄せて「オッサン、何しに来た?」と銃口を先島の腹に押し付ける。
「ば、爆弾を仕掛けられた……通してくれ!」
ケンが顔を歪め、バカを言うなと鼻で笑う。
「ほ、本当だ・・・」
「田中最高導師に・・・話をさせてくれ」
ケンはニヤつきながら、もう一度グリッと銃口を押しつけた。
「や!やめてくれ!」と真剣に怯える先島。
「マジかよ・・・」そう言って、ケンはプッと吹き出した。
――何が面白いんだ!と先島は怒りと惨めさを噛みしめる。
ケンは銃を下げて、先島の肩を労うようにポンポンと叩いて、行っていいぞとステージ脇のドアに向け親指を振ってみせた。
先島はステージ脇にたどり着いた。秋月伝師が白い顔で床に座っている。右手に巻いているハンカチが血で染まっていた。こいつがルシファー一味を連れてきたのが始まりだと、先島は忌々しく思う。
その時、ぬッと目の前を横切る人影にビクリとする。
ピンクの短髪ジロウがペットボトルを片手に急に現れた。先島を一瞥し、静かに目を細める。
ジロウは静かに秋月伝師に歩み寄ると、ペットボトルを手渡して、そのまま廊下に出て行った。
――なんなんだ!
先島はステージへと一歩踏み出した。
ボー!バー!ビーッ!
ブブゼラの音が反響し目が眩む、先島は、危うくここへ来た理由を忘れかけた。
音圧に朦朧となりながら、何とか田中最高導師の前まで歩み寄る。
先島に気付いた田中最高導師が手を上げる。
さっと、ブブゼラが鳴り止んだが、訪れた静寂に気付けず「田中最高導師!助けてください!」と大声で叫んでいた。
信者たちの視線が先島に集まる。
先島は、ふと我に返る・・・本当に爆弾なのだろうか?ここで田中最高導師にすがって、実はおもちゃでしたということになったら目も当てられない。教団での立場が無くなってしまう・・・
ここへ来て、先島は爆弾について告げるべきかどうか逡巡する・・・
信者たちがざわつき始める・・・・
すると聖堂正面の2対の大型モニターが突然、正門を映し出す。
信者たちは、何が起こっているのか分からずざわつきが一層大きくなった。
――なんだ⁉と先島がモニターを見上げた、その瞬間
ドゴォオォォン!
轟音とともに正門が吹き飛んだ・・・その音は正門のある方から直に伝わってきており、その爆発が実際に起こったことは疑いようもなかった。
信者たちから悲鳴が上がる。
破片が飛び散りモニターの映像も途切れる。
新たな映像がモニターに映し出される。別角度からの映像で、正門はもはや姿形もなくなっている。
――嘘だろ⁉先島は顔面蒼白となって、股を伝う生暖かい小便を感じながら、恐怖で動けない。
腹に巻かれた異物がチクタクと爆発の時を待っているかのように感じる。
先島はモニターから目を逸らす・・・その視線の先に若い女の姿を捉えた。倉棚ユリアだ。
――そうだ!伝えなければ・・・
「田中最高導師!」と叫んで胸を開く。
「こ、これは爆弾です!」
聖堂全体が息を呑む音が聞こえる・・・「マジかよ・・・」ルシファーが喜色を湛えて先島の腹を覗き込む。
「こ、これは爆弾です・・・二人の男が教会に潜入しています・・・助けてください」
「倉棚ユリアを開放してください!」
必死に訴える先島を、田中最高導師はつまらなそうな目で見下ろしていた――。
音声のない映像を見ながら。パウロと紫紋は、さあどう出ると固唾を飲む。




