第三章 焼け落ちた教会と眼鏡の男 その二
道端で宣教を始めてもうどのくらいがたったろうか。日も暮れ始めた。いったい何人に声をかけ、拒絶されたか分からない。せめて一人だけでもと声をかけ続ける。
「ちょっと、いいですか」と背後から声を掛けられた。
ついに来たと、マクガイアは思った。
自分の声が、主の教えが届いた人が居たのだと思った。
期待に胸を踊らせ振り向くと、そこに居たのは警察官だった。
留置所に居るマクガイアの目に、白髪混じりの髪を短く刈り込んだ、大柄な白人男の姿が映る。丸メガネを鼻に乗せ身を縮こませながら柔らかな微笑みを浮かべて警察官とやり取りしている。相手をしている警察官はマクガイアを連行してきた男だ。
日本人としても小柄な警察官が、一層、白人男の大きさを際立たせている。小さな警官が、マクガイアが控えている留置所を振り向きながら指差す。
その指先を追って大柄な白人がこちらに目を向ける。
マクガイアと目が合った瞬間、大柄な白人男は微笑みを浮かべたままグッと睨みつけてきた。”パウロ・ガウェイン”とマクガイアは胸の内で呟いた。
パウロ・ガウェインは、パリッとしたスーツを着て、ウォールストリートか兜町に立っているのが似合いそうな男である。彼は、イエズス会神父であり、マクガイアより一足先に日本に遣わされていた。
マクガイアはパウロが自分の身元引受人として、ここへ来たのだと悟る。
パウロが微笑みながら、警官に何か握らせる。警官はカウンターの下で握らされたものを確認する。
そして、パウロに何やら告げている。パウロは有り難くその言葉に頷いている。その一連の儀式にも似たやり取りを終えると、警官は振り向いて、面倒くさそうにこちらに歩いてきた。
そして、留置所の鍵を開け、「お迎えの方が来られましたよ。マクガイアさん」と、出るように促した。
マクガイアは解放され、パウロと並んで立った。二人の背丈は同じ位で、小柄な警察官には壁が立ちはだかったように見えただろう。
パウロが警察官に頭を下げる。パウロは突っ立ったままのマクガイアに頭を下げるように促す。すると警察官が声を掛けた「いいです、いいです、外人さんですから」と笑みを浮かべて頷いている。
パウロと警察官が一言二言やり取りし、交番を出た。
出た後、パウロは交番を振り返る、マクガイアもそちらに目をやる。
交番の出口に警察官が立っている。パウロはもう一度警察官に頭を下げる。
そして前に向き直り歩み出しながら、「何故、本部に来ない?」と詰問した。
「焼け跡だった」と答えるマクガイア。
「電話をすればいいだろう!」と忌々しげに吐き捨てるパウロ、歩調が幾分早くなる。
マクガイアの胸に何を、という思いが沸き起こり、足を止める。
パウロは構わず、歩き続ける。
「お前は!」とパウロに叫び、再び追いすがりマクガイアが噛みつかんばかりに声をかける「俺は、お前が日本での宣教が決まってから、そう3年前だったか、毎日、何度も電話したよな。メールも送った。なのにお前は一度も電話に出なかった。何故だ?」
パウロは答えずズンズンと進む。
「お前が電話にでなくなってもう1年9ヶ月だ。メールは私が723件に対し、お前からの返事は24件だぞ。緊急事態に連絡を入れる相手として思いつかない十分な理由になるんじゃないか。何故、連絡を返さなかったんだ?」とパウロの肩に荒々しく手を掛ける。
向き直ったパウロの顔が怒気で赤くなっている。
パウロは、かっと目を見開き「うざいんだよ!」と吐き捨てる。ふんっと鼻息とともにマクガイアの腕を肩から払いのけ、再び歩き始める。
続けて「あんたは、いつもいつも自分、自分で、日本との時差も考えず、電話、メールを寄越しやがって、しかも連絡すべき内容のものがそのうち何件あった?どうでもいい話で時間を取られるこっちの身にもなれ、自分勝手、身勝手、自己中心もいい加減にしろ!それとも何か、俺はいつ、いかなる時もあんたの、あんたの相手をしなけりゃならないのか!?」
立ち止まり、額を擦り付けんばかりに迫るパウロに「当然だろうが、パウロ・ガウェイン」と冷静に返すマクガイア。
「俺は全てを神に捧げた男だぞ。お前は俺を自己中心的と言ったが、断じて違う。
神中心だ、当然だろ。神に全てを捧げた俺からの連絡ならば、それはもう神からの連絡だ。
主がアブラハムの都合を考えて声を届けると思っているのか!パウロ・ガウェイン!」と言い放ち、額をパウロに押し付ける。
パウロは押し返し首を背け、マクガイアに背を向け歩き始める。
置いてきぼりを食らったマクガイアは目線でパウロを追う。
「あんたは狂ってる、完全に狂ってる」と振り返ったパウロが、マクガイアを指差して言った。
大きく息を吸い込み、歯を食いしばってパウロにガツガツと歩み寄るマクガイア。
パウロはマクガイアを待たずに再度背を向け歩き出す。
行き先も分からないマクガイアがパウロを追い越す、パウロが追い越し返すと、さらに抜き返すパウロ。
大通りに突き当り、パウロが手をあげると、一台のタクシーが目の前に滑り込んできた。
マクガイアは車道に一歩踏み出して、ヘッドライトに照らされている。
そのヘッドライトに照らされて雨粒が輝いている。突然、激しい雨音が辺りを包んだ。




