第四十一章 再起 その四
天の階教会、謁見の間の更に奥の部屋からガシャーンガシャーンとウェイトマシーンの音が響く。
田中最高導師はパーソナルトレーナーの指示に従ってメニューをこなしていく。
ベンチプレス80kg/5回/3セットを終えたところで「少しインターバルを取りましょうか」とトレーナーが声を掛けてきた。
田中最高導師はトレーナーに頷き返し、汗を拭きながら周りを見る。
ミャンマーから戻って来た信者達が一緒になってトレーニングに励んでいる。
田中最高導師の気分は久々に晴れている。
山本導師に代表の座を譲ろうと決めてから、ぐっすり眠れるようになった。
田中最高導師はペットボトルから水を一口飲む。いつもより水が美味く感じる。
秋月伝師がこちらに駆け寄ってくるのが目に入った。
秋月伝師は田中最高導師のもとまで来ると「シリアに派遣していた信者達が戻りました」と耳打ちした。
田中最高導師は頷くと、トレーナーに今日はこれまでと告げる。
トレーナーが立ち去るのを見届けて、秋月伝師に戻って来たメンバーをこちらに連れてくるように言い付ける。
シリアに派遣されていた信者が隊列を組んで部屋に入って来た。
部屋の中央、田中最高導師の前で整列すると、代表の男が一歩前に出て「シリア派遣隊38名、只今、帰国いたしました」と敬礼して言った。
トレーニングをしていたミャンマーからの帰国組がシリア派遣隊を取り囲むようにして立っている。
「うむ、ご苦労」と田中最高導師は答えた。
田中最高導師は列を成す一人一人に敬礼して、握手を交わしていく。
若い信者達は、派遣前と後で顔つきが全く違っていた。皆、精悍さが増しているのだった。
全員と握手し終えると、代表の男に言った「帰国者38名と言ったな、残り12名はどうした?」
「はっ、1名は訓練中に事故死、11名は実戦中に戦死となりました」代表の報告を聞いてミャンマーに派遣されていた者たちからほーっと声があがる。
ミャンマーに派遣された50名のうち帰国したものは45名で、実戦で死んだものは1名のみ、3名が事故死、2名が現地人との詰まらない諍いで殺されていた。
「実戦に参加したのか?」
「はっ、できるだけ実戦に参加するようにとの、ことでしたので、ここにいる38名は全員実戦に参加しております。うち半数は複数回実戦に参加しました」と代表の男が言う。
ミャンマーに派遣された男たちの中には羨望の眼差しをシリア派遣隊に向ける者もいた。
「うむ、ご苦労」と田中最高導師は言った。
「皆に言っておきたいことがある。ミャンマー隊も聞いてくれ」と傾聴を求める。
皆の注意が田中最高導師に集まる。そして、田中最高導師は切り出した。
「終末は近い・・・君たちこそが頼りだ」
「終末は近くやってくる・・・その時、我が教団から言を預かる者が出るだろう。これは、確かなことであり、定められたことである」若い信者たちの瞳に光がさす。
「我々の使命はその言を世に広めることにある」
「皆には、その尖兵、神の尖兵、言の守護者となってもらいたい」と言う田中最高導師の言葉に、さっと背筋を伸ばす若者たち。
「皆も知っての通り、世は愚かな人間で満ちている・・・彼らに言は届かない・・・それを気に病むことはない、彼らは罰せられる存在なのだから」
「しかしだ・・・」と田中最高導師は苦悩して見せる。
「彼らのうちに、我々を妬み、羨み、そのあまり、我々を討とうと考える者たちがでるやもしれない・・・いや、必ずでる」
「すでに、我が教団を妬み、嫉み、我が教団の解体を目論む動きは日増しに激しくなっている」
「あなた達が頼りだ・・・備えよ、憂いを打ち払うために備えよ・・・さすれば、約束される、あなたちに救いが訪れる」と田中最高導師は言うと、真剣な顔を一転させて若者たちに微笑みかけた。
「食堂に行きなさい、あなた達の労に報いるために、ご馳走を用意してある。ミャンマー隊も一緒に・・・情報を交換しておくように」と田中最高導師が告げる。
「はっ」と心地よい返事と敬礼が返ってくる。
若者たちは歓声を上げて、食堂に向かって行った。
若い信者達を満ち足りた気分で見送る田中最高導師。
山本導師に代表の座を譲ると決めてから、今まで抱えていた悩みが全て消え失せた。
マスコミが騒ごうが、ヤクザが脅しをかけようが、派閥争いがおころうが、もう自分には関係ない。
そういった一切合切を山本導師に丸投げして、ここを去る。
もちろん、十分な分け前をもらって、南の島でバカンスと洒落込もうと田中最高導師は考えていた。
広間の中央で大きな窓から入る光を受けて、大きく伸びをする。
開放感に満たされて田中最高導師から自然と笑みが漏れる。
”忘れたのか・・・”と声がする。
田中最高導師は後ろを振り返るが、そこには誰もいない。
ゴクリと唾を飲み込んだ。
”思い出せ・・・”と声がする。
田中最高導師は前に向き直る。そこにもやはり人はいない。
田中最高導師の鼓動が早くなり、額に汗が滲み出る。
山本導師に代表を譲ると決めてから、ストレスからくる幻聴はなくなっていた。
田中最高導師にとってストレスよりも、この幻聴のほうがやっかいだったのだ。
幻聴のために自分が望みもしない決定をし、振り回されてきた。
幻聴が自分を破滅に導こうとしているのに、抗えない・・・もうやめてくれと田中最高導師は心の中で祈るように呟いた。
”もう始まっている・・・”
田中最高導師は、再度、後ろを振り向いた。
自分の影から声がしたように感じる。
「出ていってくれ・・・頼む・・・ほっといてくれ」と田中最高導師は自分の影に声をかける。
”自分の影を切り離すことを望むとは・・・なんと愚かな”と影が言う。
”忘れたのか・・・萩尾伝師を殺したことを・・・”
それを聞いて田中最高導師の脇から汗がどっと出る。
”思い出せ・・・記者の鳴門を殺ったことを・・・”
田中最高導師の体がわなわなと振る。
”なにがバカンスだ愚かな・・・”影はそう言うと時計回りに回転して、窓に向かって伸びていく。
ありえないものを見て、驚愕する田中最高導師。
影が窓を覆い、部屋が薄暗くなった。
田中最高導師は堪らず、部屋の隅にある棚に向かと、引き出しからカプセルを取り出して、震える手で口に放り込んだ。
”兵隊は揃った・・・武器も手に入る・・・”と田中最高導師の背中に声が語りかけてくる。
田中最高導師は薬が効くのを待って、声に向き直る。
暗い部屋の中に、より黒く浮かび上がる影がある。
その影は、田中最高導師の目に、玉座に腰掛ける闇の王のように写った。
”さあ・・・我らの王国を築こうではないか”
田中最高導師は影を震える瞳で見つめていた。
逃れられないことを悟ると、その瞳から大粒の涙が溢れた。




