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第五章 ミセシメ その二

 学年主任の原田という男は、生徒を管理するために、生徒を押さえつけるために、臆面もなく生徒たちの人間関係を利用するような奴だった。


 原田は、生徒のことを本当によく見ていた。ただ、その目的は生徒を教え導くためではない。自分に付き従わせるためなのだった。


 将来やら、社会やら、世間やら、校則やら、親やら、家族やら、友達やら、進路やら、教師の役目やら、学生の本分やら、本当のお前やらといった言葉を巧みに使い生徒や他の教師を操ることに長けていた。


 ユリアのように浮いた生徒は格好の的で、事あるごとにユリアをいじった。


 自分の力を自覚するために、弱い人間をイタブルのが楽しくて仕方ないのだ。


 ユリアはこの学年主任の原田が大嫌いだった。

 原田を嫌う女子は多い。ユリアは休み時間にクラスの女子が原田の陰口を言っているのを聞いたことがあった。


 原田には幼い娘がいるそうで「あんな親のもとで、その子がまともに育つはずがない」と言っていた。


ユリアは娘には何の責任もない、その子を悪く言っちゃダメだろうと思いつつも、そうかなとも思った。


 女子たちは「十代の女子が徹底的に嫌う、典型的な男が親とかヤバくない」と言って笑っていた。


「絶対、グレるよね、先生の子がグレるってよくある話だし」と言って盛り上がった。


 そして「頑張れ娘、大きくなってわたしたちに代わってイタブリ返せ」と言って大笑いしていた。


 ユリアは何を応援しているんだと思いつつも、その話に少し慰められたのだった。


 その原田が、瀕死の獲物を見つけて、涎を垂らしている。


 佐藤先生がユリアの肩に手をかけて「あなたは悪くありません。ただ、ここは(こら)えて」と優しく言う。


 その優しさが我慢ならない。わたしが悪くないなら、ならなんで、こんな状況を放置しているのか、なぜ、悪くないわたしが()えなけれがならないのか。


 ユリアは顔を上げることができない。息が荒くなる。

 熱くなる目頭に力を入れて歯を食いしばる。おぼつかない足取りでなんとか前に向かう。


 生徒たちはユリアの様子に、敏感に反応した。”ナニ、ナンカキレテナイ。ギャクギレ?”と言う声をユリアの耳が拾う。逆ギレ?違う真正面からキレてるんですけどとユリアは思う。


 自分に味方してくれるものは一人もいない。嫌な汗が背筋に、腹に、胸に、脇に浮かぶ。


 不条理な連帯責任という処罰に、生徒たちは憤り、その憤りの捌け口をユリアに求める。


 とぐろを巻いた不穏な空気が、鎌首を上げてユリアを狙っていた。

 なんとかユリアは最前列まで辿り着き、足を止めた。どうすればいいか分からない。


 学年主任の原田が言う「こっちに来いっ、倉棚!」場の重い空気がユリアに否を言わせない。


 ”ハヤクシテクンネエカナ、ケツイテェンダケド”


 原田先生が居丈高に言う。「おい、倉棚。みんなに迷惑をかけたこと詫びろ!」

 より一層、場の空気が重くなるのを感じる。


 自分は悪いのだろうか、皆を2時間待たせたのは私の責任なのだろうか。


「おい、倉棚、早くしろ」場の空気はもう耐えられないほど重く、淀み、息苦しくユリアに押し迫っていた。


「わ・・・たし、わ悪いんですかね・・・」とユリアはなんとか言った。

「あっっ、何だって!聞こえないぞ倉棚、おまえ、今なんて言ったんだ、おい!」


 ”チョッマテヨ、ココデ、ギロンシチャウ、アリエネェ”

 ”クウキヨメヨ”


 言いたいことは山程あるが、もう駄目だ、抗う力を振り絞れそうもない。

 もう、いい。この場が収まるなら、もう、いい。


「す・・いませんでした。ご、ご迷惑をおかけしました・・」なんとか言うことができた。


 ユリアは頭を下げた。両の手の爪は、手の内に深く突き刺さっている。


「何?何だって、倉棚。一番うしろの皆に聞こえるように詫びろ、倉棚!」面倒くさいとユリアは思う。

 もう終わってくれと思う。


「皆さんに、ご、ご迷惑を、おかけして、大変、申し訳、ございませんでした」

 喉が締まり、鼻の奥が熱くなるのを感じる。


 一旦下げた頭は重く、もう顔を上げることができない。


 ユリアの肩が小さく震えているのを見て、泣いているとでも思ったのか、学年主任の原田が勝ち誇ったかのように言う。


「倉棚、よく反省しろ。たく、どんだけ迷惑かけるんだ、お前は、大体・・・」と、原田が説教を始めようとしたところ、男子生徒が「センセイ、モウイイスッカ、カエリタインスケド?」と割って入った。


 男子生徒への賛同の声が上がり、立ち上がる生徒もでてきた。


 原田は、少し慌てて「よし、皆、お疲れだったな。修学旅行は、これで解散とする。家まで気を付けて帰るように。寄り道したりするなよ」と繕うように言うと、あっと言う間に生徒たちはユリアを残して体育館を出ていった。


 生徒たちの足音が体育館に一気に満ちて消えていく。

 それでもユリアは顔を上げることができなかった。


 顔を床に向けたまま息を整えるように大きく呼吸を繰り返していた。

「倉棚、修学旅行で何やらかしてくれてんだ、えっ、おまっ」原田の言葉を聞かずに、ユリアは勢いよく出口へ向かう。


「おい、こらっ、待て、話が終わってないだろうが!」とユリアを追う原田の前に佐藤先生が立ちふさがり、原田の肩に手を置いてなだめるように何度も頷く。


 原田は、その佐藤先生の枯れきった姿に毒気を抜かれ横を向きフンと鼻を鳴らした。

 

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