第四章 カルトの影 その二
焼け跡の裏はイエズス会が運営しているシェルターだった。
DVやカルト教団から逃れてきた人々の避難場所、解放区として運営されている。
そのシェルターで避難してきた人々の世話をしているのが、真庭マミらシスターたちである。といっても、真庭マミはシスターではなく、まだシスター見習いといった立場である。
「今日は、もう遅い、明日の朝一番に教区長に挨拶するといい」とパウロはマクガイアに告げて、マクガイアの肩を叩き、先にシェルターの中に入って行った。
開けられたドアから光が広がって消える。マクガイアとマミは、街灯だけになった通りで、向き合っていた。マミが「さあ、中へ」と声を掛けた。
マクガイアがマミに続いてシェルターの玄関に入ると、ブーツを脱ぎ終えたパウロがぺたぺたと足音を立てて廊下を行くのが見えた。
そうか、そうだ日本では、靴を脱いで建物に入るのだと、框に腰を駆けてブーツの紐を解く、あっと思い出したように立ち上がりマミに向かって今更、名乗った。
「ニコラス・マクガイアです。全ての日本人にキリストの御言葉を広めるために派遣されました」と右手を差し出した。
マミは面白いものでも見るように目を丸くして「真庭マミです。シスター見習いでシェルターのお手伝いをさせていただいています。分からないことがあればなんでもお聞きくださいね」と言ってマクガイアの手を握った。その胸にネコはもう抱かれていなかった。
マクガイアが済まなそうに「濡れています。とても濡れています」と言った。
「びしょびしょって言うんですよ、砕けた日本語で」と微笑む。
「びしょびしょ」とマクガイアは繰り返す。
「そうです、今、マクガイアさんはびしょびしょです」
「私はびしょびしょ、オノマトペ?」
「そうです、オノマトペ。上手にオノマトペを使えるようになったら、日本語が一人前になったということですよ。
マクガイア神父は日本語がとても上手ですが、オノマトペを使いこなせるようになれば自然な、打ち解けた日本語がはなせるようになりますよ」と言う。
「ありがとう」と言ったものの、マクガイアは別にオノマトペについて知りたかった訳ではなかった。濡れたままでどうしたものかと迷っていたのだ。
それを察してマミが「あらあら、すみません、私ったら。お気になさらず、そのまま上がって下さい。廊下の突き当り右手が浴室ですので」と言う。
「よくし・・」
「あっ、シャワールーム、バスルームです。体を温めてください。着替えはご用意いたします、どうぞどうぞ」とマミが先に廊下に上がり、マクガイを先導した。
戸を開けて中に入ると、左手の棚に網カゴが並んで置いてあり、その一つにパウロの衣服が入っている。正面のガラス戸の隙間から湯気が漏れていた。
「あちらのカゴに、お脱ぎになった服をいれてください。シャワーを浴びて温まってくださいね」とマミが後ろから声をかけて、それでは、と去っていく。
左手の棚の前に行き、衣服を脱いで網カゴに入れた。
湯気にけむった戸を開け、浴室に入ると左手に据付のシャワーが4つ並んでおり、その一番奥で小さな椅子に腰掛けて首筋にシャワーを当てているパウロがいる。右手には大きな浴槽があるが今は水が抜かれていた。
マクガイアはパウロの隣のシャワーに腰掛けた。目の前に蛇口があり、その下に黄色いプラスチック製の桶がある。
蛇口のノブは2つあり、左は青、右は赤のマークが付いており、中央にバーハンドルがあった。マクガイアは試しに、そのバーハンドルは上下に動かして様子をみた。
「えらく慎重じゃないかマクガイア、ただのシャワーだ」とパウロが言う。
どこか小馬鹿にした響きがあったが、その声をマクガイアは無視した。
バーハンドルを下げると蛇口から水滴が、上げるとシャワーノズルから水滴が落ちた。ハンドルを下に下げ、青いマークの付いた左のノブを回すと、蛇口から勢いよく冷たい水が出た。
その冷たい飛沫を避けるように足を跳ね上げ、ノブを締め直し水量を調節した。
次に赤いマークの付いた右のノブを回しながら蛇口に左手をかざして温度を確かめ、適温になったところでハンドルを上げると勢いよくシャワーがマクガイアの体を打った。
湯を両手に受けて顔を拭うと、どうだと横目でパウロを覗う。
パウロは「ただのシャワーだ」とつまらなそうに言った。
「そう、ただのシャワーだ、それをミスするのを期待するのは間違っている。道理からも、道義からもな」とマクガイが言う。
「ミスするならシャワーぐらいが丁度いいだろう。お前は、何か派手なことをやらかしそうだ。
いや、既にやらかしてくれているが、もっと致命的なことをな。マクガイア、くれぐれも言っておくが教会に迷惑をかけるんじゃないぞ」体をゴシゴシと泡立てながらパウロが言う。
シャワーの音にかき消されないよう話す声は、浴室の響きもあってかなり大きなものになっていた。
「何を恐れているのか?パウロ」とマクガイアが言う。
「恐れている?おかしなことを言う」とパウロが動きを止めてマクガイアに聞き直す。
「いや、そうだな、確かに私は恐れているよ。よりによってこの時期に、あんたを遣わすんだからな。
いいか、マクガイア、日本はタイトな文化の国だということを忘れるな。
戒律に従って生きている我々から見ても、それは非常にタイトに構成されているんだ。
しかし、困ったことにそれは言葉にされていない、文字にされていない。
時間や場所、その両方のかけ合わせと集う人によって、どう振る舞うべきかが決定されるんだ。
我々が言うTPOとは違う。
それはマナーの問題ではない。
道徳律に従って場に合わせた振る舞いがあるというのがTPOなら、場に合わせて道徳律が変わる。
それが日本だ」と忠告するようにパウロが言う。
「道徳律が、場によって変わる?」
「そうだ」
「それは、もう道徳律ではない」
「あんたの言わんとするところはわかるよ。よくわかる」とパウロはマクガイアに同意して続けた。
「ただ、あんたも日本人と付き合っていくと分かってくると思うが、同じ日本人が場によって人が変わるのを目にするだろう。そして、そのことを誰も気にしないことを・・・」と一度区切ってから、「本当に驚くよ」と念を押した。
「その点、あんたは一途すぎる。その一途さが日本で軋轢を生むだろうと心配でね。
それがあんたと日本との間のことで留まるのであれば、まだましだが、それが教会との軋轢となると話は別だ」と、パウロは言った。話を聞いていたマクガイアの思考は飛躍する。
マクガイアは「日本の仏教には戒律が欠けている」と呟いた。
それを聞いてパウロはやれやれと首を振る。そして「お先」と言って浴室から出ていった。
浴室に一人取り残されたマクガイアは日本仏教について思いを巡らせる。
日本の僧は妻帯している者が多く、世襲で坊主になることも少なくない。
僧になるためには、厳しい戒律が定められているのだが、日本に仏教が伝来してすぐに失われた。捨てられたと言ったほうが正しいかもしれない。
中国仏教界の大物である鑑真がそのことを憂い、真の仏法を広めるため苦難を乗り越え、目が見えなくなってまで渡来し、律法を伝えた。なのに日本人は鑑真を敬いこそすれ、律法を尊ぶことはなかった。
タイトとルーズの意味するところがわからなくなる。律法を守ることができない日本人をルーズと見ることもできるのではないか。
仏教の律法を寄せ付けないほどタイトな何かが日本にあると言うことなのか。分からない。




