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第三十七章 歯車は欠けたのか?噛み合ったのか? その五

 エクソシストが実在する、しかもバチカン公認と聞いて驚きのあまり固まるユリア。


「あの、具体的にどんなことが行われるんですか?」とマミが尋ねる。


「聖水を用意して、祈りを捧げながら、取り憑いた悪魔に名前を尋ねます」とアルフォンソ審議官。


「名前を聞くんですか?悪魔は名前を言うんですか?」とマミ。


「悪魔は嘘を付きます。本当の名を名乗るまで祈り、名を問い続けなければなりません」とアルフォンソ審議官。


「悪魔が名を名乗るとどうなるんですか?」とユリア。


(はら)われます」とアルフォンソ審議官。


「えっ!名乗っただけで?」と驚くユリア。


「イエスが偉大な祓魔師(ふつまし)であることは、悪魔も知っています。

 なにせ悪魔、堕天使はもともとイエスに使える者だったのですから。

 悪魔が名を名乗ることで、序列がはっきりとするのです。

 序列が定まれば、イエスの名において悪魔を退けることが可能なのです」とアルフォンソ審議官はマミとユリアを交互に見て、わかりましたかと確認する。


「これは余談ですが・・・」と続けて、アルフォンソ審議官は、悪魔同士の戦いでも、名を言わせるということが重要であると二人に教えた。

 悪魔Aが、悪魔Bに名乗らせられると、悪魔Aは悪魔Bに隷属することになると言うことだった。


「名前が重要なんですね、面白いこと聞いちゃった」とユリア。


「お姉さんに取り憑いた悪魔の名はなんでしたか?」とマクガイアが話をもとに戻す。


「リヴァイアサン」とアルフォンソ審議官。


「ほぉ」と感心したような声を上げるマクガイア。


「わたしも驚きました。リヴァイアサンと言えば、強大な悪魔ですからね。ガブリエレ・アモルト神父の手にも負えなかったようで、悪魔を姉から追い出したと言いましたが、祓ったとは言いませんでした」


「お姉さんは無事だったんですか?」とユリア。


「ええ、それ以来、おかしな行動を起こすことはなくなりました」とアルフォンソ審議官が微笑む。


 ユリアとマミは目を合わせて良かったと頷きあった。


 マミはあっと声を上げ、マクガイアに顔を向けて言った。

「あのぉ、マクガイア神父は結局、何がおっしゃりたいのでしょう?その天使と堕天使について」


 マクガイアはマミに頷き、アルフォンソ審議官の目を見つめて言う。

「堕天使が存在しない日本では、知に対する疑念が欠けている。日本人はこの世の知恵が神の前では愚かなものであることを知らない、日本人はりんごの実を食べろとそそのかしたのがヘビであることに思い至らない・・・」


「どゆこと?」とユリア。


「知性より前に、霊性を高めよということです」とアルフォンソ審議官。

 ユリアは重ねて何か言おうとしたのだが、マクガイアの声に阻まれた。


「そうです!アルフォンソ審議官。あなたはハルとの討論会をどうご覧になりましたか?」とマクガイア。


「たしかに、マクガイア神父の言う通り、彼らは霊性について、ほとんど無頓着でしたね」


「そうです。知性と霊性との間に大きな隔たりができています。そして、その隔たりに魔性が生じるのです」とマクガイアが言うとアルフォンソ審議官は強く頷いた。


「学生たちは霊性が低いまま、知に走り、ヘビにそそのかされシン聖書なるりんごを齧らされている」


「無邪気にりんごを頬張る彼らの目の前で、蛇を踏み砕いてやりましょう!」とマクガイア。


「蛇とは天の階教会のことを仰っているんですね?」とアルフォンソ審議官。


「えっ」とユリア。


「もちろんです。奴らを叩き潰しましょう!」とマクガイア。


「待ってください、マクガイア神父」とアルフォンソ審議官が手で制す。


「バチカンは彼らと同じ土俵に立つつもりはありませんよ。彼らを相手にしても教会にはなんの得もありません。ご理解いただけますよね」と言った。


「いえ、全く分かりません」とマクガイア。


 アルフォンソ審議官とマクガイアが互いの真意を読み合うように見つめ合う。


 固唾をのんでユリアとマミがことの成り行きを見守っている。


 すると、急に鈴が両手でお絵かき帳を掲げアルフォンソ審議官にもたれかかり、描き終えた絵を見てくれとせがんだ。


「あらあら、すみません。鈴ちゃん、鈴ちゃん」とマミがどこかほっとしたように鈴に声をかける。


 アルフォンソ審議官は大丈夫というようにマミに微笑みかける。

「どれどれレディ鈴はどんな絵をかいたのかなぁ」と鈴の鼻を人差し指でちょんと触れてから絵を眺め、首を傾げた。


「これは・・・なんだろう?とても前衛的に見えるね・・」


 その絵をユリアが横から覗き見て笑いながら言った。

「ははは、これ、マクガイアです。鈴ちゃんマクガイアをいっつもタコみたいに描くんですよ。面白いでしょ」


 鈴とユリアが両手でハイタッチする。


 赤い丸から確かにタコの足を思わせるものが幾本も生えており、黒の斑点が付いている。


 タコにしては足が多いような気もする。絵から目を上げて、マクガイアと見比べてみる。


 マクガイアと目があった。マクガイアが話を戻そうとアルフォンソ審議官の名を呼ぶ。そのマクガイアを手で制してアルフォンソ審議官は言った。


「マクガイア神父、この度のわたしの任務は、100%政治的なものです。

 日本の政治家である宇津奈議員の依頼を受けることで

 将来に見返りを求めようという思惑の上で動いています。

 残念ながらそれ以上でも、それ以下でもありません」わかってくださいとアルフォンソ審議官は言った。


「アルフォンソ審議官・・・あなたの霊性に耳を傾けてください。

 我々の行動の結果が政治的に帰結することはあるでしょう・・・

 しかし、動機そのものが政治的なものであるなら、それは堕落です。

 イエス・キリストならどう行動されるでしょうか?」とマクガイアがアルフォンソ審議官に問いかける。


 打ちのめされたように項垂れるアルフォンソ審議官から、んんっとうめき声が漏れる。


「まったく、あなたには叶いません・・・わたしに何ができるか考えてみましょう」と言うと、あっそうだとポケットからSDカードを取り出して言った。


「こちらをお預かりいただけますか、マクガイア神父」


「なんですか?これは」


「りんごの食いカス、ヘビの抜け殻といったところでしょうか・・・わたしが持っているより、あなたが持っていたほうがいい気がする・・・ただ、今は中身を見ないことです」とアルフォンソ審議官。


「ヘビを踏もうとして、ヘビに噛まれることもあるかもしれません。その時のためにお持ちください」


 最後にマクガイアとアルフォンソ審議官は力強い握手を交わし、再会を約束して別れた。




 ミカエル荘を出ても、アルフォンソ審議官の胸のざわつきは収まらなかった。


 なんという一日だと思った・・・朝に見た鳴門の死と、マクガイアの言葉が太い釘となって胸に突き刺さっている。


 ふと鈴が描いた絵を思い出した。赤いタコの足は何本だった?8本、いやそれ以上あった12?14?足は2本で、残りが翼だとしたら、黒い斑点が目だとしたら?熾天使だ。


 だとしたらアルフォンソ審議官が出会った日本で初めての天使目撃談となる。


 まさかそんなこととアルフォンソ審議官は自身の思いつきを一笑に伏した。胸のざわつきは収まらない。

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