第三十章 蝙蝠を焼く その三
マクガイアは敵の位置をパウロに知らせると、外国人部隊にいた頃に使っていたハンドサインで制圧するかと聞いてきた。
パウロはダメだとハンドサインで返したのだが、アルフォンソ審議官には、その話はしなかった。
「で、空港からタクシーで香港教区の大聖堂である聖母無原罪天主座堂に向かったのですが・・・
その車中で司教から後ろの席に乗る我々にメモが回されました。
そこには”いたるところ盗聴されている。教会も”と書かれていました。
やれやれですよ、車ももちろん尾行されてました。
天主堂では春なのに暖炉を囲みながら筆談でやり取りしました。
4人のうち誰かが紙に質問を書き、皆に見せ、司教が返事を書き皆に見せ、紙を暖炉に焚べる。
その間、とりとめのない会話をしていました。
晩餐に出た食事についてであったり、法王の近況であったり・・・
そんな話をしながら、中国本土の状況や、誰に会うべきか、誰を警戒すべきか・・・
書いては焼き、書いては焼きして情報を得ていきました」
そのやり取りの合間に、アントン・モーヴェ教区長がパウロとマクガイア二人に、ハンドサインについて聞いてきた。
空港のロビーでの二人のやり取りに気付いていたのだ。
そこで、パウロは基本的なハンドサインについて彼に教えた。
親指を上げた状態で内側に回し、元に戻す仕草が「敵あり」その後に立てる指の数が敵の「人数」人差し指と中指と親指を立て、振る仕草が「突撃」である。
もちろん、そんな話は、アルフォンソ審議官にはしなかった。
「筆談を終え、紙をしっかり焼き払うと、香港司教が我々に渡したいものがあると、少し待つように言い部屋を出ていきました」
「部屋に戻ってきた彼の手には一冊の聖書がありました。彼は言いました。
”これは中国の国父と崇められる孫文が使っていた聖書です”
中国天主教愛国会との交渉に際して、我々が孫文の聖書を持っているということが、有利に働くかもしれないと考えた訳です。
実際、非常に役に立ちました。
中国にとって孫文の聖書は聖遺物といえるもので、我々ローマ・カトリックの正統性を十分に担保してくれました。
ともすれば、我々特使のマウントを取ろうとする中国天主教愛国会の野心を十分に挫いただけでなく、中国天主教愛国会の信者にローマ・カトリックの権威を十分に見せつけることができたのです」
「ただ、一方で地下教会信者との接触は、ことごとく阻止されました」失敗ですとパウロが言う。
「それでも、我々が来たという事実が地下教会の信者を勇気づけると信じて、予定されていた日程をすべてこなしました」とパウロが話を終える。
「大変な思いをされたのですね。中国での布教は難しいとお考えですか?」とアルフォンソ審議官。
「ええ、中国政府の締め付けはどんどん厳しくなっているようです・・・
国外追放となった香港司教に会ったのですが
香港から本土への支援の道は絶たれたとのことです。
また、孫文の聖書も没収されてしまったと嘆いていました」
アルフォンソ審議官はパウロの話を聞き終え、すっかり長居してしまったと詫び、大藪弁護士への紹介を再度、依頼して辞去した。
パウロは玄関まで、アルフォンソ審議官を見送った。
部屋に戻ったパウロだが、アルフォンソ審議官との対談の余韻が抜けない。
アルフォンソ審議官に話していない出来事に思いが引き寄せられる。
中国での日程は、北京、済南、南京、上海、福建と巡り、北京に戻る予定であった。
福建から北京に向かうはずの飛行機が、機体に何らかの不具合が生じたとのことで、武漢に降り立った。
たまたま降り立ったはずなのだが、空港では万全の出迎えを受けた。
滑走路に赤絨毯が轢かれ、脇に立つ近衛兵が敬礼する中を、一行が進む。
黒塗りの紅旗H7が7台並んでいた。
ローマ特使の7人に一人1台の車両があてがわれた。
車の中はボックス席となっており前の席に案内役が、後ろの席にローマ特使の面々が乗ることとなった。
車列は静かに走り出した。
武漢への立ち寄りが何者かによって仕組まれたものであることはもはや明白であった。
誰が、何のためにという疑問に対する答えは、直ぐに得られた。
車内には蝿が舞っていた、パウロは窓を開けて追い出そうと思ったのだが窓は開かなかった。
車中で案内役が「孫文老師の聖書をお持ちだとか。わたし、カトリックなのです。どうか拝見させていただけないか」と声をかけてきた。
パウロは自分は持っていないと答えた。
「どなたがお持ちなのですか?」と案内役が重ねて尋ねてくる。
パウロは名を明かすことなく、私ではない他のものが持っておりますと応じた。
狙いは孫文の聖書で間違いない。
深海を行く、巨大な魚の群れのように車列は進み、やがて花園山天主堂の前で止まった。花園山天主堂は、ローマ・カトリック教会である。
パウロを初め、特使達の胸は期待に高鳴った。
初めて訪れる中国のローマ・カトリック教会で、地下信者たちに会うことができる。
ここでも教会の入口まで赤絨毯が敷かれていた。その上を特使一行は進む。
教会の中から早くも拍手の音が聞こえてくる。否が応でも期待は高まる。




