第四十一章 再起 その一
紫紋は大藪弁護士の事務所に向かっていた。
ここしばらく仁と二人で大藪弁護士事務所の雑用を手伝っているのだった。
仁は午前中に用事があるとかで、午後にユリアが通う高校で落ち合う予定となっていた。今日、保健室でユリアを生徒会長にするための作戦会議を開くのだ。
道中で文房具店兼駄菓子屋のような昭和風の店に紫紋の目が留まる。
ふらふらと中に入ると子供の頃に食べていた、スナックに干物に飴にガムが所狭しと並んでいる。
紫紋は大人になってからよく見る夢があった。
一万円札を握りしめて駄菓子屋に行く夢だ。
その一万円札で、好きな駄菓子をありったけ買ってやると意気込んで店に入るのだが、店に入るとどれにしようと悩んでしまいなかなか買うものを決められない。
すると店主の意地悪な婆さんに「買わへんねやったら、出て行って」と冷たく言い放たれて目が覚める。
今は夢ではない、決められると思うのだが、紫紋は悩んだ。
イカ串かうまい棒か、両方買っても良さそうなものだが、どちらかにせねばならないと縛られている自分がいる。
そのことを可笑しく思いながら紫紋はイカ串を買って店を出た。
ネトネトした串をくるくる回した後、一口頬張る。酒が飲みたくなる。
子供の頃にはそんなこと思わなかったなと少し感傷的になる自分を笑った。
車が凄いスピードで紫紋の脇を掠めて、行く手を遮るようにして止まった。
くそったれと紫紋は思う。
イカ串を背後に隠すように持つ。止まったバンから三人の男が降りてきた。
手に警棒を持っている。逃げられるかと後ろを振り向くと、そこには後詰めがいた。
舌打ちして、正面に向き直った時、三人の男が紫紋めがけて襲いかかって来た。
紫紋は左手の男が振り下ろす警棒を腕で受けつつ、中央の男の股間を蹴り上げた。
警棒を受けた腕と、蹴り上げた脛に鈍痛が走る。
右手の男が警棒を横殴りに振ってきたが、間一髪躱す。
躱されて男が前のめりになったところを、イカ串で顎から口に向けて突き刺した。
差された男が悲鳴を上げてのたうつ。
後ろからドンと衝撃を受ける。後詰めがタックルしてきたのだ。
倒れた紫紋を二人の男が蹴り上げる。
後詰めの男のブーツが脇腹にめり込む、紫紋は堪らず、うっと声を漏らす。
息が出来ない。こめかみを蹴りが掠め、意識が飛びそうになる。
両腕で頭と顔をガードして身を縮めることしか出来ない。
背中を蹴られ、太ももを踏みつけられた。
男たちは紫紋が抵抗できないようになるまで十分に蹴りつけると、一人が紫紋の腕をねじ上げて、無理矢理立ち上がらせた。
もう一方の男が紫紋の髪を掴み、紫紋を両脇から挟み込むようにして、車に押し込もうとした。
紫紋が、もうダメかと思った時、ドーンと衝撃が走り脇を固めていた奴ら共々、弾き飛ばされた。
紫紋は車にでも追突されたのかと思った。
道路に手を付き身を起こそうとしたところを、何者かに軽々と抱え起こされた。
大藪弁護士だった。車に追突されたのではなく、大藪弁護士にタックルされたのだ。
大藪弁護士に直接タックルされた男は完全に路上で伸びている。
もう一人は驚いて腰を抜かしていた。
大藪弁護士は紫紋を肩に担いで、走り出した。
振動で大藪弁護士の肩が先ほど蹴られた脇腹に触れるたびに紫紋はうめき声を上げたが、大藪弁護士はお構いなしに事務所まで走った。
大藪弁護士は紫紋を事務所のソファーに寝かせると、手伝いの学生の一人にビニール袋に氷をいれて氷嚢を作るように指示し、もう一人の学生に薬局へ行って太めのテーピングテープとコールドスプレーを3本買ってくるように指示した。
「紫紋先輩、えらい目にあったな」と言って大藪弁護士は笑っている。
気の利いたスタッフが薬箱を持って来ると切り傷を消毒して、怪我の具合を確認する。
