5.出逢い
守境大樹を訪れたその日は宿へ泊まり、翌日の昼前、ツェンブルク領にある実家へワープ魔法で移動した。
洗濯物を干していたアディリアが抱きつきに来たのは勿論のこと、何故かそこに両親も加わり、しばらく団子になっていた。その夜の食事はなかなか豪勢なもので、こんなに食べたのは久しぶりだった。
真夜中を回る頃。
クレニアは来週から始まる新学期について思案していた。
冬季休業が終わると、魔術試験に向けての準備が始まる。魔術試験とは、個人の魔術の技量を見るもので、筆記試験と実技試験の両方がある。
実技試験には、出来栄えによってAからDの4段階評価が為される。その年にもよるが、審査員には学校の教師以外に魔塔の魔術師が来ることもあるらしい。
クレニアは開け放した窓から月を眺めていたが、さすがに体が冷えてきたのでキッチリ閉め、ぐっと伸びをした。
そろそろ寝ようと思ったが、ふと思い立ってアディリアから貰ったサラーペヴォ草を取り出した。
「……あれ?」
クレニアは首を傾げた。
受け取った時には蕾だったはずのサラーペヴォ草が、今は真っ青な花弁を優雅に広げている。
サラーペヴォ草というのは、魔力によって成長する魔草の中でも、成長が遅い部類に入る。蕾がついてから開花するまで、普通2週間ほどかかる。
魔力を込めれば開花は早まるが、このサラーペヴォ草は少し特殊だ。
アディリア・グレイシスの固有魔法は、植物を操る魔法。
その「操る」には、植物の成長を促すことや抑制することも含まれる。そしてアディリアの固有魔法で育てられた植物は、アディリア以外の魔力を受け取っても成長速度は変わらない。
つまり、このサラーペヴォ草にクレニアが魔力を込めたところで、あと数日は開花しないはずなのだ。
思考の海に沈みかけたが、急に睡魔が襲ってきたために断念した。
また今度考えよう。きっと守境大樹の人智を超えた魔力に当てられただけだ。
その日は、夢も見ないような深い眠りだった。
翌朝起きた時には、眠る直前の記憶は曖昧なものになっていた。
◇◆◇
あれから数日経ち、冬季休業が終わるまではまだ数日あるが、クレニアはグロースフィア魔術学校へ戻ることにした。
否、正しくは学校付近だ。
記憶通りであれば、冬季休業が終わった頃にグロースフィアの近くで魔物が出る。そして運悪く遭遇してしまった上級生が酷い怪我を負うのだ。
名前をラマゼル・シェーベールといい、風属性の魔術師だ。
彼は相当な実力者だが、怪我によって魔力回路を一部損なってしまう。魔力回路とは、魔術を行使する際に魔力が流れる体内の管のようなものだ。
これを損なうということは、魔力が上手く流れず魔術の質が落ちたり、最悪魔術が使えなくなることを意味する。
そしてラマゼルは、グロースフィア屈指の実力を持ちながらも学校を中退した。
その後は魔塔に入り、魔塔の長たる「塔主」の座まであと一歩のところまで辿り着くも、この時に負った怪我が原因で任務中に命を落とす。
もしあの厄災の時にラマゼルがいれば、市街地の被害はもっと少なかったはずだ。
クレニアはそう考え、なんとか彼の負傷を防げないかと考えていた。
座標をグロースフィア付近の森へ設定し、ワープする。目を閉じて、索敵用の魔法陣を展開すると、クレニアのいる場所から少し離れたところに1つの生体反応を捉えた。きっとラマゼルだ。
気づかれないように近づきつつ、偶然を装って助けよう。
そう思い、なるべく気配を消しながら森の中を進む。少し経って、ラマゼルを目視できる距離まで近づけた。
どうやら彼は、魔力の圧縮を試みているようだった。
クレニアは目を見開いて、じっとラマゼルの手元を凝視する。
魔力の圧縮はとても高度な技術だ。並の魔術師では圧力が安定せず、爆発が起きたりする。
魔力の圧縮によるメリットは、攻撃魔術の威力が上がるのはもちろんのこと、魔力制御の訓練にもなる。
魔術を覚えたての子供は、魔力回路に一定の魔力を流せず、魔術を上手く行使できない。逆に言えば、魔力を一定に保って流すことができれば、魔術の安定性が増す。
クレニアはふと思った。
もしかすると、ラマゼルは魔力を圧縮している最中に襲われたのではないか?
