第三章 焼け落ちた教会と眼鏡の男 その一
焼け落ちた教会の前で立ちすくんでいると
「キャンナイヘルプユー?ミスター」と英語で声をかけられた。
その声に振り返ると、髪を後ろでくくり、グレーのパーカーにベージュのハーフパンツ、片手にスケートボードを抱えた少年?少女?が立っていた。
「どうかされましたか?」と、少年?少女?が尋ねる。
マクガイアは日本に着いてから日本語で思考することを自らに課していたので、英語脳に切り替えるのに少し時間を要した。
「ここに教会があるはずなんだが、何か知っているかな?」と英語で問うた。
「ええ、ここです。焼けてしまったみたいですね、ニュースでは昨日の早朝に出火したとのことですよ」と、少年?少女?が気の毒そうに答える。
マクガイアは、両手を上に向け天を仰ぐポーズをしてみせ「出火の原因を知っていますか?」と聞いた。
少年?少女?は、両手を上に向け天を仰ぐポーズで答えた。
「教会の人たちがどこにいるかは、知っていますか?」と問うマクガイアに申し訳無さそうに首を振る。
「私は、宣教師として今日、このイエズス会教会に遣わされたのです」
「そうですか、残念でしたね。わたしもこの教会の建物が好きだったので、すごく残念です。ご近所に聞いてみてはどうですか?何かわかるかもしれませんよ。お手伝いしましょうか?」と少年?少女は?は言ってくれた。ありがたい申し出だと思ったが、マクガイアは断った。
「親切に声をかけてくれて、ありがとう」と言い、マクガイアは右手を差し出す。少年?少女?がはにかみながら握り返す。
「ニコラス・マクガイアです。こちらの教会、イエズス会の宣教師で、将来、教皇になる男です。今日、日本に到着しました。教会を建て直してみせますので、興味があったらまた来てくださいね」と日本語で言った。
「日本語が話せたんですね。失礼しました。自分が英語を話せる事にいい気になっていたのかもしれません。失礼しました」と言って、少年?少女?は、ペコリと頭を下げた。
子供には似つかわしくない礼儀正しさだった。
日本の子供のお行儀の良さは、ザビエル以来の神父が述べ伝えているところであるが、実際に目にすると驚かずにはいられなかった。
「君は海外で暮らしたことがあるのかな?英語圏の国で?」とマクガイアは興味本位で尋ねる。
「いいえ、ありません。英語は独学で学びました」それを聞いて、マクガイアは「君は、自分の英語にいい気になっていい。君の英語はパーフェクトだ」と親指を突き立てた。
「あなたの日本語も」と、少年?少女?が、親指を立てる。
少年?少女?が「私もひとつお尋ねしていいですか。よろしければ、あなたの生年月日を教えて下さい。」と言った。
何故と思わないこともなかったが、プライベートに関する質問をしたのはマクガイアが先だ、否はない。1973年7月23日と答える。
「美しい生年月日ですね。完璧です。あなたは、本当に教皇になるかもしれない」
それではと挨拶をし、少年?少女?は、スケートボードを滑らせて去って行った。
スケートボードのベアリングの音を心地よく響かせて、少年?少女?は、街頭の明かりを一つ二つとくぐり抜けて、やがて見えなくなった。
ああっと、マクガイアは感嘆した。もし、少年?少女?が日本の子供の水準を代表するものなら、空恐ろしいと思う。美しい生年月日というものがあるとしたら、それは美しい数字の羅列であるに違いなく、美しい数字の羅列とは素数である。
マクガイアが素数という概念を知ったのは13歳の頃で、自分の生年月日が素数から成ることを知り、訳もなく感動した。1973は素数、7は素数、23も素数。しかも、1973723も素数である。少年?少女?は、語学だけでなく、数学にも精通していたのだ。
さて、教会は焼け落ちている。ならば、教会を建てるだけとマクガイアは気持ちを切り替える。神の言葉があるところ、すなわち教会なのだ。優秀な少年?少女?との出会いが、マクガイアを奮い立たせた。
来る時に人通りが多かった場所を目指して再び駅に向かい歩みだす。十分な人通りが所でカバンを置き、目の前を行き交う人々に声を上げる「神の国は近づいた。悔い改めよ!」彼の前を行く人々がびくっと肩をすぼめて、マクガイアを覗き見ると足早に通り過ぎた。
「蝮の子らよ・・・・」と説教を進めるのだが、誰も彼もマクガイアに目もくれず通り過ぎる。歩を止めて、彼の言葉に耳を傾けようとする者はいなかった。
ならばと、矛先を個人に向ける。前を通る人々の前に立ち塞がり「あなたは神を信じますか?」「あなたの宗教は?」と問いかけ続けた。それでも誰も立ち止まることはなかった。
皆、困惑の表情を浮かべ、すいません、又は、お断りと言うふうに手を挙げて小走りに通り過ぎていく。
今、神に試されていると、マクガイアは思う。これこそ、この拒絶こそ異教徒への布教の醍醐味。
この先にあるのは栄光か、はたまた石打ち、皮剥か、人々の拒絶の中でマクガイアは恍惚となる自分を感じていた。




