第三十七章 歯車は欠けたのか?噛み合ったのか? その三
天使や聖母マリアの目撃談が日本では少ないと聞いて、思わず吹き出したマミにアルフォンソ審議官は微笑みながら言った。
「お笑いになりましたね。でも、日本には200万人近くのキリスト教徒がいるんですよ、この数はスロベニアの人口に匹敵します」
いたずらが見つかった子どものように神妙に姿勢を正すマミ。
「ヨーロッパの小国くらいのキリスト教徒がいると考えると少ないとは言えませんね」とマクガイア。
「そうなんですよ・・・日本のキリスト教徒は少なくないのです。日本の人口が多いために、人口比にすると少なく感じますが、決して少なくないのです。その日本で、天使の話も、聖母の話も聞かないのはなぜかと思っていたのですよ。で、マクガイア神父の天使の不在というワードにとても興味が湧きました」
「その発言の後、考えたんですが・・・天使がいなければ、堕天使も存在しない」とマクガイア。
「天使と悪魔ですか。危うい気もしますが・・・」とアルフォンソ審議官が片眉を上げる。
「えーっと・・・悪魔なんていませんよね」とマミが堪らず口にする。
マクガイアとアルフォンソ審議官が静かにマミを見つめる。二人がジーッとマミを見つめる。
「えっ、えっ、えっ」と当惑するマミ。
「いえ、アルフォンソ審議官。天使と悪魔で二元論を語ろうとしているのではありません。堕天使、悪魔の存在は聖性を高めるためにあるのはヨブ記をみれば明らかです」とマクガイアはアルフォンソ審議官に向き直って言った。
天使と悪魔の二元論が何を意味するのかはマミにはよくわからなかったが、ヨブ記は知っている。
旧約聖書に書かれた、ヨブという男が悪魔によって信仰を試される話だ。
話の中でヨブは悪魔によって、これでもかというほど痛めつけられる。
ヨブは不幸の中で、神への信仰を改めて見出し、悪魔は退けられ、神の祝福が与えられるという話だ。
マミにとってヨブ記は非常に難解な話だった。
なぜ善良なヨブが悪魔に好き放題されるのを神は黙って見ているのか。これほど過酷な目にあってヨブが信仰を取り戻した起点は何だったのか。大事なところが分からない。
マミは聖書版「北風と太陽」と思うことにしようとして、そのことをアントン・モーヴェ教区長に伝えて叱られたことがあった。
聖書を理解するために他の物語を参照することは、間違っているときつく言い聞かされた。聖書を神の秘跡として向き合いなさいとも言われた。
気を改めて、マミは聖書を読み直していたのだが、ヨブ記の悪魔はなんのメタファーなのかと考えていた。
それは人生で起こる理不尽な仕打ちに対するものだろう・・・その不幸にあって、神を憎まず、祈ることが信仰の道だという教えなのだなと最近は納得していた。
要するに、マミは、ヨブ記をお話だと思って読んでいた。
信仰を守ることの大切さを伝えるための例え話か何かと思っていた。
目の前にいる二人は違う。その話しを、実際に起こった事として捉えている。
悪魔がヨブを痛めつけたと信じている。
その違い、その距離に気付き、マミは愕然とした。
「で、私は思ったんですよ。悪魔、悪との向き合い方がぬるい。何が悪かは相対化され、立場の問題にされてしまう。必要悪だとか、仕方がないと、悪を許容する。悪と対峙し、戦い言が力を得るきっかけとできず、言はただ揺蕩っている・・・」
そこへ「んっんっ」と咳払いをして注目を求めるように、ユリアが食堂に入って来た。
「レディースエンジェントルマン!みなさん大変お待たせいたしました」と芝居がかった口調で言う。
「レディ鈴が皆さんにご挨拶するためにお見えになりました」と食堂入口に向けて両手をヒラヒラさせる。
鈴がすました顔で入ってくる。
鈴はアルフォンソ審議官に会うために、修道女の服に着替えていた。修道女の服に着替えたくてユリアを連れて部屋に上がったのだ。
手にはお絵かき帳が握られている。
キャーっとマミがその可愛さに拍手を送る。
鈴は澄ました態度で、アルフォンソ審議官の席の隣に立つ。
アルフォンソ審議官が席を立ち、鈴に合わせてかがむと「ご機嫌いかがですか、レディ鈴。お久しぶりですね」と声をかけて、鈴の頭をなでる。
澄ましていた鈴の顔から堪えきれず、笑みが漏れる。
アルフォンソ審議官が椅子に座り直すと、鈴がその膝の上ににじり上がって腰掛けた。
「あらあら、鈴ちゃん・・・すみません、アルフォンソ審議官」と頭を下げるマミに「いえいえ、問題ありませんよ。むしろ、光栄です」とアルフォンソ審議官は笑って返す。
鈴は上機嫌で、お絵かき帳をテーブルに広げて、クレヨンで絵を描き始めた。
アルフォンソ審議官が鈴の頭を優しく撫でた。




