第四十六章 天使と堕天使 その四
夕暮れに染まる洗濯物がミカエル荘の屋上で風に吹かれている。
マクガイアは紅い光に包まれて、猛き光と対峙していた。
紅い光はシュルシュルと惑い揺らめいている。
「どこから話したものか・・・」
「よい、よい・・・我は急がぬ」
「我は飽いていたのだよ・・・もう、ほとほと飽いていた」
「この人間と出会った時・・・この人間は凌辱されておってな・・・」
「この人間は・・・その時まだ幼かった」
「そう・・・この人間を一目みて、その器に魅了された・・・それは巨大な器であった・・・」
「我には”王の器”に見えた・・・」
「幾年、幾世紀、人に取り憑き・・・その人の矮小さ、その人の愚かさに倦み疲れた我が魂を昂らせる程だった・・・」
「我はこの人間と契約を交わし、器の中に入った・・・・そこに、欲望と呼べるものが何もない・・・まだ、幼すぎたのだろう・・・」
「我はこう考えた・・・いずれ、この器を満たす欲望を食らう時が来るだろうと・・・」
「ただ、いま手に収める欲望がない・・・そこで、いずれ幼き人間に宿るであろう、すべての人間に備わる”luxuria(色欲)”を先物買いよろしく、差し出すようこの人間に命じたのだ」
「しかし、我は・・・期待したものを手にすることはできなかった・・・」
「器が欲望で満ちることはなかった・・・」
「この人間が望むことは弟の幸福と美味しい日々の賄い・・・」
「この人間が望む美味しいは暴食へと至ることはなかった・・・」
「この人間はローマ人ではない・・・アイルランド系イギリス人だ・・・美食の基準が著しく低い・・・」「そこそこの料理に・・・そこそこの量に満足し、感動し感謝する人間だった・・・」
なんとも言えない沈黙の後・・・
「カッカカカカ!!!」
ミカエルが突然、声を上げて笑った。
「わかった・・・すべて腑に落ちたわ」
ミカエルの猛き光が楽しげに明滅している。
「そちが”王の器”と思ったその男は、実は”聖者の器”だったというわけか・・・カッカカカカカカ」
その言葉に紅い光が力なく揺れる。
「そちは”王の器”を手にするつもりで、”聖者の器”の虜囚と成り果てた・・・カッカカカカカカ」
「その人間の聖性にそちの魔性が侵されておるのだな」
カカカカカとミカエルは盛大に笑う。紅い光はチロチロと灯っている。
「・・・はぁ」とミカエルは笑いを収め。
「よかろう・・・そちの願い主に届けてやる」とミカエルは約束した。
その時、屋上の扉が開く音がした。
カチャリ・・・
鈴がマクガイアを追って屋上にやってきたのだ。
「おや、小さき者よ・・・」と猛き光ミカエルが鈴に声をかける。
「そちには我が見えているね?」
鈴は天使の像を胸にギュッと抱いて頷いた。
ミカエルは鈴に微笑みを返して言った。
「小さき者に祝福を・・・」
その瞬間、まばゆい閃光が屋上を包んだ。
パキーン!
鈴が手にしていた天使の像が粉々に砕け散る。
大事にしていた天使の像が砕けてしまった・・・宝物にしようと思っていたのに・・・
物干し場を砕けた天使の像の頭が転がる、それを追って、鈴が駆け出す。
バタン!
突然、背後で屋上の扉が激しく閉じる音が響いた。
鈴は驚いて振り向いた。誰もいない・・・風もない・・・ミカエルは消え去っていた。
すると今度はドサッという音が背後から聞こえた。
マクガイアが気を失って倒れている。
鈴はマクガイアに駆けつけて、揺り動かすがマクガイアは白目を剥いて倒れたままだ。
鈴は助けを呼ぼうと扉に飛びついたが、扉が開かない。ドアのノブを回すことすらできない。
扉を叩くがなんの音もしない。
この扉はどこともつながっていないような気がして、鈴は怖くなった。
ダダダダダッという音とともに悲鳴と怒声が階下から聞こえた。
なにか大変なことが起こっている・・・
都内のネットカフェで身を潜めている紫紋は、読み終わった「ONE PIECE」の59巻を静かに置いた。
「・・・あかん、泣いてもうた」と涙を拭って天井を見つめる。
充電中のスマートフォンを手にとって画面を見る。
「連絡下さい」という大藪仁からのメッセージが未読のまま連なっている。
仁を頼るべきではなかったという苦い思いが蘇る。
そこに新しいメッセージが届いた。
「兄の事務所にガス弾が投げ込まれました。今、病院に向かっています」
・・・・はっ?紫紋の心臓が高鳴る。
次の瞬間、反射的に仁に電話をかけていた。
「なにがあったんや!?」
「紫紋先輩!どこにいるんですか?なにしてるんですか?」仁の声が震えている。
「それより大藪弁護士のことや!無事なんか?」
「・・・それが、意識不明の重体ということなんです・・・今、病院に向かっています・・・」
紫紋は奥歯を噛みしめる。
「やったんは天の階教会やな?」
「・・・わかりません・・・」
「お前はホンマにええやつすぎるぞ!ガス弾なんか使う連中、アイツらの他におるんか!?」
仁は紫紋にも病院に来るように頼み、病院の名前を告げると通話を切った。
紫紋はポケットにあるコインロッカーの鍵を握りしめた。
・・・・・弔い合戦
「なんもかんもチャラにしたる・・・」紫紋はコインロッカーのある新宿駅へと向かった。