それならば、外傷が少なくとも魔力回路を欠損し得る。恐らくは、魔物の攻撃によって圧縮していた魔力が爆発し、自分の魔力回路すら傷つけてしまったのだろう。
クレニアは魔法陣を展開し、再度生体反応を調べる。
「……おでましか」
一直線にこちらへ猛スピードで向かってくる反応を感知した。
魔物だ。
クレニアは氷剣を握り締め、ラマゼルの周りに防御結界を張る。集中していたラマゼルも、さすがにこれには気づいたらしく、魔力の圧縮を解くと首を巡らせた。
そんなラマゼルの前に降り立ったクレニアは鋒を森の奥へ向けて氷剣を構え、ラマゼルに警告する。
「魔物です!」
その声と同時に、頭を2つ持った犬型の魔物が飛び出してきた。
「はぁ!? なんでこんなところにオルトロスが!」
オルトロスはなぜか怒り狂っているようで、涎を撒き散らしながらクレニアへ襲いかかってくる。
牙を刃で受け止めると、耳障りな金属音が鳴った。クレニアは一度退がり、体勢を整える。
「おい君、逃げろ! 俺が食い止めるから、その間に先生を呼んでくれ」
答える間もなく、オルトロスが大口を開けて迫ってくる。
「くそっ……“風弾”!」
「“水槍”」
ラマゼルは風の弾を、クレニアは水の槍をそれぞれオルトロスの口の中へ撃つ。オルトロスは脳天を撃ち抜かれて倒れ、数回痙攣すると動かなくなった。
「ふぅ……そうだ。君、名前は? 何年生?」
「1年生のクレニア・グレイシスです」
「あ、武闘大会で優勝してたの君か。俺はラマゼル・シェーベール。2年生だ。まぁ気軽にゼルとでも呼んでくれ」
「……では、ゼルさん」
今まで付き合いがなかったので、クレニアはしばし考えてから、躊躇いがちにそう呼んだ。ラマゼルは「うん、何?」と笑っていたので多分大丈夫だろう。
「なぜ、ここにいたんですか?」
「あぁ、見てたかもしれないけど、魔力の圧縮を試してたんだ。俺は魔力量多い方だし、制御しないと無駄が出るからさ」
人が多い場所でやると失敗したときに怪我人が出かねないから、と彼は続ける。
「それにしても、君はどうしてここにいたの?」
「以前このあたりで魔物を見かけた気がしたので、討伐しておこうかなと思って」
クレニアは事前に考えていた言い訳をつらつらと述べる。幸い、ラマゼルは怪しんでいる様子はなかった。多分、素直なんだろう。
ふと魔物が倒れていた場所を見ると、既に塵も残っておらず、後には鈍い輝きを放つ黄味がかった石が落ちていた。
「魔石は回収して、先生に渡しておきますね」
「あぁ。アイゼル先生に渡すといい。多分喜んで受け取るよ。じゃあ、俺はこれで。気をつけてな」
「はい」
日の傾きを見るに、4時頃だろう。
クレニアは底光りする魔石を眺めながら、あの魔物、オルトロスについて考えていた。
何だってあんなに、凶暴だったのだろう。
魔物という生物は基本、飢えているか酷く攻撃された時にしか、あのように白目を剥いて明らかに正気を失った様子にはならない。
索敵の魔法陣を展開したときには、魔物とラマゼル以外にはありふれた動物しかいなかったはずだ。
縄張りを侵されたのだろうか。
「あれ、グレイシスさん?」
考え込んでいるクレニアに、突如声がかけられた。
視線を上げると、紫がかった黒髪に黄金の瞳をした、どこか現実離れしたオーラをまとう青年が笑いかけていた。
「君は……」
「あ、初めましてだよね。僕はエルファ・シュリーヴス。宜しくね」
「クレニア・グレイシス。こちらこそ宜しく。ところで、どうしてここに?」
「散歩してたんだ。この森って空気が綺麗でしょう」
エルファはふわりと微笑んで答えた。
嘘は吐いていないように思えた。
「そっか。もしかすると魔物が出るかもしれないから、気をつけて」
「うん。君もね」
クレニアは魔石を拾って森を離れる。
その後ろ姿を、エルファはじっと見つめていた。
口元に、薄く笑みを浮かべながら。
少しでも続きが気になる、面白いと思っていただけたら評価等々してくださると嬉しいです。何卒。