「わたしはラグビーをやっていたからね、打撲や打ち身のスペシャリストなんだ」と大藪弁護士は言って紫紋の体をパンパンと叩く、紫紋がうっと声を上げるとその痛みの具合を確認した。
「深呼吸してみろ」と大藪弁護士が言う。
紫紋は大きく息を吸い込み吐いた。
その様子を見て、大藪弁護士は言った。
「不幸中の幸いだな、肋はいってないようだ」と言った。肋骨には異常がなかったということだ。
「先生、これ」と学生が氷嚢を大藪弁護士に手渡した。
大藪弁護士は、それをうけとって紫紋の右のこめかみ近くにあてた。
紫紋がその氷嚢を自分で持つと「もう一つ作ってくれるか」と大藪弁護士は学生に声をかけた。
お使いに出された学生が戻ってくると「紫紋君、応接室まで歩けるか?」と紫紋に訪ねた。
紫紋は頷いて立ち上がり、足を引きづって応接室まで移動した。
応接室で下着になるように指示され、蹴られて赤く痣になりかけている所にスプレーを振りかけられた。
特に右太ももと、左の脇腹は入念にスプレーされた後、テーピングされた。
「どうだ?」と大藪弁護士が聞いてくる。
「完璧ですわ・・・ブレイクダンス踊れるくらいに」と紫紋が軽口を叩く。
大藪は紫紋の額にデコピンを入れた。うっと紫紋が声を漏らす。
「君は本当に面白いやつだな」と紫紋に笑いかけ「皆はもう、仕事に戻って」と応接室にいたスタッフに声をかけた。
皆が出ていくと、大藪弁護士は紫紋に向き直って言った。
「説明してくれ」
「兄弟喧嘩ですわ」と紫紋先輩が気の抜けた返事をする。
「ふざけるなよ」大藪弁護士の本気の目が痛い。
紫紋は観念して溜息を吐いた。
「今から話すことは、仁も知らんことです。仁には言わんといてもらえますか?」と紫紋先輩。
「約束する」と大藪弁護士。
「実は、俺、赤心党のメンバーなんですわ」と紫紋は言った。
紫紋はなぜ赤心党に入ったかは言わなかったが、自分が追われる身になった経緯について語った。
「万博の爆破事件あったでしょ?あの実行犯の一人なんですわ・・・というか実行犯の一人になるはずやったんです・・・」
「俺が爆破を任されたんが、科学の二柱像で・・・現場見てこりゃアカン思いました」
「子どもの遊具ですやん・・・」
「で、爆弾仕掛けることが出来ずに、逃げたんですわ」と紫紋。
「仁を頼ってもうて・・・すいません」と大藪弁護士に頭を下げる。
「いや、君は間違ったことはしていない。たとえ赤心党から裏切り者扱いされたとしてもね」と大藪弁護士は言い。
「それから、仁とはこれからも友達でいてやって欲しい」と大藪弁護士は言った。
紫紋はくーっと唸った。大藪弁護士の信頼が嬉しかったのだ。
「で、これからどうするつもりだ?」と大藪弁護士。
「しばらく・・・潜伏することにしますわ」と紫紋。
「どこに?」と大藪弁護士。
「ネカフェを回ることになるでしょうね」と紫紋。
うんうんと大藪弁護士は頷いて、上着のポケットから財布を出すと、財布に入っている札を全て抜き出し、紫紋に突き出した。
「なんですのん?」と紫紋。
「潜伏するにしたって金はいる。何かに使ってくれ」と大藪弁護士が言う。
「気持ちだけで・・・」と言う紫紋。
「学生のくせに、大人相手に格好つけるんじゃない」と叱られた。
紫紋は大藪弁護士が差し出す金を、深々と頭を下げて受けっ取った。
「わたしはこれからイエズス会の教会に行く、君はしばらくここで休んでいきなさい・・・そうだな、30分に一度、スプレーを打ち身に振りかける、これを少なくとも三度してから出るように」と大藪弁護士は紫紋に言いつけて、出て行こうとする。
「先生」と紫紋が大藪弁護士の背中に声をかける。
大藪弁護士が振り向く。
紫紋は深々と頭を下げて「この御恩は決して忘れません。ありがとうございます」と言った。
「紫紋君、古風だな」と笑って大藪弁護士は部屋を出て行った。




