第三十七章 歯車は欠けたのか?噛み合ったのか? その二
アルフォンソ審議官は鳴門が轢かれた事故現場にしばらく留まった。
わらわらと人がスマーフォンを手に集まってくる。
血まみれの鳴門に容赦なくカメラが向けられている。
直ぐに救急車とパトカーがやってきた。警官が心神喪失した運転手に声をかけた。
現場を取り巻く人々が一重、二重と重なって、やがてアルフォンソ審議官の所からは野次馬の背中しか見えなくなった。
アルフォンソ審議官はバチカン大使館に戻ると自分のデスクで拾ったSDカードをパソコンに差し込んだ。
ファイルはロックされており開くことはできなかったが、ファイルのタイトルを目で追っただけでこれがどれほど”ヤバイ”ものかは分かった。
SDカードの中身は、没になった鳴門の記事と、取材記録だったのだ。
どうしたものかと画面を見ているとスマートフォンが鳴った。
「ご活躍ですね、マクガイア神父。素晴らしいルーキーイヤーを送ってらっしゃる」とアルフォンソ審議官が言う。
電話はマクガイアからの教会へ遊びに来ないかという誘いだった。
アルフォンソ審議官はパソコンからSDカードを取り出すとポケットにしまい、大使館を出た。
ミカエル荘の食堂に通されたアルフォンソ審議官は改めてマクガイアの活躍を称えた。
「未だに一人の信者も獲得できていませんよ」と心底残念そうにマクガイアが返事を返す。
「私がなってあげよっか?」とユリアがちゃちゃを入れる。
「大人をからかうものじゃない」とマクガイア。
「こちらバチカンで審議官をされているアルフォンソ神父だ」とマクガイアがアルフォンソ審議官を紹介する。
「こんちは。倉棚ユリアです。今、ミカエル荘でお世話になってます」と挨拶するユリア。
「こんにちは、ユリアさん」とアルフォンソ審議官は丁寧にお辞儀をした。
「マクガイア神父のまわりにはいつも可愛い女性がいますね。今日は、レディ鈴の姿が見えませんね?」
「えっ、鈴ちゃんさっきまでいましたよね?」とユリアが辺りを見渡すと、廊下の影からこちらを覗いている鈴と目があった。
鈴は口に指をあてて、しーっと声を出さぬように伝えて、ユリアにこっちに来るよう手を振った。
「えーっと、すみません。ちょっと失礼しますねぇ・・・」とユリアはそろそろと廊下に出た。鈴は廊下に出てきたユリアの腕を掴んで階段を登っていく。
「アルフォンソ審議官は、日本に来てどのくらいになりますか?」と食堂のテーブルの席についてマクガイアが問いかける。
「今年で5年目ですね。パウロ神父より少し長いくらいです。」と向かいの席に腰を落としたアルフォンソ神父が答える。
「日本での教会の現状をどう見ておられますか?」
「私は事務方ですので、教会で説教したことも、信者と触れ合う機会も多くはないので、現場のことはよくわかりませんが、はたで見ていて、大変だろうなと感じますね」
「キリストの言葉を説いて、その素晴らしさに耳を傾けてくれる人があっても、いざ、改宗となると、それはそれ、これはこれといった感じになるのではないでしょうか」とアルフォンソ審議官。
「あのぉ、すみません。後学のために同席させていただいてもよろしいでしょうか?」とマミがおずおずと尋ねる。
「もちろん」とアルフォンソ審議官が答えるとマクガイアから一つ離れた席についた。
「なぜ、そう思われますか?」とマクガイアが話を戻す。身を乗り出すマミ。
「キリスト教がもたらす恩恵について測りかねているのでしょうね。キリスト教徒の多い国で、日本より殺人や窃盗といった犯罪が少ない国はないことを皆知っていますからね。知り合いの神父が、愛と善行を説いた後に、お国でされたほうがよろしいのではないですかと言われて、返す言葉に困ったと言っていました」あちゃーとマミがおでこに手をあてる。
「実は、日本に派遣されるにあたって、イエズス会の総長から日本は宣教師の墓場だと言われました」とマクガイア。
「それは、餞の言葉としてはいささか激しいものですね」とアルフォンソ審議官が言うと、驚いて目を剥いていたマミがうんうんと頷く。
「その理由は3つあると言われましてね。一つが、日本の発展度合い。つまり、宣教にあたって、日本の社会に科学や技術で貢献できる場がないと、それで、日本人の関心をかうことが非常に難しいと言っていました」あーっと大きくマミが頷く。
「二つ目が、神学的土台の欠如です。神の言葉が、ほどかれてしまう。と言っていました。」眉にしわを寄せて、マミが首を傾げている。
「それで、三つ目は?」
「三つ目について、総長は語られませんでした。あったのか、あえて言わなかったのか、お忘れになったのか分かりませんが・・・、アルフォンソ審議官はどう思われますか?三つ目はあると思いますか?あるとしたらなんだとお考えになりますか?」マミがキラキラした瞳でアルフォンソ審議官を見ている。
「それなら、マクガイア神父は、もう見つけられているじゃないですか」とアルフォンソ審議官が意味ありげに微笑む。
「ハルとの討論会、拝見しましたよ。あなたはおっしゃった。日本に一神教が根付かない理由は、天使の不在であると」マミも配信を見ていたのか、ああっと納得したように頷いている。
「私は列聖省に属しているんです。その関連で、聖母マリアを見ただとか、大天使ミカエルの声を聞いたといった案件が手元に押し寄せるんです」えっとマミが驚いている。
「押し寄せる?」とマクガイア。
「誇張しているのではありません。言葉のまま、本当にひっきりなしに」マミが驚きを隠すこともなく、開いた口に手をあてている。そして聞いた。
「そのぉ、お話の中に、本物ってあるんですか?」
「ありますよ。ルルドの泉のお話はご存知でしょう?でも、ほとんどは精神疾患です。そう、真偽相まって膨大な報告が届くんです」
「ところが日本からはほとんどありません」とアルフォンソ審議官が言うとマミがくすっと笑った。




